interview#022 田尾玄秀


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田尾玄秀

1974年 愛媛県生まれ/2002年 横浜国立大学工学部建設学科建築学コース卒業/2004年~2013年 株式会社オーク構造設計勤務/2013年 樅建築事務所設立/構造設計一級建築士

—横浜国立大学に進学した経緯を教えてください。

予備校に通っていたときに、たまたま吉村順三さんの作品を雑誌で見る機会がありました。丘の上に浮かぶ、水平に伸びた愛知県立芸大の講義棟の写真を見たときに、建築って楽しそうだなと思いました。もともと平面の仕事を志望していたのですが、それをきっかけに建築志望に方向転換しました。横国にもデッサンや立体造形と面接で入れる枠があったのを見つけて受験したら、運良く受かりました。父親が設計事務所をやっていて、とても大変そうだったので、子供の頃の自分は建築の仕事はやらないと言っていたのですが、気付くとやっていますね(笑)。

—田尾さんが構造設計に進まれることになったきっかけを教えてください。

自分が入学した時に、2年生に上がったときには退官されましたが、3講座(材料・構法研究室)に石井一夫先生がいらっしゃいました。石井先生は膜構造や大スパンの開閉屋根などのエンジニアリングを研究されていて、ある授業でいろんなスライドを見せてくださいました。その中に、海外のエンジニアとスケッチを交えて打合せをしている写真や、実際の現場の写真などがありました。それらが印象に残って、そのような世界に少し憧れたのを覚えています。他には、北山恒先生の推薦図書のリストにあったピーターライスの自伝を読んだら面白くて、構造エンジニアという職業がはじめて頭にインプットされました。

当時は構造とか意匠とか進路をあまり意識しないまま3年生になったのですが、2年生の終わり頃からSDGという構造設計事務所にアルバイトに通い始めました。ちょうど、大桟橋の国際客船ターミナルの現場が始まった頃で、現場事務所にFOAやSDGのスタッフの方々が乗り込んできた時期です。SDGの現場のチーフだった横山太郎さんは、独立してから横国の建築棟の改修の構造設計も担当されています。自分たちも横浜の学生ということで、大桟橋の現場事務所に通うことになりました。象の鼻の脇にあったプレファブの現場事務所では、鉄骨のガーダーやら折板やら接合部のディテールなどの模型を作ったり、現場にふらふら出ていって写真を撮ったりしていました。作業机のすぐそばでは、スタッフの方が横浜市の港湾局やゼネコンの方と頻繫に打合せをしていて、現場の空気や緊張感を肌で感じることができた貴重な時間でした。ムサヴィさんとFOAのスタッフの方の打合せなどは英語で喧嘩をしているようで、初めて聞いたときはびっくりしました。他にもいろんな意味でカルチャーショックでした。

この建物はかなり複雑で特殊な形態だったので、最初に説明を受けながら模型を見せてもらったときは、それが建物の模型だとは理解できていませんでした。3DのCADで作られた複雑なソリッドのモデルを一個一個分解して、平面にばらして、展開図を描いて、それをスノーマットに貼って、切って組み立てる、というようなことをやっていました。その経験はとても勉強になりました。接合部のディテールで、折板の真ん中のところの原寸大模型を作ったときには、下の階の会議室に運び込むのに大きすぎて、窓のサッシを外さないと出せない、というようなことがありました。あと、交通広場の模型は、模型が完成するより先に現場の躯体が出来上がってしまいました(笑)。

—凄い経験ですね。学校とアルバイトは両立できていたのですか。

 当時、学校にはあまり居ませんでしたが、授業にはちゃんと出ていました。だいたい午前中なので、授業が終わると現場に行って、遅いときには夜中の2時3時まで作業をしていました。現場事務所の窓からは、みなとみらいの観覧車が見えたのですが、夜中の12時になると時刻表示以外の電飾が消えるんですね。模型を作りながら電飾の消灯を見届けると、一緒にバイトに行っていた仲間の垣内くんが、”おい、そろそろ帰るぞ!!”とか言って帰り支度を始める感じでした。スピードの出ない遅い原付で通っていたので、帰り道の桜木町あたりでは暴走族と並走してしまうこともしばしば(笑)。大桟橋が上棟する少し前には現場事務所を離れて、その後は、他のプロジェクトの現場事務所に行ったり、コンペの手伝いで呼ばれたりして、色々な経験をさせてもらいました。

中国の南京まで、コンペの模型を運び込んだこともありました。アルバイトが終わった頃にはもうすぐ12月になろうとしていて、焦って卒論研究をやったのを覚えています。3講座に所属して、卒論は当時日韓ワールドカップ開催を控えていたこともあって、世界各地に建設されたスタジアムの屋根を、力の伝達経路や素材、構法などで分類するというのがテーマでした。横国の3講座は自由な雰囲気のある場所だったので、河端先生の御指導の下で伸び伸びと過ごせました。

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—卒業して大学院に進学しようと考えたりはしましたか。

僕はどちらかというと早く仕事を覚えたかったので、大学院に行くよりは、就職かなと思いました。大学院へ行くと、2年間その研究室にずっと閉じ籠って過ごすような思い込みもありました。横国は山の中の緑に囲まれてとても環境はいいのですが、4年もいるとだんだん飽きてきてしまって、早く外に出たい、という気持ちが強くなりました。

—卒業後の進路について教えてください。

就職活動はしていなくて、卒業直前に知り合った方の事務所に2年半ほど勤めた後、たまたま人手が足りない時期で声をかけてくださった、新谷眞人さんが主宰するオーク構造設計に入ることになりました。オークは構造のボキャブラリーが豊富で、学校で習ういわゆる縦横の柱梁で組まれたラーメン構造ではない、斬新な構造システムで解いている建物が多かったので、当時雑誌を興味深く見ていました。声をかけてもらったときは、不安もありましたが、目をつぶって飛び込んだ感じです。オーク構造設計に8年ちょっと勤めて、この4月に独立しました。独立するまで、いろいろな建築家の方の仕事を担当できて、たいへん勉強になりました。学校や美術館、図書館、駅舎、集合住宅、工場などから、住宅のスケールのものまで、いろんな建物を担当しました。忘れがたい仕事のひとつは、オークに移ってから最初に担当した、原広司先生の福島の会津にある中高一貫校です。30~38mスパンが複数並ぶ体育館から小教室群まで大小様々な空間が集合した学校建築で、すごく複雑なものだったので、設計も監理も苦労の連続でした。原先生の事務所で打合せをしていると、途中で先生が夕飯を作ってくださって、それを頂いた後にまた朝方まで打合せ、というようなこともよくありました。

構造設計とはどういう仕事なのでしょうか。

構造の設計と監理が主な仕事です。設計は、構造図という、建物の構造システムが表現され、その詳細が表記された図面を作成することが最終的な仕事で、これを作るためにスタディをしたり、構造計算をしたりして、建築家とやり取りする中で、建物の形を決めるときにどんな構造システムがその建物に一番合っているか考案し、提案して、決定していきます。監理は、その構造図に盛り込んだ設計の意図を現場に伝えて、実際の現場で間違いなく施工されていることをチェックして見届ける大事な仕事です。

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—構造設計という仕事は、どんな段階からプロジェクトに参加するのでしょうか。

例えば、コンペのアイデアの段階からということもありますが、建築家によってそれぞれだと思います。敷地があってボリュームが決まった段階で相談されることもあるし、ほぼ建物の形や構造形式が固まった段階で断面の寸法はどうなるだろうという相談もあります。なるべく早い段階から参加できた方が、楽しみも大きいような気もします。建築家は建築的視点で話をするし、構造設計者は構造的な視点が中心になるけれど、互いに自分の専門でない、よく知らないところも含めて自由に話をして、双方がアイデアを出し合うことで、予想もしなかったジャンプがあって面白いです。

—そのような場面に遭遇することはよくあるのですか?

大きな構造計画の段階でも細部のディテールの打合せでも、そういう場面はときどきあります。そういった段階が幾つも積み重なって、意匠と設備計画、構造計画などがうまく噛み合った建物になることがあります。

—田尾さんは日本建築構造技術者協会の新人賞を金沢海みらい図書館で受賞されていますね。

シーラカンスK&Hの金沢海みらい図書館では意匠、設備、構造が統合されたデザインが実現できていると思います。このいっぱい開いた丸窓の配列の中に、耐震のためのブレースを落とし込んで成立させる事が結構大変でした。鉛直力は内部の細い柱が受けて、水平方向の地震力にはこの外周部のブレースが効いています。外からはわからないのですが、ちょうどこのブレースをサンドイッチしているGRCパネルの目地が柱の位置にあたります。そのブレースと窓が共存できる位置を見つけるのに、意匠の方とは何度もやり取りをして、最終的にこの形に決まっていきました。構造のモデュールが意匠のモデュールにもなっていて、それぞれにとっての図と地が反転の関係にあり、構造と意匠が相互に動いていって形状が決まっていった点が面白かったと思います。

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金沢海みらい図書館

 

—構造と意匠が一緒に動いていたと。

そうですね。例えば、一般的な建物では先に構造の柱とブレースの位置が決まって、それに対してサッシなどが取付くのだと思いますが、ここでは、均一に見える丸窓の配置が可能な柱とブレースの入り方を探しつつ、さらに室内の明るさなどのシミュレーションを行って開口率何パーセント位がベストかな、という計画的なところも含めて決まってきています。初めのうちは室内に光をたくさん取り入れる案になっていたのですが、検討が進むにつれて光を入れすぎると図書館の機能としてはよくない部分もでてきて、最終的にはこれくらいが一番いいというところで、丸窓の配置と構造のパターンがうまく合致してきて、それと同時にディテールも見えてきたという面白さがありました。

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上:架構内観 下:外周部ブレースとGRCパネル

構造のディテールは、丸窓と干渉しないよう、なるべくコンパクトになるように考えました。普通、ブレースには四角い柱梁の枠があって、その枠の隅同士を対角につかむので、そのつかみ所のプレートが広がってしまうのですが、ここでは柱にホゾを開けて串状にブレースを差して、真ん中の継手でジョイントすることによって、プレートの広がりが出ないように工夫しました。また、ブレースの数がものすごく沢山あるので、なるべく手間を省いた方が仕事の効率やコストの面でよいと考えて、よりシンプルなディテールを追求しました。構造の仕事は、意匠とうまくマッチする構造を考えることもひとつですが、同時に、実際の作り易さも考えておきたいと思って設計をしています。思惑どおりにいかないこともありますが、そういう意味で割りとうまく解けた例だったと思います。この図書館のときも基本設計、実施設計を通してほとんど毎日休みなく働いて、夜遅くまで四苦八苦しましたが、このような解答が見出せたときにはこの仕事のおもしろさを感じました。

—構造設計の大変さとおもしろさが少しはわかったような気がします。(笑)

—ではさいごに学生に一言お願いします。

学生の頃は、よく建築棟の屋上に上って遠くを眺めていました。保土ヶ谷の方の、山のてっぺんまで家で覆い尽くされているのや、みなとみらいの方や、都心のかすんで小さく見える高層ビル群だとか。そんな風景をぐるりと見渡して、世の中にはこれだけ建物がいっぱいあるのだから、建築の仕事をやっていれば食いっぱぐれることはないだろう、と本気で思っていました(笑)。ものすごく楽観的でしたけど、実際、今もどうにかなっています。早いうちから就活するのも手ですが、もっと可能性を広げられる時期でもあるので、いろんなことにチャレンジするのもいいかなと思います。

 それから、意匠の方でも自分の分野に限定せずに、構造や他の仕事にも興味を持てるといいと思います。たとえば、世界中の建物には、建築家でもなんでもない人が本能的なセンスで作った建物がたくさんありますよね。感覚的なものも働かせて、興味を持ってどんどん実物に触れてもらえるといいなと思います。

インタビュー構成:澤伸彦(M2)、寺田英史(M1) 、柳田里穂子(M1) 、江島史華(B4)

写真:寺田英史(M1) 


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