乗り込んだ車はカルロスの家のガレージへと滑り込んだ。大きな中庭が付いた2階建ての立派な一軒家であった。ひとまずカルロス・パパに家を案内してもらう。カルロス・パパは生物学者で淡水魚の生態を研究しているそうだ。中庭の離れに彼の書斎があって、そこにはおびただしい数のホルマリン漬けの魚たちが保管されていた。大学でも教鞭を執っている彼はコロンビアやペルー、ボリビアのジャングルにフィールドワークにもよく行くらしい。中でもペルーのジャングルは面白いとのことだった。そうして興味津々に口をぽっかりと開けた魚たちを眺めていると、カルロス・ママから夕食のお呼びが掛かる。
<カルロス・パパ>
<アレパ・コン・ウエボ>
これはアレパという食べ物である。トウモロコシの粉をパン状に薄く固めて、焼いたり揚げたりしたもので、コロンビアの主食となっている。地域地域で色々と特徴があるらしく、ここカリブ地域では中に卵が入っているタイプが主流らしかった。しかしこの蒸し暑い中よくこんな油モノをいくつも食べるなと思いながらも、そういえば沖縄も少し似たような風習があることを思い出す。気候と食文化の関係について思いを巡らせながら2つ目のアレパを胃に収める。皆テキパキとアレパを平らげ、イソイソと身支度を始める。あまり今後の展開が読み込めていなかった僕は「どこか出掛けるの?」と尋ねる。カルロスは答える。「踊りに行くに決まっているだろう。アミーゴ!バモス(行くぞ)!」
言われるがままについて行った先は大きなレストランだった。前方にはステージが用意されており、テーブルとステージの間にはおそらく踊るためであろう十分なスペースが用意されていた。レストランに続々とカルロス家の親戚が集まり、総勢15人くらいになったろうか。このカーニバルは一年で最も重要な行事らしく、皆1年かけてカーニバルに備える。そしてこの時期に合わせてここバランキージャに親戚一同が集まるという風習なのだそうだ。やがてバンドがやってきてライブ演奏を始める。みんな踊る踊る。カルロス・パパなんてもうきっと60近いのに、ママと踊り、いとこと踊り、姪っ子と踊る。もう汗だくになりながら。彼らにとって踊るという事は言葉を覚えるように、ごく自然に身につく行為らしかった。僕らの感覚からすると家族の誰かと手を取り合って、ましてや腰に手を回して踊るなんて、こっぱずかしくてとても出来そうにないけれど、彼らにとってはこれが当たり前のコミュニケーションなのだ。そしてこうしたダンスというのは年を取ろうが続けられるというのが良い。スマートな男女が颯爽と踊るのももちろん美しいのだが、意外と腹の出た中年が巧みなステップを踏む姿もなかなか格好良いものなのだ。僕は当然そんなステップを刻めるわけもなく、とりあえずロンやアグアディエンテといったコロンビアの強い酒で無理にでも気分を高揚させ、彼らのテンションに少しでも追いつこうとした。その後も延々と踊りつづけ、家に帰ったのは朝3時を回った頃だったろうか。
<カルロス家一族>
生ぬるい日差しで目を覚ました。ベタつく体を奮い立たせシャワールームへと向かう。基本的にカリブ地域ではシャワーは水だけである。それはお湯が出ないと言うよりは、お湯である必要がないと言った方が適切であろう。そしてもう何日着ていたかも忘れた服を脱ぎ捨て、シャワーカーテンをくぐる。そこで一糸まとわぬ姿で僕は久しぶりに彼女に再会した。透き通るような茶色い髪の毛、褐色の肌、スラリと伸びた手足。僕は艶のある肢体にカリブの新鮮な水を勢いよく浴びせかけ、仰向けになった彼女をティッシュで優しくくるむ。そして何の感情も持たずにトイレにアディオスした。そう、一年ぶりのごきぶりだった。風呂上がりの爽やかな朝に再び揚げ物の芳醇な香りが立ち込める。僕はアレパを頬張りながら、コロンビアの濃い甘いコーヒーをすすっていると、フリオが目を覚ましてきた。ブエノスディアス。
<さわやかフリオ>
フリオはカルロスの弟で今回の滞在ではとても世話になった。彼はイラストライターでアニメのイラスト画を描いたり、学校で子供に絵を教えたりしている。まぁ俗にいうオタクというやつだ。彼はこれまでに描き溜めてきた膨大なドローイングの数々をここぞとばかりに披露してくれた。僕はそれに対しに真摯に応え、時に大いなる賛辞を与え、時に厳しい批評を加えた。そうしてすっかり打ち解けたフリオが街を案内してくれると言う。祭の象徴でもあるモノクコのマスクを手に入れるべく、土産物市場へと向かうことにした。
街をぶらぶらしながら他愛もない会話をした。
「ユージにはノビアいるのかい?」
「うん、理論上はね。でももう1年以上会ってないな。フリオは?」
「そうか、それは辛いね。僕は今はいないよ。元ノビが忘れられなくて。」
「そうなんだ、それも辛いね。どんな人だったんだい?」
「うん?昨日いたよ。」
「¿昨日? (昨日って確か親戚の集まりだったような…)
それはつまりあれかい、もしかして親戚の誰かという事なのかな?」
「うん簡単に言うと、いとこだよね。」
「え、い、そ、それって大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないよね。カトリックでは禁じられているんだ。だから僕は宗教が嫌いだ。」
「そ、そうかい、それはまた大変だね。でも昨日一緒に良い雰囲気で踊っていたように見えたけど?」
「そう!昨日はとてもうまくいったんだ!(と言って親指を立てる)ところでハポンには宗教はあるのかい?やはりブッダなのかい?」
「うん、理論上はね。でもそれはとても形式的なもので、大多数の日本人は宗教を信仰していない。きっと神様は戦争で死んでしまったんだよ。」
「そうか、僕も宗教のない所に行きたいよ。そうすればきっと僕達も祝福されるはずだ!」
「そ、そうだね、是非ハポンに来るといいよ。(でも確か日本でもそれは結構なタブーなはずだが…)」
「ところでハポンではこういう関係はあるのかい?つまり体裁上は恋人ではないのだけど、体の関係は持つという間柄というのは。」
「うん、理論上はね。そこまでポピュラーなものではないかもしれないけれど。ハポンではセックスアミーゴと呼ばれているんだよ。つまりフリオにはそういう関係の人がいるという訳かい?」
「¡セックスアミーゴ! それは傑作だな。うん、セックスアミーゴいるよ。ここコロンビアではとてもポピュラーな文化さ。」
「そうなんだ、じゃあみんなアミーゴだね。」
「ああ、そうだね。でもいとことヨリ戻したいなあ…」
そんな猥談を繰り広げながら土産物を物色する。他にももっと複雑な関係を教えてもらったような気もしたが、複雑すぎて忘れた。宗教と性文化というのはとても密接な関係があるので興味深い。以前友人に世界共通で興味を引く話題は下ネタと動物のモノマネだと聞いたことがある。特に対外的に見て日本の文化というのはかなり特殊なので、例えばパブリックな場所ではキスをしない事をはじめ、カラオケ、ラブホテルの文化(要するに独自の個室文化)というのは彼らにとってはとても奇妙な出来事らしい。しかしコロンビアのオタクは絵が描けて、踊れて、親切で、爽やかで、交際関係も大胆で、何だか勇ましいよ。そのまま我が道を行けフリオ!(と言って親指を立てる)
<牛お面>
<モノクコお面>
<モノクコビール>
無事にお面も調達したところで家に戻る。居間には昼ごはんの良い香りが立ち込めていた。今日もカーニバルは続くので親戚がまたぞろぞろと集まりだしてきた。もちろんいとこも。何となく一人でソワソワしながら優しい味のスープを口に運ぶ。そんな事はお構いなしに彼らはどこからともなく楽器を掻き鳴らし、そして踊り出す。「もちろん今日も泊まっていくだろう?アミーゴ!?」とカルロスに陽気に誘われたが、僕はもうこの街を去ることを決めていたんだ。渋々「すまないが僕は次の街に行かなければならない。でもここでの体験はとても印象的だったよ。たぶん一生忘れないと思う。何から何まで本当にありがとう。Adios amigos.」と言い、抱擁を交わし別れを告げた。
<カルロス・じい>
<カルロス・ファミリー>
<カルロス・親戚>
<カルロス・キッズ>
濃密な2日間だった。人間も、気候も、文化も。もうコロンビアから帰ってきてしばらく経つけれど、バランキージャを含む一連のカリブ海地域での体験が一番鮮やかに脳裏に焼き付いている。今この文章を書きながらサルサとメレンゲのステップの違いについて思いを巡らせているけれど、何だか巧く思い出せないや。
でも僕の頭の中では陽気でクールなサルサ・ミュージックがこだましているよ。
アディオス、バランキージャ
Gracias por toda la familia de Carlos.
Fotografía
: Yuji Harada