interview#024 佐藤未季


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佐藤未季

 

1982年大分県生まれ/2006年横浜国立大学工学部建築学科卒業/2008年横浜国立大学大学院YGSA修了/2008年 Inside Outside Petra Blaisse/2011年 隈研吾建築都市設計事務所

 

建築を目指すきっかけを教えてください

 

消去法でした。大学受験のとき文系も理系もどちらもピンとこなくて、どうしようかと考えていたときに美術の授業でパースを描く課題があって、それは自分の想像している架空の部屋をパースで描くというものでした。そのとき不思議とハマりました。他の作品はたいしたことなかったんですが、それだけ評価がよくて飾られたりしました。それでこれはちょっと良いのかなと思って。両親にこれについて相談したところ、実は母はインテリアや建築に興味があったようで、私が幼少期を過ごした田舎の家では母がヨーロッパから取り寄せたタイルや照明等が使われたりしていたそうです。その頃は気がつかなかったのですが、今思い起こせば田舎にしては割と素敵な空間で生活していたのです。

人が過ごす空間をデザインすると、その人の体験もデザインすることになるのか。と魅力を感じて、建築を選びました。

—設計に目覚めたきっかけを教えて下さい、例えば西沢先生の言葉とかありましたか?

大学入学後の進路に関しても消去法で、目覚めたというよりは、唯一成績が良かったのが設計だったので、設計に進もうと。西沢先生の言葉は自分に対してではなく他の人に対しての言葉にも聴き入りました。人のエスキスなどでもメモをとって勉強していました。エスキス後はそのことについてまわりのみんなと話し合ったりして、それがなによりも楽しかったですね。単純に楽しかったんだと思います、設計の時間が。

—卒業設計では吉原賞(最優秀賞)を受賞されていますよね、今でも西沢先生からそのときの話を聞くときがあります。

そうですね、よく取ったなと思います(笑)中間発表でシンプルな建築を配置した模型を見せながら、コンセプトを説明しました。西沢先生からはその時点では評価を頂けた様でしたが、最終的な形をご覧になって、僕の想像したすばらしい街とは違うと仰いました。(笑)ただ、一番やりたかった「環境を創る」ということだけは伝わっていたと思います。

敷地はみなとみらい地区のインナーハーバーエリアの汽車道の周辺の水辺で、イベント会場をたくさん並べて同時多発的にイベントが環境を作るみたいなことを考えていました。抽象的ですよね(笑)小さなイベントや大きなイベントが重なり合って波のように広がっていき、人工的につくられた環境がみなとみらいのキャラクターになってゆくというストーリーでした。イベント会場はすべて屋外に用意し、バックヤードはすべてつなげて、ホールが連続的につながることで境界をつくり、そこにいる人々がその境界を溶かしていくということがやりたかったんです。これが新しいランドスケープの提案だと思いました。でも建築としては成立していないし、線を引いているだけでしたから、現象とか環境とか境界のことは凄く考えていたんですけど、中身がどうつくられているか何も考えていなかったんですよね。ただ、この境界の考え方が、Petra Blaisseへ繋がったのだと思うんです。

 

diploma_concept model

卒業設計「Polyrhythm」コンセプトモデル

—卒業後はY-GSAに行かれたんですよね?

そうですね、でもM1のときはまだ8講座という名前の意匠研究室で、ちょうどY-GSAへの移行時期でしたからその準備で忙しかったので課題は比較的さらっとしたものでした(笑)馬車道の古いビルに引っ越した当時のY-GSAは自分たちでペンキ塗ったりして手作り感があってとても楽しかったです。貴重な経験でした。今のY-GSAのスタジオは建物もかっこいいし環境が整っていて大変素晴らしい。その一方でY-GSA初期は街の中にスタジオがあることが建築を学ぶ環境として非常に良かったと思います。北山先生もよくそう仰っていました。

—その後ランドスケープやインテリアを中心に活動するオランダの設計事務所Inside Outsideにインターンに行かれます。Inside Outsideにインターンに行こうと思ったきっかけを教えて下さい。

当時の私は他の皆よりも消極的で他大学のイベントは一切参加していなかったんです。ただでさえ課題でいっぱいいっぱいなのに人間関係とか増えてしまうし、整理しきれないなと思っていたので。同時にこのままではいけないなとも思っていました。だからY-GSAのカリキュラムに変われば外へ出てインターンできますよと言われた瞬間にこれは出ないといけないなと思い、皆には急に動いたねと言われました。

ペトラの事務所を選んだのは、卒業設計、大学院の課題を受け、ランドスケープがいいかなと考えていて、ふとした時に、同級生だった谷口晋平くんに相談したのですが、そのとき彼が私にピッタリと思われる所があるよ。とInside outsideを教えてくれました。ホームページとかを見て、これだ!と思ってその日に「行きます」と宣言したんです(笑)この日のことはずっと忘れないと思います。

—インターン先では実際どのような仕事をしていたのですか?

私はランドスケープの仕事を希望していたのですが、AutoCADも使えないし、英語も出来なかったので、この子にランドスケープは荷が思いと思われたのか、CAD作業が少ないインテリアに回されました。建築と違ってインテリアはいきなり1/1で作り始めるので新鮮でした。境界に興味があるとは言っていたものの、実際にどうやってモノをつくるかが全然分かっていなかったので、フィジカルな作業を積み重ねるうちに素材にとても興味を持ち始めました。一緒に仕事をしていた人がファッションデザイナーだったのですが、それを私が建築的視点でサポートするといういい関係ができていたと思います。

Inside Outsideは建築の境界を内側、外側から溶かす、というようなことをコンセプトとしていたので、今思えばインテリアもランドスケープだったと思います。

「インテリア」の意味合いが日本と違っていました。

プリント

 

—事務所内でのペトラさんはどんな人でしたか?

キャラクターを重んじる方でした。多様性を高く保つよう意識してチームを形成していっているように見えました。お陰で毎日沢山の濃いキャラクターに触れることが出来て、刺激的で、時にヘトヘトになったり。ぺトラはそんなめちゃくちゃな人たちを優しく、厳しく育てる先生のように感じられることもありました。とにかく愛情がありました。これは事務所を運営していくなかで凄く重要なポイントだったと思います。

それぞれの個性が育つように、私達の意志をすごく尊重してくれました。逆に言えば、主張が出来なければ、つまらないやつ、と判断されてしまうので、ここは私も頑張りました。でも本当にみんなキャラ濃かったから、最初はどうして良いのやら戸惑うばかりでした。

そうこうしているうちに、だんだん自分のキャラみたいのが見えてきて、それも発見で、面白かったです。

また、ボスとしての冷静な一面も持っていました。打ち合わせ中、空気が悪いなと感じたら冗談を言ってみたり、締める時は締めて、クリエイティビティが生まれやすい環境を作る。デザインしている時も、案が凝り固まっているなと思った時は、”something funny” と紙をぐしゃぐしゃにして模型に貼り付けたり、常にユーモアを混ぜていく。このとき、学部三年生の時に、論理に忠実に作ったものがとんでもないものになってしまったことがあって、その時に非常勤でいらしていた槻橋修先生に論理を越えることが大事だと教わったことを思い出しました。論理に縛られすぎると時にただただ可能性を狭めてしまうことはどこかで感づきつつあったので、とても軽やかになれた気がしました。Inside Outsideでひとつの方法を体験できたと思います。

—1/1でスタディすること以外でも普通の設計事務所とは違う部分があるのですか?

建築のミーティングではいろいろなリサーチをして、ロジックを組んでみんなを説得できる話を作るということが1つの方法としてありますが、ペトラのミーティングでは皆がシェアしたイメージありきで、理論は後から徐々に組み上がってきて、最終的にペトラがプレゼンするというやり方でした。私は感覚的に取り組んでしまうところがあって、大学では北山先生にもっと社会性を持って理論的に発言するように言われていました。だからこういう、先にインスピレーションを共有する作業をするという、ミーティングの形もあると知ることができたことは収穫だと思います。

—オランダでの生活はいかがでしたか。

楽しかったです。みんなデザインに対する意識が高いなと思いました。意識が高いというか、デザインについて考えることがごくごく日常になっているのだなと感じました。ライフスタイルとして。ちょっと気分転換にギャラリーや美術館に足を運ぶことは当然だし、自らアートに取り組む人も少なくないです。例えば一年に一度、大規模なフリーマーケットがあるのですが、そういう場で自分の作ったものを売ったり、逆に特に名も無いアーティストの作品を、自分の価値観で評価して購入します。自分の目に各々自信を持っているのだなと思いました。例えば東京なら、何か分かりやすい評価で裏付けされて始めて皆が目を向けてくれるっていうことが多いと思います。

また、家々の窓を見ると、日中はあまりレースカーテンを閉めた家はありません。大きな開口からインテリアがよく見えます。それぞれ自慢の照明や家具、アートをまるで窓の外へ向けて展示しているかのようでした。「私のインテリア、良い感じでしょう。」と言わんばかりです。こうやって、街全体のデザイン性が高まるのだと思います。

街中でもデザインについて意識することが多かったです。すごく合理的で、こうすればいいじゃんということが溢れています。オランダは自転車の利用率が高いことでも有名ですが、交通整理も昔からきちんと為されています。自転車道がほぼ全部の通りに確保され、信号も自転車専用のものがあります。

建築も古くから工夫されていて、オランダの住宅の階段はとても急なので家具の搬入経路が確保できないのですが、ファサードの上部に設置されているフックを使って滑車で引き上げ予め窓から搬入できるようにデザインされています。

あと全く違う話ですが、オランダの色彩もいいなと思いました。一年を通して曇りや雨の日が多いせいか、みんな明るい色を求める傾向にあったと思います。不思議とオランダを代表するチューリップ等の植物も発色の良いものが多いですし。色彩感覚はこういった背景から形成されるのだなと実感しました。日本ではアジサイやサクラなど繊細な染物のような色が美しいと感じますが、これも自然環境によって代々育てられたのかな、なんて思います。

—インターン半年、就職2年半を終えて、日本に戻ってこようと思ったきっかけを教えて下さい。

すごく悩みました。このまま永住するかと考えたときに、私は永住しないだろうなと感じたし、日本での働き方をまだ知らなかったので、日本を拠点とするのであれば、30歳より前だなと考えました。あとは卒業後いきなり海外で働いてしまったから、建築のことや社会のことなどいろいろな知識が足りていなくて。英語も上達はしましたが、英語での吸収にも限界があったので日本に戻ってもっといろいろと勉強したいと考えました。

家族も日本に居ましたし。オランダで「家族との時間を大切にすることで自分を磨く」ということも生活を通して学びましたので。

—そうして日本に戻って来られて、テキスタイルをやるか建築をやるか、どのように考えていましたか?

ハッキリとは分からないです。テキスタイルをツールとした境界の作り方は私に合ってるとは感じましたが、今このタイミングでテキスタイルに完全に絞ってしまうのは如何なものかと思いました。一方で建築にごりごりと入って技術的な勉強ばかりしていきたい感じではないとも思っていました。いろいろな事務所をあたって、最終的に拾ってくれたのが隈事務所でした。隈事務所にはいろんな国籍やバックグラウンドの人がいて、そこが面白いところでもあります。そのような環境を生かしていろいろとアピールをしながら徐々に自分を出していきたいと思っています。ここでもキャラクターが重要なのではと感じています。

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—隈事務所では今どういう仕事をされているのですか?

いろいろです。海外物件のインテリア、カーテン、最優秀賞を獲ることができた十和田市の市民交流プラザのコンペ、設計も担当しました。

特にテキスタイルには積極的に関わりたいと常に伝えています。

—今後どのような活動を展開していこうと考えていますか?

やはり自分の事務所を開くのは楽しいのかなと感じてはいます。少し前まではそれは自分では無理と決め付けていましたが。ペトラの事務所で本の整理をしていた時たまたまリナ・ボ・バルディの作品集を見つけました。彼女の建築のプランは幾何学的だけど、スケッチや細部の装飾はすごく柔らかい。ユーモアと厳密さのバランス、こうなりたいというより、こういうバランスが好きなのだなと思いました。だから建築の実務の勉強をしっかりして、一方でペトラの事務所の経験も活かしながらリナの作品のような空間を創れたらいいなと思います。

あとはシアターカーテンなどもやってみたいです。日本で言うといわゆる劇場の緞帳でしょうか。ヨーロッパだとバレエとか演劇鑑賞が日常で、文化として根強い為シアターカーテンをつくる業者がいっぱいあるのですが、日本にはあまり無いんです。緞帳というと静的なイメージですよね。他間仕切り等も障子や襖などパネル文化だと思います。それはそれで素晴らしいけれど、シアターカーテンはその生きているような動きが空間をダイナミックに演出します。ペトラのシアターカーテンの動画見せてもらった時に、自然と涙が出てきました。本当にきれいで。そういった体験を忘れずに今後も活動したいとと思っています。

—学生に向けて一言お願いします。

今日話した中でも何回か友人の話しがでてきましたが、大学で出来た友人は今でも議論したり、定期的に刺激をもらっています。そういうつながりをずっと大事に出来るといいですよね。お互いに何かしらを与えられる関係が。あと就職とか進路決める時って色々なこと考えてしまいますが、一番大事なことは、「誰に影響を受けたいか」だと思います。私はペトラという強烈な存在からの影響がなければ今の自分はなかっただろうと思います。キャラクターを形成してくれたと感謝しています。一生大切にしたいです。

 

 

 
 

インタビュー構成:後藤祐作(M2)、藤奏一郎、室橋亜衣(M1)、梯朔太郎(B4
写真:藤奏一郎(M1


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