8月に入ってから私的なコンクールソを2つ仕上げ、なけなしの社交性をもってして友人宅でフィエスタを催し、今日は久しぶりに静かな休日である。そうこうしている間に念願の労働ビザが届き、これで私はまた一歩チリ人に近づいた。これはチリという国に滞在するためのささやかな記録である。
<査証 _ VISA>
チリに滞在するためのビザは大きく3種類に分かれる。
① 観光ビザ(ビザなし)
② 短期滞在ビザ(6カ月~)
③ 労働ビザ(1年~)
まず①の観光ビザ。といっても日本国民であれば観光のためのビザ取得は不要である。だが、ビザなしでの滞在は90日以内に限られている。ただしこれにはちょっとした抜け道があって、それは一度近隣諸国(もちろん遠方でもよいのだが)に出国して戻ってくれば、また滞在日数がゼロからカウントされるということだ。例えばここサンチアゴ(チリ)からアンデス山脈の国境を越えたところにメンドーサ(アルゼンチン)という穏やかな町がある。大体夜行バスで6~7時間。87日目の金曜の夜に出発し、土曜日と日曜日でたらふく肉を食べて、月曜の朝にでも戻ってくれば、何食わぬ顔をしてさらに3カ月滞在することができる。実際にこの方法で滞在を延ばし延ばしにしている人に何人も出会ったりもした(日本人に限らず)。かつてはヨーロッパもこのような状況であったようだが1985年にルクセンブルクで制定されたシェンゲン協定によって事情は幾分複雑になってしまったようだ。ただしこれは公的に推奨されている手段ではないのであくまで自己責任の元での行為であるということを言い添えておく。本当にウマい話は世の中にそんなに多くはない。
次いで②の短期滞在ビザ。これは研究、勉学、ボランティアなど給与の発生しない滞在のためのビザである。昨年プラクティカで来た時はこの種のビザを取得した。東京の田町にあるチリ大使館でしかるべき書類を提出すればおよそ2~3週間で取得することができる。しかし凡庸なオフィスビルのワンフロアでつつましく活動するチリ大使館と、その近くにある豪華絢爛な庭園を持つ格調高きイタリア大使館とを比べると、あらためて日本におけるチリという国の認知度の低さをマザマザと感じさせられたものだった。
そして③の労働ビザ。これは文字通りチリ国内での労働のためのビザである。チリで長期的に滞在を望むのであればどうしても手元に置いておきたい。これを手に入れるために足繁く移民局に通い、3分の問答のために3時間待ち、2割ほどの理解で手続きをすすめていく。彼らにはあまり英語を話すという選択肢を持ち合わせていないようだ。おかげで「公証人役場」や「外務省で合法化」、「国際警察で手数料を支払わなければいけない」といったスペイン語を覚えたし、移民局を出しにしてのんびりと出社するというチリ人らしいズル賢さも身についた。
<移民局 _ inmigración>
しかし自分が移民になって改めて感じさせられたのだが、日本人にとって「移民」という言葉の響きには多分にネガティヴなイメージが付きまとっているのではないかということだ。少なくともこれまでの自分にとって。きっとこれは裕福な島国家日本特有の国際感覚なのだと思う。例えばプロ野球で活躍するような外国人を見て「やっぱり移民はいい球投げるなぁ。」とは思わないし、外国の雑多な港町の物乞いを見ると「やっぱり移民かなぁ。」と思ってしまう。しかしここではボリビア人も、ドイツ人も、ペルー人も、フランス人も、コロンビア人も、スイス人も、そして日本人も、やはり皆「移民」なのである。
<オフィス街にて _ en la zona de oficinas>
<コンプレート屋にて _ en la completeria>
<地下鉄にて _ en el metro>
スミルハン・ラディックは自らのルーツを語るとき、しばしば彼の祖父について言及する。そう、彼の祖父はクロアチア人で、かつて船でチリに渡ってきた移民なのだ。そしてその移民特有の環境適応能力について言及する。彼らはひしめきあう船の甲板や乾燥した荒野、そうした状況においてもささやかなテントや小屋などを、簡素な材料を用いて自らの空間をつくり上げる。そしてその簡素さゆえに必然的に外部環境との接触を持たざるを得ない。拒むことのできない光や風。それがもたらす避けがたい美しさ。そういったものが彼が妙に膜材を好んで使う要因のひとつであり、彼の唱える「儚き構造体= fragile structure」というものだと理解している。
<バーリ(イタリア)―ドヴロヴニク(クロアチア)航路 09年夏_ Bari(Italia)–Dubrovnik(Croacia) verano 2009>
自分の長所をひとつだけ挙げろと言われれば「営巣能力の高さ」と答えるようにしようと思う。分かりやすく言うと比較的如何なる場所においても、とても手際よく、ある秩序立った、原田好みの環境を築き、うまく身をなじませることができる。それは周囲の環境と調和するといったニュアンスとは少し異なる。むしろどちらかというと独立している様でもある。あくまで自分のための巣なのである。これは。
<原田好み _ favoritos>
昨年の夏に真冬のチリから帰国した私は家も金もなかった。わずかな日本円とわずかなチリペソ、そして幾らかの書籍。しかし諸事情により卒業が先送りにされた私はもうしばらく横浜におらねばならず、あきらめと好奇心から3カ月ほど大学で暮らし始めた。文字通り。製図小屋の机の下の埃っぽい暑気の中で目覚め、キャンパスの外れの体育館でシャワーを浴び、天気が良いとついでに洗濯をした。見知らぬ後輩の視線を背中に感じながら小屋裏で洗ったものを干す。空腹を満たすために学食へ行き、午後はキャンパス中央の図書館の視聴覚スペースで映画を見る。俗物のシリーズものから、難解で美しいものまで。暗くなるとチェレステカラーのビアンキで街をさまよい、適当に電源がある所に落ち着き修士論文を書く。そしてまた義務的に製図小屋に帰還する。今思うとあの3カ月の暮らしそのものが大学院で一番実験的な行為だったのかもしれない。結局7年近くも横国にいたのに大した建築の社会性も都市へのまなざしも身につかなかったけれど、この営巣能力と地球の裏側の才能の塊みたいな人に引き合わせてくれただけでも十分に感謝している。
今日も彼は口笛を吹きながら難しい線を引く。
<製図小屋ygsa _ taller en mi universidad>
fotografía; Yuji Harada