エストニア・タリン便り_2011.10.30


今日から時計を1時間もどし、冬時間になりました。

現在取り組んでいるコンペの敷地の周りに木造住宅が並んでいることもあり、今回は趣向を変えて、エストニアの木造住宅についてお話したいと思います。

旧市街を取り巻いて17世紀から徐々に人が家を建て始め、19世紀後半から20世紀にかけて現在残っているような街路のように形作られていった木造住宅からなる「郊外」がありました。
このリング状の場所は、新市街地の発展や、1943年と翌年のソ連軍による空襲、そしてソ連時代の大規模の工場開発などにより少しずつ性格が変わっていきました。
ソ連時代にはほとんど手入れをされなかった木造住宅はひとつ、またひとつと倒壊するものもあったそうです。今現在、19世紀後半から20世紀にかけて形成された街路と建物の雰囲気を残している場所を保存、発展させるべく、柔らかな規制をうたった「テーマプランニング」を提示された場所を下の図では示しています。
私がこの10年間の間に住んできた場所はこの地域と重なっており、散歩するにぴったりのお勧めの場所です。
木造といってもいろんなものがあります。ほとんどの建物は戸建て住宅ではなく、8世帯ほど入るアパートです。これはアール・ヌーボーの影響があります。
この質素な建物にも住んできたことがあります。タリンに移り住んだ労働者が自分で建てらしいとアパートのオーナーは話していました。
1930年代にできた「タリン住宅タイプ」という形式があり、これは建物の中心にある石造りの階段室によって防火、避難対策に役立てたものです。
さてこの木造住宅群は日本の在来工法や2x4工法とは違い、いわゆるログハウスのような作られ方をしてきました。木材が豊富に取れ、熱伝導率の低い木は寒
さ対策にもぴったり、みなが慣れ親しんだで道具を用いて作るのがいいわけです。地方に住んでいたエストニア人が町に移ってくるときに自分の森から木を運ん
で自分で作ったとも言われてはいます。初めのうちは「組木造」というか「エストニア在来工法」については私自身よくわからなかったのですが、こうやって改修工事をみるとよくわかります。
こうやって外にある下見板をはずし、痛んだ屋根組をなおし、断熱材を入れて直していきます。屋根組みを70センチほど上げて、屋根裏に住むように改修する
ときもあります。文化財指定されていなければやわらかい規制の中で変更が出来ます。地区を愛する人たちが、地区の雰囲気の保存のため、手間をかけて「地」となる建物たちをひとつひとつ直していっています。この10年でだいぶ小奇麗になってきました。
次回は現在すんでいる建物(写真下)と中を紹介したいと思います。


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