エストニア・タリン便り_2011.08.09


先週の日曜日、タリンの公園に日本庭園がオープンしました。

 



オープニングセレモニー。左からカドリオルグ公園代表のアインさん、副市長、日本大使の星さんと大使館職員のタイミさん、そして曽根さん。

このカドリオルグ公園は、ロシアのピョートル大帝により建設されたイタリア・バロック様式の公園で、設計はサンクト・ペテルブルグでも活躍したイタリア人のニッコロ・ミケッティによるものです。公園の建設は北方戦争(1700~1721年)の最中、1718年に開始されました。北方戦争後、スウェーデンに代わり、エストニアはロシア帝国の支配下に入ります。「エカテリーナの谷」を意味するカドリオルグ公園の名前は、ピョートル大帝の后エカテリーナ1世に由来しています。(参考)

市内から歩いて15分の距離にあるこの公園には、現在は美術館として使われているエストニアバロック式建築の代表格の元宮殿、現エストニア大統領官邸、現代美術館などが並ぶ市民の憩いの場所となっています。私も近くに住んでおり、よく散歩に行きます。

ここにくると、エストニアに着たばかりの頃友人との散歩途中で、森についたと思ったら、実はエストニアの感覚では公園だったという、スケールの違いが面白かったことを思い出します。氷河期に遠くから運ばれたきた花崗岩が苔むしたりしていて、なんとかくこの湿っぽい感じが日本を思い起こさせるとなんとなく思っていたところです。

さて、この庭園計画がはじまったのは2008年。メインデザイナーは京都で造園事務所、曽根造園代表の曽根将郎(そねまさお)さん。

オランダのハーグにある日本庭園の手入れの仕事を始めたのがきっかけでヨーロッパに何度か足を運んでいた曽根さん。エストニアの日本大使館に庭園計画の相談があったころ、ちょうどハーグの日本大使館にいた方がこちらに赴任して来てて、そのつてで紹介されたそうです。

全体計画としては、もともとあった池の改良工事が第一期、植栽と歩道や橋までを第二期、茶室や門を作るの第三期と分かれており、今回オープンしたのは第二期までの部分です。2009年年明けに、全工程を含めた入札を行なうためにエストニア語の図面が必要になり、私の元に協力の以来が来ました。日本建築のいろいろな部材をどうやってエストニア語に直すか苦労しました。

さて、リーマンショックの影響で止まっていたプロジェクトは今年に入って動き始め、5月には曽根さんが来て歩道周りの石の配置をし、7月には二人の職人さんとともに、一月かけて最後の詰めをしていました。この計画に使われている石はこの公園敷地内にもともとあったもの、植栽はエストニア、ポーランド、オランダから取り寄せられたものと聞いています。

石をくんでる最中、曽根さんは何度も橋のたもと、歩道のコーナーなどからの眺めを確認していました。庭はとても身体的なもので、体の動きやや視線の流れと関係しているということを実感しました。あと面白かったのは庭や橋を造る工程が見れたこと。橋はどちらかというとなにか木造のような作り方ですね。

もちろん周りの日常からとちょっと切り離すことや、維持することや手入れをするのが大変なためか、普段は日本にある日本庭園やオランダのハーグの庭園周辺には柵があります。しかし、ここはもともと人々が気軽に散歩し、通り過ぎていくことが出来たため、柵を出来るだけ作らずにおきたいという意向がありました。もちろん荒らされたりしないかと管理事務所は心配をしていますが、現時点では周囲には柵もなく、垣根もどきの植え込みで縁をみせているだけです。茶室や門などができたら柵が出来るとは聞いていますが、このような敷居の低い庭園のあり方も面白いのではと思ってます。緯度的には世界で一番北に位置しているかもしれないタリンの日本庭園。既存の大きな木の間で、今回植えられた木が2,3年かけてもう少し大きくなり、曽根さんの手入れが必要になったころにはどうのような形になっているのか楽しみです。


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