ようやく春が訪れたタリンはたいへん気持ちのいい日が続いています。
大学では卒業設計の発表が2週間後となり、さらに事務所のほうではアパートの現場も山場を迎えており、大変忙しい日々を過ごしています。
今回は前回につづき、モスクワについて書きたいと思います。
今回の研修のメインはロシアン・アヴァンギャルドの建築家たちの作品。もちろん1日目には、モスクワの歴史、そして政治の中心である赤の広場やクレムリンにも足を運びました。
右手の白いテントはアレクセイ・シューセフ(Alexey
Shchusev)設計で、現在改修中のレーニン廟。左手はロシア最大の百貨店グム(1893年完成)。
とても気持ちのいい、余裕のある建物。美しいアーケードの屋根の設計はウラジーミル・シューホフ(Vladimir Shukhov)。
3層からなるこの巨大な建物は、巨大な街区を形成していて、現在はおしゃれなブティック等が200店ほど入居しています。
高層棟と周囲のリング状の配置の低層部が、このタイプの建築のお手本のような構成をしています。細かなヴォリュームの操作も巧みです。基壇の下の部分は駐車場。時計塔として屋根上の飾りもここまでやるかという感じで精巧につくりこんであります。
プラザからは高層ビルが立ち並ぶモスクワ・シティーが望めます。
次に、3日目に会う現地ガイドのニコライが薦めてくれたテキスタイル学校の寮(設計イヴァン・ニコラーエフ、Ivan Nikolaev、1931年)を見に足をすすめました。
全体像を示すポスターは半分朽ちかけた建物の下に。そして工事現場の柵の向こうに改修された寮の一部分が見えます。
このシャープなリボン窓と円を描いた階段室の組み合わせが目に留まります。学部長が現場監督と交渉し、工事現場を見せてもらえることになりました。
先頭にいる毛皮をきた女性は、色や仕上げに対して責任を持つ専門家。(この服装、ちょっと不似合いだと思うのですが)
改修された部分の廊下。各階ごとにテーマ・カラーがあります。完成当初4人部屋だったのは2人部屋へ。しかし全体として個人としてのスペースはミニマム、全体としてのスペースはマキシマムというコンセプトは保存され、また大学寮として使われます。モスクワはこの時代の建物の保存、再生の状況は非常に悪く、この建物は運よく予算が付いたのだと話してくれました。
禁欲的なプランニングとスレンダーなプロポーションがほどよい調和をもたらしています。改修工事中の棟を見ると、飛び出したバルコニーを支える鉄骨が新しく取り付けられていました。
徒歩移動中はとにかく、足元が悪かったです。少し暖かくなって解けた雪が壊れた歩道に水溜りをつくり、さらに歩道に駐車している大きな車が邪魔をしており、本当に大変でした。次の目標がアパート越しに見えてきました。
1日目に訪れたグムの鉄骨の屋根を設計したシューホフによる「シューホフ塔」と呼ばれるラジオ塔(1922)です。
スレンダーな鉄骨でできた高さ160メートルの双曲面(ハイパーボロイド)構造の塔は、1967年にオスタンキノ・テレビ塔ができるまではテレビ放送を送信していました。設計当初は350メートルだったらしいのですが、建材がたらず、この高さに。建設途中の1921年に4番目のセクションが落下し、工事が遅れるなどの数々の困難があったと聞いています。素晴らしいの一言。柔らかい構造で風の影響を逃がしています。
リングの下から覗くとこんな感じです。
建設当初の技術や突貫工事による問題より、後の改修などによるダメージが大きく、塔の倒壊の恐れが危惧されています。あまりにも危険な現状のため、ユネスコも登録するのをしり込みしています。シューホフの孫自身は、完全に壊した後の再建を薦めているそうです。なんとかこの塔は保存してほしいものです。
ゴルキー公園のなかを少々さまよい、やっと見つけた日本人建築家坂茂さん設計のGarage Center for Contemporary Cultureのための仮設パヴィリオン(2012)。完成を記して催された展示は「Temporary Structures in Gorky Park: From Melnikov to Ban」という面白いものでした。残念ながらこの展示は終わっており、カタログからの鑑賞になりました。
このパヴィリオンは坂さんの簡潔なプランニングと素材の選択がはっきり見て取れます。構造体の鉄柱の何本かは紙柱の中に隠されています。
入り口付近のカフェ。
カフェ・ラテを頼むとなんとストローが付いてきました!モスクワのおしゃれなカフェはこうなのでしょうか。
ショップからの眺め。
紙柱の間は柔らかいチューブ上のプラスチックが押し込まれ、断熱と昭光の役割を果たしています。なるほど!
次回は今回の研修のハイライト、コンスタンティン・メルニコフの建物を中心に紹介します。
つづく