武蔵小山にstudio4というイベントスペースがあります。
武蔵小山から新しいクリエイティブ・ウェーブを巻き起こすべく、
建築家伊藤暁さんが共同運営するイベントスペースです。
9月30日この会場にふさわしい刺激的なレクチャーが行われました。
エストニアで活躍される建築家林知充さんによるレクチャーです。
林さんは横浜国大卒業後アメリカへ留学、ラファエル・ヴィニオリ事務所勤務後
エストニアにて設計事務所を主宰し、博物館、オフィス、集合住宅、住宅といった
数多くの作品を手掛けます。
ミース・ファン・デルローエ賞に入選するなど今、世界から注目される
エストニア発日本人建築家なのです。
以下レクチャーレポートです。
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日本人離れした切れ味の良い作風が印象の林氏のレクチャーは
2007年に手がけた倉庫からオフィスへのコンバージョンプロジェクトを皮切りに始まる。
レクチャーでは新築、増築、インテリア、インスタレーションといった
様々な規模や用途の作品が紹介された。
それらの作品に共通する林流のスタイルは個人的見解により、
ざっくりとまとめてみると以下のようになる。
① 国や地域、敷地といった”環境”や、歴史という”時間”をコンテクストとして
注意深く読み取り、設計へのアプローチが非常に誠実である。
② もとある風景に対して強いコントラストを持った風景を作り出すことによって、
もとの風景も含め生き生きとさせる構想力、表現力を持ち合わせている。
①はドイツや旧ソ連をはじめとしたさまざまな国に占領されてきた歴史や、
古い都市が数多く残るエストニアという国を拠点として活動していることを考えると
当然なのかもしれない。
このアプローチが北の小国の持つ複雑な背景を引き受ける。
②は絵画の塗り重ねの技法を例に挙げる氏の言葉によく表れる。
もとある環境に新たに手を加える場合、それは”新たに加えられたもの”として
表現されるべきだという。
この新旧のコントラストこそ氏の作品の瑞々しさの源だ。
例えば倉庫街の再開発地区にコンバートされたオフィスビルRotermanni Jahuladuでは、
倉庫のポツ窓を現代的に解釈した開口と、もともと倉庫群で多用されてきた鉄の工法の
現代的な解釈によって、環境と時間の堆積に敬意を示す。
鮮やかに錆付くコールテン鋼に放たれたリズミカルな開口を持つ外観は
旧市街地に生き生きとした息吹を吹き込んでいる。
例えば旧ソ連の軍事施設で行われた空間インスタレーションでは
当時の人々が感じたであろう五感を体験できる施設として作品に昇華させる。
設計当初は上方に伸ばしていたデッキが申請上実現困難となり、
デッキの水平方向への展開に変更している。
結果的に水平性が作り出す空間の緊張感が周囲の風景と程よい対比をなしている。
既存住宅の雰囲気を継承し視線や既存樹を丁寧に考慮して増築した
音楽家の家Muusiku majaも、自身の設計した冒頭のオフィスに設計した
インテリアデザイン2題も、その他いずれの作品も、注意深いコンテクストの読み込みと、
鮮やかなコントラストの創出によって新しい環境をつくりだすという共通点が見られる。
林氏のレクチャーは時折タリンの街並みの写真や、都市や建築を取り巻く
エストニア事情の解説が入る。その眼差しにはエストニアに対する愛があり、
現地を拠点とする生活者の視点があると感じた。
この視点こそが環境や時間のコンテクストを注意深く読み解くことを可能にする
鍵なのかももしれない。
そして違和感なく建ちあがる林流の革新的なデザインを可能にしているものが
ヨーロッパ特有の都市計画の特徴であることも知った。
ヨーロッパのマスタープランは日本やアメリカの単なる用途の色の塗り分けである
それとは異なり、建築家を含んだ委員会によって、マスタープランニングと
ディテールプランニングとが連続的に検討されている。
市民の意識も高く、健全な建築を皆の判断でつくっていくという機運があるという。
実にうらやましい街のあり方だ。壁に映写されるタリンの美しい街並みが
この手続きを経てつくられたことを知ると、妙に納得してしまう。
***
レクチャーの体感後に感じる林流の魅力は、やはり体感前に感じていた
建築に対するアプローチや表現手法が、日本人離れしているという点であった。
それはエストニアという風土によるものかもしれないし、氏のバックグランド
によるものかもしれない。
ふとエストニアで活躍する日本人建築家には、日本や日本人であることが、
どのように作用しているのだろうかという疑問が沸いてきた。
そして最後に、”日本という国や国籍を意識することはあるか?”
という質問を林氏に投げかけてみたところ、次のような回答が返ってきた。
日本に帰国した際は必ず日本の建築を見て回るんですよ。
そうすることによって建築に対するモチベーションを自ら奮い立たせて、
負けないぞという気持ちでエストニアに帰るのです。
なるほど林氏にとって日本人というアイデンティティは
活動のエンジンとして作用していたのだ。
それは海外を主戦場として奮闘する者のみが持つことが許される特別な意識だろう。
そしてその孤高感がさらに作品のオリジナリティを高めているのだと感じた。
これからも”林流”から目が離せない。
林知充さん
※林氏は現在ユニコーンサポートにてブログ執筆中です。
http://www.unicorn-support.info/tomomi_hayashi/
垣内崇佳