エストニア・タリン便り_2011.07.15


前回少し触れた、私のデザインしたアーバン・インスタレーションが今日(15日)の夕方オープンします。いろんなところから許可をもらうのに最後の最後まで走り回り、なんとかぎりぎり予定通りのオープンにこぎつけました。(LIFT11のフェースブック)


この建物 LINNAHALL(リンナ・ハル) は私が10年前、2001年の夏にエストニアにやってきたときに真っ先に驚かされた場所でした。この大きさ、形、落書きだらけの壁と世界遺産に登
録されている旧市街のすぐそばにもかかわらず忘れ去られたような場所。天気のいいときには、私も友人とよく飲み物を持って訪れ夕日を楽しみます。
旧市街の教会の塔が見えます。


場所的には、赤い屋根がシンボルの旧市街からすぐ海手にあるリンナ・ハル。画面右端に階段が見えます。


竣工直後の建物。

1980年のオリンピックに合わせて建てられたこのLINNAHALL(リンナ・ハル)はソ連時代、タリンの中心地域では最初かつ唯一の海へ近づくことの出
来る場所でした。海のないモスクワに代わり、セーリング競技がここタリンで行なわれました。ソ連時代はそれまで、軍事目的のために港や周辺の工業地帯は一
般の人々の立ち入りが禁止されており(下図の斜線部)、このタリンの街中では海に近づけるところがなかったのです。

二人のエストニア人建築家 Raine Karp (ライネ・カルプ)と Riina
Altmäe (リーナ・アルトマエ)によって設計された建築はタリン市の所有ですが、去年から閉鎖されており現在新しい使い方を模索中です。突貫工事の
ために最高のクオリティーでは建設されなかったことによる高いメンテナンス費用、マヤのピラミッドのような形、ソ連時代を彷彿とさせるスケールなどからこ
の建築の「自由」へと繋がる意味や意義が隠され、人々から忘れられつつあります。

私は今年のヨーロッパ文化首都のメインテーマ「海へ開くタリン」に沿って、このインスタレーションを通じてリンナ・ハルの過去、現在そして未来を再発見するとともに、「自由」の価値を考えられたらと思っています。

もともとコンペの際のアイデアはこのように屋根の上に、建物の持つ「階段」のエレメントを拡張して工事用の足場を組んで16メートルの高さまでさらに上るというものでした。

備え付けの自転車をこぐことで、夜には階段をライトアップすることも考えていました。

詰めていく段階で、費用などから徐々に高さが減り、さらに構造エンジニアといっしょに元設計図を片手に屋根裏にのぼり調査した結果、新たな加重を負担でき
るようには設計されていないことが判明。大掛かりな補助をいれないと、人々が自由に上り下りできるようには出来ないことがわかりました。

この時点で妥協して設計変更をするか、インスタレーション自体をやめるかの選択をせまられました。そんなある朝、リンナ・ハルの屋根に上り、海側の階段の
脇で日光浴をしているところにアメリカ人カップルが町の側からやってきました。バックパックを背負った彼らは、海側の階段に到着するなり「わー」と叫び、
階段足元にあるフェリー乗り場に駆け下りていきました。そこで気がついたのはこの海側の階段に到達する道行とその到着の瞬間、これこそがこの建物の一番強
いメッセージだということ。これこそが自由に繋がるインスタレーションをすべき場所だと確信しました。

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