interview#019 大西麻貴


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大西麻貴

1983  愛知県生まれ/2006
京都大学工学部建築学科卒業(竹山聖研究室)/2008  東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了/2008大西麻貴+百田有希 / o+h 共同主宰
/2011
年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程単位取得退学/2011横浜国立大学Y-GSA設計助手

—-どうして建築を学ぼうと思ったのですか?

 

中学生の時初めて行ったヨーロッパがスペインでした。アルハンブラ宮殿やトレドの街などを訪れ、それまで体験したこと無い濃密な空間体験に感動しました。ガウディの建築もたくさん訪れたのですが、中でもサグラダファミリアでは、建築家の死後も大勢の人がその思いを引き継いで建設を続けていることに驚きました。将来完成するサグラダファミリアはもしかしたら当初ガウディが構想したものとは少し違うかもしれないけれど、そんなことはどうでもいいと思えるくらいの圧倒的な思いが集結している感じがあった。建築家個人を越えて、色々な人がその思いに賛同して、一つの夢を実現していくのは凄い、建築って面白いなと思ったのがきっかけですね。

 

 

—-大学で特に印象に残った課題や人との出会いはありますか?

 

一回生の時、図学の先生が授業中に「窓の外の緑が綺麗ですね。君たちもこんな教室で座っているんじゃなくてもっと本当に美しいものを見るために街へ出なさい。授業なんて出なくていい。」とおっしゃったんです。それが私にとっては目から鱗で、大学に行かずに街に出て、行きたいところに行くようになりました(笑)。なんだか初めて自分の足で街に出た感じがして、京都の街はとても印象に残っています。

 

 

—-卒業設計ではどのようなことを設計されたのですか?

 

卒業設計ではそれまで体験したことのある、自分の好きな空間が全部集まったようなものをつくりたいと思いました。細長い場所と古本屋さん巡りが好きだったこと、また「住まうこと」は自分にとってリアリティが感じられたことから、図書館と集合住宅をかけあわせたようなものを細長い空間で提案しました。同時に、時間を越えて、美しく廃墟になっていけるような強い形をつくりたいと考えました。敷地は名古屋だったんですが正直なところ敷地のことにはほとんど関心が無く、まるで宇宙船が着陸したかのような唐突な提案だったと思います。模型はとにかくたくさんあって、そして巨大でした。平面図がちゃんとかけていなかったため、先生には叱られました。

 

 

—-その後大学院は東京大学に進まれましたが何か大きな変化はありましたか?

 

京都では課題でも割とポエティックなことをテーマにすることが多かったような気がします。例えば私が4回生の前期で取り組んだ課題は「ポエジーと建築」というタイトルでした。東京へ来て設計課題を見た時、リノベーションや街づくりなどどちらかというと現実的な課題が多くてたいへん驚いた記憶があります。

 

 

‐‐修士ではどんなことをされたのですか?

 

自由な研究室だったということもあり、あまり大学へは行っていませんでした。M1の夏に福岡で開催された伊東豊雄さんのワークショップに参加し、ぐりんぐりんのある公園の中に「地層のフォリー」というあずまやを設計しました。その他にも、ご縁があっていくつか実施のプロジェクトが始まり、M1の秋からは「千ヶ滝の別荘」という週末住宅の設計に取り組んでいました。この辺りから、今のパートナーの百田とも本格的に一緒に設計するようになりました。ただM1,M2を実施設計の真似事で終えてしまって、もっと違うことをやっておけばよかった、もっと勉強しておけばよかったと少し後悔しています。

 

 

—-修士が終わって、博士に進まれたのはどうしてですか?

 

修士が終わるころ、このまま独立して設計をやっていこうか、どこかのアトリエに就職しようかと迷っていた時に恩師の藤井明先生が「ドクターに来てもよい」とおっしゃってくださったのです。それでパートナーの百田と相談して、残りの仕事を私が引き受けて進学し、百田は伊東事務所に就職することにしました。藤井研究室は、研究をする人と建築家として活動しながら在籍している人が混じり合っているような研究室で、そのような自由でアカデミックな環境を与えて頂いたことにとても感謝しています。

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—-「千ヶ滝の別荘」はどういう経緯で仕事が入ってきたのですか?

 

父の旧友が別荘の建替を頼んでくださったんです。その頃「地層のフォリー」を設計していた時で、構造設計家として新谷眞人さんが、監修として九州の建築家の矢作昌生さんが実施設計のことなど教えてくださっていました。新しくプロジェクトを始めるに当たって、新谷さんと矢作さんにお願いして引き続き協力していただくことになりました。その後、今にいたるまでほとんどの作品をお二人に協力していただいています。

 

 

—-「千ヶ滝の別荘」はどのような事を考えて設計されましたか。

 

初めは森の中で、動物のように自然に佇むようなものを作りたいということから考え始めました。四角い形で進んでいましたがもう少し自由にやってみてもいいのかなとある時思い直し、お施主さまに現在の案の原型となる模型を持っていくと、とてもへんてこなものだったにも拘らず、それでもいいよと仰って下さったんです。私はすごく可愛い手乗りフクロウのような形ができたと思って構造の新谷さんの所に持っていくと「里芋」って言われてしまって・・・、少し抽象化しないといけないと思い、現在の案に近づいていきました。その時に提案した縄文的な形にはしばらく思い入れがあったんですが、屋根の裏まで柿葺きを貼った模型を竹山先生に見て頂いた時には「気持ち悪い、虫の腹みたいだ」と言われてショックを受け、軒裏と天井を白くしました(笑)。この頃は模型が出来たらよくいろいろな人のところに持っていってアドバイスを頂いていたように思います。

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 千ケ滝の別荘 撮影:繁田諭

 

 

—-そのあとすぐに独立されたのですよね?大学を出るときにアトリエ事務所に行こうとは思わなかったのですか?

 

自分の仕事もあったし、でも誰かの元で学んでみたいっていう気持ちもあって、その時Y-GSAの設計助手の募集を知り、Y-GSA4人の先生方は私がすごく尊敬する人々だったので、ここなら自分の仕事もできるし、私の憧れていた誰かの元で建築を学ぶということも出来るのかなと思い応募しました。

 

 

—-実際Y-GSAに来られてどうですか?

 

私は大学院に入ってから設計の教育を殆ど受けなかったので、すごく新鮮で勉強になっていると思います。四人の建築家の先生方の隣で、その考え方に触れられたことは私にとってかけがえのない時間だったと思います。皆さんは自分の設計を通して、体当たりで先生とやり取りできるのですから、本当にうらやましいです。この二年間を通して、私自身ももっと新しいことを考えたいと思うようになりました。

 

 

—-独立して1作目が「二重螺旋の家」ですか?

 

そうですね。敷地は東京の谷中です。谷中には魅力的な路地や、寺、緑、古い木造家屋などがたくさん残っておりそれらの魅力的な場所のネットワークをさらに浮かび上がらせるような住宅をつくりたいと考えました。

敷地は旗竿敷地だったのですが、普通の旗竿敷地と違って路地が二本接続していたのが特徴でした。周囲を住宅に囲まれたとても閉鎖的な場所であると同時に、どこまでもつながっていく道の一部でもあるような相反する性格のある土地だと感じ、まずはそれをコアとチューブという明快な建築の構成に置き換えてみようと考えました。コアの内部は要素が削ぎ落とした抽象的な空間、廊下の方は谷中の路地のようにモノが付加されていくことでより魅力的になるような空間、というようにまずルールを決めました。仕上げや家具、建具もそのルールに沿って決めているのですが、そういった明確なルールを設定しながらも、それぞれの場所の居心地の良さや、使い勝手を検証する過程で、最終的に実現された空間はそれらが混然一体となっていると思います。

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二重螺旋の家  撮影:中村絵

 

 

—-敷地から明快なロジックを得ている「二重螺旋の家」ですが、クライアントの方の要望はどうでしたか。

 

お施主様からは「ギャラリーのような家をつくりたい」という要望をもらいました。それまで美術館を設計したことはなかったので嬉しくなり、「美術館をつくるつもりで設計してもいいですか」と聞いたら、「いいですよ」とおっしゃったんです。まずは住宅であるということを保留にして、いろいろな場所のある建築を設計し、そこにどう住むかは一緒に考えましょうという風に進めていきました。初めてのプレゼンテーションのとき、打合せ三日前ぐらいになってもこれだという案が見つからなくて、それまで図式的すぎるかもと敬遠していた最終案に近い案を持っていくしかないという状況になったんですが、場所のスケッチを沢山書いていくうちに「これならいけるかもしれない」と思ったんです。お施主さんにびっくりされるかなと思ったのですが「すごくいいと思います」と仰って下さいました。その時はとても嬉しかったです。

 

 

—-千ヶ滝の別荘」やこれまでのインスタレーションは、地面から浮かび上がるような造形が多いと感じていたのですが、「二重螺旋の家」はすごく地に付いている感じがします。何か心境の変化があったのですか。

 

浮かばせると、形がくっきり見える気がしているのですが、「二重螺旋の家」はそういう置き方をする敷地じゃないなって思いました。千ケ滝の別荘では、例えば鹿やフクロウといった森の動物が風景の中に溶け込みながらもその姿がくっきりと際立っているように建築を置きたいと思ったのですが、二重螺旋の家はもっと地面からずるっとつながっているというか、もともと旗竿敷地で外観の無い家になることが分かっていたので、街と連続的に内部空間だけが存在しているような家にしたいと思いました。私は佇まいという言葉が好きなのですが、それは「建築と風景が特別な関係を結んでいること」だと思っています。

 

 

—-Y-GSAに来てArchi+Aid(東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク)に関わったことによる影響ってありますか。

 

あると思います。例えば、造成の方法や敷地の割り方までさかのぼって、建築の在り方や新しい風景の生み出し方について考えるといことはそれまで体験したことのないことでした。浜の方々と、直接向き合ってお話しするという体験も大変心揺さぶられることでした。

 

 

—-今はどんな仕事をされていますか。

 

東北のプロジェクトが多いです。Y-GSAでの鮎川浜の活動はこれからも継続して関わりたいなと思っていますし、そのほかにも気仙沼では高橋工業さんをはじめとした地元のキーパーソンや滋賀県立大学の陶器先生たちと一緒に民間の力で一軒ずつ街を復興しようとしています。また東松島では伊東豊雄さんと一緒にこどものみんなの家というこどもの遊び場のような場所をつくっています。私はY-GSAのスローガンである「建築をつくることは、未来をつくることである」という言葉がとても好きなのですが、東北に通っていると、この言葉が本当に実感を伴って感じられる気がします。おじいさんやおばあさんが笑いあい、お母さんたちがにぎやかにおしゃべりをし、お父さんが心楽しく家路をたどり、子どもたちがすくすく育つような、豊かであたたかく、滋味深い未来を、その場所にいる方々と一緒に、真剣に考えてみたいと思います。

 

 

—-最後に学生に一言お願いします。

二年間、学生の皆さんと建築について悩み、考える時間を共有できたことをとても嬉しく思います。ありがとうございました。皆さんの、常に真摯に問題に取り組み、あきらめない姿勢はたいへん素晴らしいことだと思います。

 

インタビュー構成:石飛亮(M2)、澤伸彦(M1)、森本一寿美(M2)
写真:澤伸彦(M1
 

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