「身体感覚を呼び覚ます建築」
—宮さんは日本女子大学住居学科ご出身です。建築を学び始めたきっかけ、学生時代について教えてください。
子供のころから絵を描いたり工作したりすることが好きだったので、それを活かすことができる職業ということに惹かれて建築を選びました。
でも、大学に入ってすぐのころは、正直、進路を間違えたかな、、、悩みました(笑)。そんなとき、富永譲先生の基礎意匠という授業で、テラーニやアルドロッシ、そしてコルビュジエなどのスライドを、先生がその良さをとてもうれしそうに語られるのを聞いて、絵と同じように人の心理とか感覚に訴えることができるんだ、と分かって、はっとしました。
そして、まだ美大への再受験も考えていた大学2年の春休みにイタリアスケッチ旅行に同行して、立ち寄ったペルージァという中世の山岳都市で、ほんの10分くらいだったのですが、ひとり街を歩きまわった時、身体を動かすたびに刻々と風景が変わって身体を感じる喜びというのを初めて体験しました。空間を体験することを通して身体を感じる、建築はそういう事の出来る唯一のクリエイションなのかもしれないと、啓示をうけた瞬間ですね。
—大学卒業後レーモンド設計事務所に就職されたのはどうしてですか?
アントニン・レーモンドさんの日本のバナキュラー的な要素が入った建築が好きだったのと、最初はある程度大きい事務所で経験したいというのがありました。当時はすでにレーモンドさんはおられなかったわけですが、“人間の尺度によって、より単純に、より直裁に、より経済的に、心から創ること・・・“といった教えの言葉や、ディティール集や図面が残っていてそれを眺めたりして、そういった理念からつくられる空間の質みたいなものに影響を受けたと思います。
—その後スタジオ・アルテックで働かれますが、どのような接点があったのですか?
大学時代から当時「都市住宅」という雑誌によく掲載されていた“アルテックの仕事“に惹かれていて、たとえば室伏次郎さんの『大和町の家』などですね。居間の上にアーチ状の壁がどーんと渡っているのです。そして入居された状態で写真が撮られているのですが、大量の家具やものが入ってきても、空間の力強さや骨格が残っていて、その使われ方も非常に伸びやかで、生活も生き生きとしている。両方が幸せなのはどうしてなのかと感じていました。それでその仕事を学びたいと思い、アルテックにはいりました。実際に入ってみて、こんな楽しいところがあるのかと(笑)。
アルテックでは、どうやって空間と生活とのズレをつくるかということを学びました。建築という原型があって、そこに生活が後から入ってくる感じです。今でいえば、青木淳さんが「はらっぱ」と呼んでいる感覚に少し近いかもしれませんが、当時、そのようなことを云っていらっしゃる方はあまりいなかったと思います。機能だけに依存しない空間の原型をつくりだすことによって、新しい自由をつくりだす。漠然と感じていた室伏さんの建築の魅力がなんだったのかというのは入ってみてはっきりとわかりました。
—今ご自分でお仕事をされていて、設計のうえで意識されるポイントは?
究極的には、その為に計画されたものではないようにいかに計画するかということですね。
アルテックで学んだ“ズレ“=自由を産むことを、根本的につくる方法を探しているといってもいいかもしれません。いかに、路地のような、そのためにつくられたのではない場所を計画としてつくれるのか。
今は、その他者性を獲得するために、幾何学的な、たとえば、原点をヴォイドにした極座標を用いて壁を配列することで、たまたまばらまかれたような、偶発性を内包する方法を試みています。
そして、つねに意識しているのは身体性です。本来、動物的に場所を感知する能力を人間は備えていて、その楽しさを喚起できる場所として、立ち現したい。身体感覚を呼び覚ます、建築は唯一のメディアだと思うんです。
—個人住宅で身体的な感覚を感じてもらうためにどのような作り方をしているのですか?
外との関係、内との関係、人と人との関係によって、身をおく場所を探していくことができたり、使い方を発見したり更新したりできるような、あえていえば、林の中で居場所を探すようなイメージですね。そのために壁(柱壁)を散りばめているわけです。
また、街いく人にも、柱壁を介して中が垣間見られたり、ガラスに外の風景が映りこんだりして内と外が交流しているような場所になっていて、柔らかく開いていく関係が柱壁の散在によってできていると思います。みんな楽しそうに見上げていきます。
—今後はどのような設計がしたいですか?
今まで住宅で考えてきたことを、不特定多数の人が立ち寄れるようなスペースで実践したいですね。スケールは大きくても小さくてもよいのですが、より多くの人に、動物的に空間を感じて選びとる、その“楽しい感覚“を知ってほしい。
—動物的な感覚は実際の都市ではどのようなところで感じますか?
日本だと路地ですね。でも、再開発でそのような中世–近世の街路の記憶も消されつつあるし、一般的に日本では身体で応答できるところが街に少なく、また建物が閉じすぎているように思います。住宅地もそうですよね。
近代を通過することで、“個“の確立はできたと思うので、もういちど、部屋(個室)や家の境界をやわらかくしていくのが、現代の課題なのではないでしょうか。
朝パジャマを着たまま歯磨きしながら、隣人とガラスごしに“おはよ〜“と挨拶できるような関係がわたしの理想なんです(笑)。
先日の山本理顕さんの講演で、一住宅一家族になったのは、19世紀のフランスからだと知って、その歴史の浅さに驚き、わたしの理想もあながち荒唐無稽でないのかなと(笑)。
—どの作品も幾何学的な構造性が特徴ですが、構造家との協働はどのようにされていますか?
構造が全面に出ているように見えるみたいですが、構造表現主義ではないんです。壁(柱壁)のまわりにできる、“場所“であったり、壁によって発生する関係性であったり。一方、“もの“として、詩的に立ちあらわすことも重要で、そのために “もの“のあり方、力の流れ、つまり構造のあり方も、大切だと考えています。そこは、素朴な力の流れで成立させたい。なので、設計で壁の位置や構造(木造であるかRCであるか)などを決めた段階で、構造家の方に入っていただき、その構造的ストーリーに不合理がないかを、見てもらうといった感じです。『house I』もそうで、アラン・バーデンさんはほとんどもうやることがなかったと言っていましたが(笑)、RC壁と木梁の関係など、ストーリーを最後まで素朴で透明感ある関係で実現化するために、いい構造家との詰めが重要になってきます。
–横浜国大の教育をどう見ていますか?主にY-GSAに関して
横浜国大は、抽象化して考えることを体系的に教えていて、社会や市民といったコンテクストを深く意識しているところが特徴で、共感をおぼえます。
Y-GSAのスタジオの講評にはここ数年は参加していないので、最近の話は分からないのですが、横国の教育でいいなと思うのは、アカデミックな既成の枠組みで先生が教える感じではなくて、建築家と学生とが一緒に建築の現代における可能性を切り開いていこうとしているスタンスがあって、それも特徴だと思います。その象徴が横国の学生は先生を「さん」付けで呼ぶ。「先生」というのは教えるという一方向の関係性を強く表すと思うんですけれど、「さん」付けには先生も学生も一緒に考えていこうというリベラルな感じの表れですよね。
実は、10年あまり非常勤で横国に通っているので、なんか、横国卒業生のような錯覚というか、もうひとつの母校のように勝手ながら、感じています(笑)。関わった学生さんが後輩のような。。なので、今回、円錐会に入れていただけて、とても嬉しいです。
—学生時代に建築以外でやっていたことはありますか?
絵は引き続いて描いていました。好きな画家は、パウル・クレーでした。彼の絵は、とても経験的な絵で、ひとつの見方、ひとつのパースペクティブに収斂されない魅力があって、それは今の私の建築での理想の状態でもあります。体験がクレーの絵のようにモザイク上に同時に立ちあらわれてそれが等価に脳に定着するというようなイメージです。マチスも好きですが、数年前に開かれた彼の創作プロセスを展示した展覧会では驚きました。ひとつの線に、あれほどの思考とスタディが隠されていたのか、と。思えば彼も、建築的な画家ですね。関係性の人で、彼の絵に対するマニフェストの一文は学生時代から今でも時折読み返します。
—学生へのメッセージをお願いします。
学生という免罪符は強力で、いろんな場所に入りやすいと思うので、その期間にそれを使っておそれず、いろんなとこに潜入したり見に行くのがいいと思います。設計事務所や、見たい建物、他ジャンルの世界でもいいと思いますし。また、一方、一心に設計に打ち込む時間も必要だし、難しいですねぇ。
迷いながらもその時その時の自分を信じて精一杯進んでいけば、道が開けていくと思います。
インタビュー構成 : 北林さなえ(M2)、秋山照夫(M1)、佐藤大基(M1)
トップ写真 : Shinichi Yokoyama