セプテンバー アメリカ編


 

 

20138月の終わりから9月の半ばにかけての日本、そしてアメリカを巡る忘備録。

そのアメリカ編。

セプテンバー アメリカ編 (1)

 

99_シアトル

 

セプテンバー アメリカ編 (2)

 

 

セプテンバー アメリカ編 (3)

セプテンバー アメリカ編 (4)

 

 

成田を発ち、ダラスを経由し、シアトルに到着する。重い荷物を引きずりながらダウンタウンの安宿に着いたのは夜の11時近かったろうか。ここでこのアメリカ旅行を共にする伊藤くんと合流する。エドワード・ホッパーの絵に出てきそうな薄暗い中華料理屋で乾杯をする。

 

 

 

910_シアトル

セプテンバー アメリカ編 (5)

セプテンバー アメリカ編 (6)

 

シアトルに来たのはこの図書館を見るためであった。様々な素材、構造、色彩、そして人種、言語が多様なレベルで錯綜し、それを巨大なガラスのスキンですっぽりと覆い、ひとつの建築としての体を成している。その姿は正にアメリカという国家そのものを具現化したかのような建築であり、同時にそれはコンスタントのニューバビロン的な流動性を含有した非常にオランダらしい空間でもあると思う。


911_サンフランシスコ

 

セプテンバー アメリカ編 (7)

 

セプテンバー アメリカ編 (8)

セプテンバー アメリカ編 (9)

セプテンバー アメリカ編 (10)

 

朝のフライトでサンフランシスコへ。9.11の影響は特にない。サンフランシスコそのものは前評判通りの爽やかで賑やかな街であった。この辺りからアジア人比率、そしてスペイン語表記比率がグッと増す。もう純粋なアメリカ人は半分くらいなんじゃないだろうか。そもそも純粋なアメリカ人の定義とは?

 

913_サンディエゴ

セプテンバー アメリカ編 (11)

セプテンバー アメリカ編 (12)

 

アメリカの様な建築大国をタイトなスケジュールで周っていると、どうしても有名建築の確認作業の様な側面が出てきてしまう。それでもカーンは雄大で精緻で詩的であった。シャッターを切る喜びを与えてくれる建築である。ソーク研究所。

 

914_ロスアンゼルス

 

セプテンバー アメリカ編 (13)

 

セプテンバー アメリカ編 (14)

セプテンバー アメリカ編 (15)

セプテンバー アメリカ編 (16)

 

イームス・ハウス、シンドラー・ハウス、スタール・ハウス。「シングルマン」でトム・フォードが描いた古き良きカリフォルニアの洗練された空気がぎゅっと閉じ込められていた。これらのケース・スタディハウスから現在のアップル社のデザインにまで感じられる、ある種の大胆さとそれを裏付けるための精巧なディテール。Designed in California.

 

 

915_ロスアンゼルス

 

セプテンバー アメリカ編 (17)

伊藤くんとはここで離別。彼は大学院時代の一つ下の後輩にあたるわけだが、おそらく当時まともに話をしたことはほとんどないだろう。本来はいつも通り一人で旅行するつもりだったのだが、急に誰かと旅行してもいいんじゃないか(車が運転できる人がいた方がありがたい)と思い当たり、思いつく限りの学生、あるいは会社組織に属していない知人に声を掛けたという訳だ。そこで運よく伊藤くんを引き当てた。彼はweb地図サービスを使いこなし街をスマートに渡り歩いてゆく。僕はただ彼の後についていけば名作と呼ばれる建築作品に出会うことが出来た。旅を共にするための心地良い距離感を作り出すことに長けた好青年だった。

 

916_フェニックス

 

セプテンバー アメリカ編 (18)

セプテンバー アメリカ編 (19)

セプテンバー アメリカ編 (20)

 

気温40℃。フランク・ロイド・ライトのスタジオ/冬の家であるタリアセン・ウエストへ。配置計画、色彩計画、構造計画、素材計画、光計画。それらがアリゾナの荒野に見事に融和していた。シアトル図書館、ソーク研究所共に素晴らしい建築であったが、それらとの最大の違いは家具、装飾、ディテール、什器それら全てをデザインしつくしてやろうと言う強烈な作家性。カーンが四大巨匠足り得ない理由はそこなのかもしれない。

 

917_アルコサンティ、セドナ

セプテンバー アメリカ編 (21)

セプテンバー アメリカ編 (22)

セプテンバー アメリカ編 (23)

 

土曜の朝のラジオ・パーソナリテイの様な伸びやかな声を持つ、宿の主キーフのススメで砂漠の実験都市コミューン、アルコサンティへ。設計者パオロ・ソレリの掲げる都市哲学や生活形態は共感しうるが、如何せん建物がイマイチである。何というか古い。古いもの好きの僕が見ても古くて重い。理念にはカッコ良さが必要。その後車で1時間ほどアリゾナの荒野を走りセドナへ。赤肌のむき出しの山々に囲まれた風景は確かに雄大であるが、南米で多少なりとも絶景・奇景慣れした僕にはイマイチ響かなかった。

 

918_ルート66

セプテンバー アメリカ編 (24)

 

セプテンバー アメリカ編 (25)

セプテンバー アメリカ編 (26)

セプテンバー アメリカ編 (27)

アメリカにはグレイハウンドといって東から西までほぼ北米大陸全土をカバーするバス会社が存在する。今回の旅でも何度か利用した。アメリカ国内交通のヒエラルキーとして飛行機→鉄道→バスとなっており、しかも車社会のアメリカにおいてバスは低所得者の乗り物という位置付けである。またバスターミナルの多くはダウンタウンの治安が良くないエリアにあり、深夜便ともなるとなかなかの雰囲気である。しかし寒いと聞いていたバス車内はコロンビアの冷凍バスに比べると遥かにマシで、刺青だらけの巨漢の隣に10時間押し込められたりもしたが、まぁ危ないと言う雰囲気ではない。ただ結局アメリカでは南米でよく見受けられる、貧しいことが生み出す美しさみたいなものを感じることはできなかった。

 

919_アルバカーキ、サンタフェ

セプテンバー アメリカ編 (29)

セプテンバー アメリカ編 (30)

セプテンバー アメリカ編 (31)


この旅で密かに楽しみにしていたサンタフェ。宮沢りえの写真集といえばピンとくる人も少なくないはず。ここサンタフェはアメリカで由緒正しき芸術古都であり、アメリカ人の間でも国内旅行先として人気を博している。その特徴は先住民的なアドべ造の建物群で、やはり土フェチの僕としては来ておくべきだと思ったのだ。だが実際は「アドべ風」というか、その形態を模した建物が並び、その中にスターバックスやジュエリーショップ、アート・ギャラリーなどが入っている「オシャレなアドべ」なのだ。街ゆく観光客もどこかハイソ。チリ北部で見られるようなハードな土の集落を期待していただけに少し落胆。もっと田舎を周る時間があればよかったのだけれど…

 

920_ダラス

セプテンバー アメリカ編 (32)

セプテンバー アメリカ編 (34)

 

安定と信頼のカーン。このキンベル美術館に向かおうと空港であたふたしていた所、一人の男に話かけられた。どうやら美術館の近くに住んでいて、帰るところだから一緒に連れて行ってくれるとのこと。僕がキンベルに向かう事を告げると「あそこのレストランは素晴らしい。ウチも週末によく家族でランチに行くんだ。」と語ってくれた。建物や美術品については何も言及しなかったが。案の定ミュージアム・レストランでは素晴らしい料理をサーブしていたし、平日にも関わらずとても混み合っていた。高い詩性と高い民主性に満ちた美しい建築の姿。10日間の旅を締めくくるのにふさわしい体験であった。

 

セプテンバー アメリカ編 (35)

 

チリに戻ってきました。


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