Interview#001 北山恒



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北山 恒

1950年 香川県生まれ / 1980年 横浜国立大学大学院修了/ 1978年 在学中にワークショップ設立(共同主宰)/ 1995architecture WORKSHOP 設立主宰

 

「圧倒的な自由をもった社会の中でつくられる建築」

ヴェネチア・ビエンナーレの日本館コミッショナーを務められますがテーマと概要について教えてください。 

今回のテーマは、3 年前の新建築で書いた巻頭論文の「建築は集まって生活する根拠をつくれるか」(*)という文章が元になっています。モダニズムが20 世紀初頭にスタートして50 年くらいたったときに日本からメタボリズムという概念が発信され、それからちょうど半世紀経った今、もう一度日本から重要なメッセージを出そうというのが今回のテーマです。

20
世紀以前、建築のジャンルは権力機構のための建築というものが主流だったのが、20 世紀になってモダニズムに入っていく中で新しいジャンルに建築の主要なテーマが移っていった。その中で今の建築の扱っているものは、住居を中心にした施設、そして公共的建築であり、そういうものを建築のジャンルとして僕たちは考えている訳だけど、その建築という概念はもっと拡張し、変わっていく、と考えています。

 

具体的にはどのような拡張があると考えていますか?

環境であったり交通体系であったり、生活の在り方であったり、働き方であったり、社会そのものの様態が大きく変化する中でビルディングタイプが全部新しく変換されていくだろうと考えています。

ヨーロッパ世界から見ると新しい都市とか新しい建築っていうのは中国とか、石油の資本のあるところでつくられていくんじゃないかという感覚があるんだけど、彼らは実は中国共産党であったり巨大石油資本という19 世紀的なシステム=強大な権力機構の下で建築とか都市をつくっている。

それに対し、日本の都市・建築のつくられ方っていうのは権力が解除されている状態です。東京では、土地所有者の権利が最大限認められ自由につくれるという、今までのどんな都市も体験したことがない状態があります。それを「圧倒的な自由をもった社会=野放図な民主主義の中でつくられる建築」と考えることもできます。このような構図の中で、「東京」という都市はもうひとつの選択肢を示す可能性があるという展示をしようと思います。

 

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「人が住んでいるから都市になる」

今回のテーマに対して、西沢立衛さんと塚本由晴さんを選んだのはなぜですか?

先ほどの新建築の巻頭論文を読んでもらえると分かりますけど、そこに西沢さんの仕事と塚本さんの仕事と僕の仕事と3つ並べて東京の変容している様を書いています。ちょうど僕が論文を書いていた時、西沢さんの森山邸ができて、森山邸はすごく意味のある建築だと感じました。また塚本さんの東京リサーチは面白いと思っていたので、その話も取り上げました。最初からその時の登場人物である西沢さん、塚本さんのお二人でいこうと思ってました。僕の学生時代は都市を考える事が当たり前のようになされていたけれど、1980年代からそれが希薄になり、だんだんと個々の建築のみを考える時代になってしまった。二人は、その世代にありながらも都市と建築の関係をシームレスに連続して考えているように思うんですよね。

 

今回の展示で住宅をとりあげてるのは意図があるんですか。

建築家はいつも非日常の建築をつくっていて、大学で教えているのも非日常の建築。だから、建築を学んできた人はなかなか日常のデザインができないんですよ。モニュメンタルな建築というのが、造形物を作るだけならば高校生でもできる。でも都市を構成するものはほとんどが日常です。商業施設とか公共建築というのが都市の中のほんの一部分でしかなくて、都市のほとんど埋め尽くしているのは住宅です。人が住んでいるから都市になる。都市を日常の集積、住宅の集積から考えてみたいと思っています。

建築と都市を考える上ではモニュメンタルなものではなく、当たり前なものを相手にした方が重要だと思います。ビエンナーレの他の国のパビリオンはその国を代表する建築家がでてくるのでモニュメンタルで大きな建築が出てくるだろう。それに対する戦略としては、一番小さいもの、日常的な「生活」というものがいいだろうと思った。そこから、生活と直結するものとして住宅を取り上げようと思いました。

 

今回建築学会作品賞をとられた『洗足の連結住棟』とビエンナーレのテーマであるTokyo Metabolizingの考え方のつながりを教えてください。

洗足の連結住棟では都市の中に埋め込まれていく部品のような、生活に対応する建築こそが次の建築を作るんだという主張をしています。さらに、現代社会の中で欠落しているものは、共同体というか一緒に生きているという感覚がない事だと思うんです。生きてる根拠というのは、一緒に誰かと生きているという感覚だと思うんですよね。それが希薄になっていて、共同でいる感覚が持てないような空間が都市の中に用意されている。それを変換させる作業というのが、重要なテーマであろうと思っています。

近代に措定した住宅はプライバシーを高くすることが良い住宅であるということでした。そして、建築家はそのような教育を受けてきましたし、そういうものをずっと作ってきたわけです。しかし、僕はプライバシーのレベルを下げることで、人が気配を感じながら相手を気遣っていくような空間をつくろうとしています。今度竣工する「祐天寺の集合住宅」でも同様の事を考えています。この二つの実作は、「共同体を要請する建築」です。それはビエンナーレで提示したい可能性のひとつの実践だと考えています。

 

 

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「新しい都市に住む根拠」

森山邸のどういった部分に意味があると感じましたか?

人がそこに集まって住んでいると、共同体を作れるような空間装置ができているように思えました。山本理顕さんの地域社会圏(*2)も同じだし、僕は環境単位という言葉を使っていたんですけど、都市に住む根拠をどうやって作るかということをやるのは、私たちの建築で今やる重要な仕事であると考えています。

 

「社会のデザインを空間言語に翻訳していく」

都市に住む根拠を生み出す上で、重要なことはなんですか?

建築って、かっこいい形をデザインをすればいいだろうというんじゃないんですよね。社会そのものをデザインするっていうことなのだと考えます。社会をデザインするのを空間言語に翻訳してるのが建築家という職能だと思います。それがなくて、単にオブジェクトだけを作っているのは建築的な表現というアートでしかありません。

Y-GSAが都市的な考え方を訓練する場なのは、都市概念が建築を定義しているからです。建築というものを考える時に都市という概念が希薄になっている中で、今年のビエンナーレ日本館の展示で都市の構図を主題にした意味はあると思っています。できるだけ多くの若い世代の人に観てもらいたいですね。 

 

 

*1「新建築2007.08

*2「地域社会圏モデル」(INAX出版.2010.3)

 

インタビュー構成:山内祥吾(M2)、井上湖奈美(M1)、平林瞳(M1)、佐々木真海(B4)、田中建蔵(B4) 

写真:小泉瑛一(H21)

 

 




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