Interview#011 吉村寿博


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吉村寿博

 

1969年鳥取県生まれ/1990年国立米子工業高等専門学校卒業/1995年横浜国立大学大学院修了/1995-2004年妹島和世建築設計事務所・SANAA勤務/2004年金沢にて吉村寿博建築設計事務所設立/2007CAAK: Center for Art &
Architecture, Kanazawa
共同設立/
2004-2009年横浜国立大学非常勤講師/現在、金沢美術工芸大学、金沢工業大学、金沢大学非常勤講師

 

 

 

吉村さんは、高専出身で学部2年生から横浜国大に編入されたという経歴をお持ちですが、大学に入って驚いたことは何かありますか?

 

高専って一昔前は技術者養成学校的な校風が強かったので、横浜国大に来てあまりの自由さに本当に愕然としました。まずは、建築学棟のエレベータの前に飾ってある優秀作品を見て、なんて奔放な学校なんだろうってすごく驚いた。一学年上の課題作品で内容までは覚えてないんだけど、とにかく度肝を抜かれてカルチャーショックを受けた。これでいいのかと思う反面、こんなに自由にやっていいんだとか色々思うところがあって、そのときにやっと自覚したんだよね。とんでもない所に来ちゃったなと(笑)。

 

2年の後期の最初の設計課題が、5m角の立方体空間を断崖絶壁の垂直面に考えるというものでした。建築は地面の上に立つものという概念を外して考えさせるという主旨なんだけど、最初、何を考えればいいのかさっぱりわからなかった。高専で学べなかった教育が始まった瞬間でしたね。

 

卒業後は妹島和世建築設計事務所に入社されましたが、どんなきっかけだったのですか?

M2の春先に、建築学会主催のワークショップがあったんです。3週間程の期間、妹島さん西沢さん、内藤廣さん、小嶋一浩さんという3組の建築家が来て、それぞれの建築家のもとに学生10名程が参加できるというもので、それに参加したんです。各々の建築家がそれぞれショートレクチャーを行い、その内容に関する課題を出し、参加した学生は一緒に活動したい建築家の課題内容についてA4一枚に考えをまとめるわけです。その後、3つのグループに分かれてプレゼンを行い、その結果参加できる人が決まるという選抜式のものでした。

 

妹島さん西沢さんが「今回は球について考えてみたい」とレクチャーで話して、その話が3人の中で僕には一番ピンと来たんです。その頃は内藤さんが『海の博物館』で建築学会賞をとった頃で、どちらかというと僕の中では内藤さんの方がメジャーな存在でした。妹島さんは『森の別荘』や『調布駅北口交番』を発表した頃で、岐阜県営住宅等を設計中でした。いまほど発表作品がたくさんある時期ではなくて、むしろそのワークショップで妹島さんたちのことがすごくよくわかりました。この体験は本当に良かったですね。

 

どんなところに魅力を感じたのですか?

すごく真摯に接してくれるんですよ。学生が作業している所にまめに来てくれて、時間を割いてエスキスしてくれて。一緒に時間を過ごしているうちに、本当に建築に対して真面目というか、真剣に接しているんだなということをすごく感じたんです。それが印象深くて。

その頃から妹島さん西沢さんの作品を詳しく見始めて、すごくおもしろいと思った。かなり興味が湧いて来て秋頃にバイトに2週間くらい行かせてもらって、最終日に事務所で働きたいという話をしました。

最初から作品のファンだったというのとはちょっと違って、人間性に魅かれたのが最初のきっかけですね。

 

「建築の力を信じる」とか一般的にも言ったりするけど、「建築で何がやれるか」ということを本当に考えていて、違う角度から攻めるとかはしないですね。ちょっと伝わりにくいかも知れないけど、正攻法だけで何でも解決できると思っているんだと思います。僕が感じるSANAAの美学です。そういった姿勢はすごく尊敬できるし共感できる部分。僕が一番良いなと思うのはその辺りですね。

 

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就職して、働き始めてからのことを教えてください。学生時代との違いはありましたか?

最初は本当に、心が折れそうになると言うか・・(笑)。色々な意味で未熟なわけですよ。当然何も分からなくて、とにかく何かやるのに時間がかかってしまう。わからないし、要領も得ないし、なんか全然役に立てていないなと思ったり。あとは、実施図面を描くのもとにかく大変で、こんなに細かく全てのことを決めていかないと建築って建たないんだなと痛感して。ものすごい作業量に感じてしまい、そのときは正直気の遠くなるような絶望感(笑)。いま思えば当たり前の事なんですけどね(笑)。

 

当時妹島事務所は何人いたのですか?

入社当時は妹島さん、西沢さん、先輩2人と同期の棚瀬くん、僕の計6人でした。技術的なストックが構築される前の段階で手探りでごりごりやるっていう時期で、ひとつのプロジェクトをみんなで分担して実施設計を進めていました。まだ手描きの頃で、妹島さんも平行定規を使って展開図とか描いてましたよ。

 

所長が展開図を?

でも、展開図ってすごく重要じゃないですか。いろんな情報が展開図に現れてくるから、それらを並列に見て総合的に判断することができるんですよね。展開図って切り離して誰かに頼みやすいというのもあるけれど、全体を押さえるという意味でとても重要な図面だなと感じています。

 

妹島さんから学んだことは何ですか?

粘り強いっていうのがまず一番です。本当に諦めないんですよね、最終的に時間切れになるまで何か考えている。だからこそ実現できたことって実はすごくいっぱいあって。

担当レベルでやってても、現場で困難なことっていっぱいあるんですけど、でもそれをまず担当が折れちゃ駄目。妹島さんと西沢さんは絶対に折れないので、僕ら担当がそれをなんとか実現しようと本気で思わないと駄目ですよね。諦めないで頑張っていると、なんとか解決方法が見つかって、協力してくれる人が出てきて、実現できる。この間まで製作不可能ですと言われていたようなものができたりする。

 

プロジェクトごとに必ずあるんですよね。こういったシーンが。でも毎回なんとか乗り越える。諦めないというのは単純なことなんだけど、すごく重要なことなんだと実感しています。そうしないと身にならないというのは本当によく分かりました。

 

西沢さんはどうでしたか?

怖かったですよ(笑)。自分が本当に未熟だったんだと思いますが(笑)。

僕は西沢さんに色々なことを教わりました。当時言われたことで実践してることがいくつかあります。

「メモはノートにとらない」っていうのは最初の頃に言われました。ノートって順番に書いていくものだからいろんな事柄が全部がごちゃまぜに時系列に記述されちゃうでしょ。それをお前は自分の頭の中で整理できるのかって話で。ルーズリーフとかだと、プロジェクトごとに別の紙に書いてファイリングして、それぞれ積み上げることができる、って言われて。僕は今でも仕事の書類は全部そうしています。

物事の整理の仕方とか、話の仕方、そういったことに対して西沢さんはすごく厳しかったですね。多分Y-GSAスタジオでも一緒かもしれないけど、説明が下手だと「何言ってるか分からない」ってすぐに言われるんですよ。言葉を選んでなるべく伝わりやすいように話すこと、それは西沢さんに注意を受けながら学んだ、すごく大切なことでしたね。

 

担当されていた金沢21世紀美術館は、どのように進められたのでしょうか?

妹島事務所には9年半くらいいたのですが、約半分は金沢のプロジェクトでした。

時間のかかるプロジェクトで、基本設計1年、実施設計約2年でした。最初にキュレーターの長谷川祐子さんからどんな美術館にしたいかというアイデアが色々出てきて、それをどんどん具体化していくという感じですね。与件がどんどん変わるので、追いかけながら設計が進みました。

 

あのくらいの規模で、街の中で重要な役割をもつ建物になると、基本設計が終わった時点で外部の有識者に意見を求めることになるんですが、いろいろな意見の中に迷路的すぎるという話もあって、基本設計からがらりと構成が変わっています。

 

実施設計の最後の段階では、金沢市の担当の方とランニングコストの観点から建物の共用率をいかに下げるかという話題になり、部屋と部屋の間の廊下スペースを確保することに苦心しました。平面が3mの構造グリッドにのっているので、誰でも設計変更できてしまうんですよね(笑)。最終的に現在のかたちになっていますが、互いの意見を含みつつ良いバランスでまとめられたと思っています。そんなやりとりも今となってはいい思い出ですね(笑)。

 

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独立する当時、金沢にどのような可能性を感じてここで建築家としてやっていこうと思ったのですか?それに関して今どのようなリアリティを感じていますか?

美術館が完成して、実際に使われていく姿を見たいということがありました。元々町家にも興味があって住んでみたいとも思っていたし、両極端なものがあるというところに、おもしろくなる可能性があるんじゃないかなと考えていました。変化していくであろう街を観察してみたいなと思ったんです。

建築については、金沢ってすごく遅れていると感じますね。地方ってみんなそういうものかもしれないけど、現代建築でこれというものがほとんどない。伝統とか工芸とか、とても歴史が強い地域だからかもしれないけど。そういう意味では、21世紀美術館ができたことによって、新しい建築の在り方をもっと広く一般の方に理解してもらいたいという思いがありました。

 

金沢の人は保守的だとよく言われるんですが、例えば空き町家があってもなかなか貸してくれないケースが多いんです。年配の所有者の方が多いんですが、知らない人がやって来て好きなように使われるのは嫌だと。気持ちは分かりますけどね。

町家を使って何かやろうとか、町家を買って住もうとかいう人は最近増えて来ているんですが、僕の知る限りでは石川県外の人が多いんですね。地元の人は昔からあるから価値を感じないのかも知れませんね。

金沢の人たちは伝統工芸にはとても敏感なんですが、建築も同じレベルで反応してもらえるよう、遅れている建築の分野をもっと引き上げていけるんじゃないかというポテンシャルは感じますね。

でも現実としてはまだ難しくて、徐々に、という感じかな。

 

僕も当然実作はなかったので、そんな人に頼んでくれる人もいなかった。感性が育っていて柔軟な考え方ができる人に近づくことで、完成度の高いものをつくっていければ。感性を持った人に共感してもらえるよう、建築として価値のあるものをひとつずつ地道につくっていくというのを今の目標にしています。徐々に効果が現れてきたのか、最近になってようやく、自分の感性に近い人が仕事を依頼してくれるようになってきたかな、と感じているところです。

 

金沢は文化が発達しているってよく言うけど、すごく特殊な方向にだけ発達しているような気がするんですよね。建築の分野に関しては遅れているなと、それは金沢で仕事を始めてやっとわかったことです。もっと感度のいい人がいっぱいいるんじゃないかと思っていたけど、実はそうでもないのかな?まだ出会っていないだけか?がんばって開拓していかなきゃいけないなと感じているところですね。

 

開拓ということと、CAAKCenter for Art and Architecture, Kanazawa)の活動はリンクしていますか?

そうですね。

CAAKの活動は僕の考え方の一部でもあるので、CAAKの活動自体を理解してくれる人ならば何か提案できることがあるのではないかと感じますね。

ネットワークを広げるというか。新しいことを感じられる人が増えていけばいいなと思っていますし、実際徐々に増えていると思います。美術館ができたことで県外から金沢への人の動きが出てきたし、地元作家さん達の活動も活発になったりしている。色々なことが徐々に、徐々に、動き始めたって感じです。全然成熟には至っていないんだけど、そういった動きが続いていけば色々な道が開けてくるかなと。金沢は発展の余地がまだまだあるなって思います。

 

金沢でこういうものを設計したらより良くなるんじゃないかと、今構想しているものはありますか?

「街の人が利用するもの」でしょうか。金沢って公共建築でいい建物があまりないと思うんですね。デザインの問題というよりは、使い方の提案が全くないということが問題かな。

建物の形は個人の好き嫌いがあるから好みの問題だけど、使い方を提案しないとやっぱり駄目だと思うんですよね。美術館の仕事に関わって痛感したんだけど、公共建築こそ人に使われるものじゃないといけない。人に愛される建物には街を変えていく力があるのだと思います。

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最後に、学生に向けてアドバイスをお願いします。

北山さんが凄くがんばったおかげで横浜国大は今、本当にいい状態だと思います。他の大学に出入りするようになって始めて実感したんですが、建築設計を学ぶ環境としては本当に素晴らしい。教育の中にしっかりとした芯がありますよね。先輩とのつながりも強い。ただ、それを当たり前だと思わないで欲しいのがひとつです。基本的に常に貪欲であって欲しいと思います。

あと立ち止まらないで欲しい。時間を無駄に使って欲しくない。これは自分の反省でもあるんだけど、常に何かをやってチャレンジして欲しいです。時間はどんどん過ぎていくから、一番時間がある学生のうちは毎日出かけて、どこかに行って、何か感じたものはメモして。なんとなく過ごすんじゃなくて、とにかく何かを意識的にすることがすごく自分の蓄積になると思う。横国の非常勤で教えていた2年生の授業の最初に「とにかく遊べ」って言ったことがあるんですよ。色々な経験をすることが、一見全然関係なくても、全部自分に繋がってくるから、そういうのを意識的にやって欲しいと思います。なんとなく過ぎていく時間が一番もったいない。あっという間に過ぎちゃうからね。

 

 

インタビュー構成:玉木裕希(M2)、藤末萌(M2)

写真:小泉瑛一(H22)、堀田浩平(M2


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