<アイルランド_ゴールウェイ>
学生時代以来のおよそ5年ぶりのヨーロッパだった。今回の主たる目的は担当していたサーペンタイン・パヴィリオンの完成ぶりを見ることだったのだが、それにかこつけて1週間ほどの旅行計画を組み込んだ。僕は事務所内で「日本人はよく働く」という素晴らしいイメージを日々失墜させ続けている。
<ロンドン・ガトウィック空港>
6/27(金)
ボスに終わらせておけと言われたタスクを消化するのに結局朝までかかり、そして結局全てを終わらせたとは言い難かったが、フライトの時間が迫ってきたのでそそくさと事務所を後にした。急いでバックパックに最低限の着替えと電子機器を詰め込み空港へと向かった。今回はマドリッドまで直行便で向かい、その後はLCCで移動するという手段を取ることにした。初めてのイベリア航空。サンチアゴ―マドリッド約13時間。連日の睡眠不足のおかげで離陸とともに深い眠りについた。
<マドリッド・バラハス空港 T4 (R・ロジャース)>
6/28(土)
マドリッドで悪名高いライアンエアーに乗り換え、ロンドン・スタンステッド空港まで約2時間。厳しいと聞いていた入国審査を無事クリアし、シャトルバスでロンドン市街地へと向かう。
<ロンドン>
初めてのロンドン。車窓から見えるグレーの曇り空。あるいはロンドンらしい色調の低いシャープな街並みと、それとは対照的なカラフルな都市の小物たちが僕の旅のテンションを一気に高揚させる。
<ロンドン>
バスはテムズ川沿いの観光名所を横切りながら終点ヴィクトリア・コーチ・ステーションに滑り込んだ。そこから地下鉄に乗り換え予約していたホステルへ。ここで大学の遠い後輩に当たる越後海くんと合流する。彼はこの春からパリのラカトン&ヴァッサルの所でインターンを始めたと聞いていたので、これを機にロンドンに呼び出したのだ。ひとまず荷物を宿に置きハイドパークを目指す。遠目でサーペンタイン・パビリオンが目に入った瞬間、思わず口元が緩んだ。
<ジャコビアン様式のホステル>
6/29(日)
何だかんだで疲れていたのか目を覚ますと時計の針は10時を回っていた。いびつな3段ベッドの最上段から注意深くはしごを下り、熱いシャワーを浴びる。宿を出る頃にはもう昼近かったので、道すがらのハンバーガーショップで腹ごしらえをし再びサーペンタインへ。しばし撮影会。日曜日で天気も良かったのでパビリオンは多くの人で賑わっていた。その後はテムズ川沿いの観光地を巡った。
<ロンドンアイとビッグベン>
ロンドンアイという大型観覧車に男二人で乗り込む。新しい街は高いところに来るとその全体像がイメージし易くなる。ロンドンは地図で見るよりも大きい街だと感じた。思いのほかメトロの駅の間隔が広く、2・3駅くらいと思って歩くと意外と歩かされ羽目になる。おまけにこの時期のヨーロッパは日が長く完全に日が暮れるのは11時近い。この日もサーペンタインの夜景を撮るために随分と遅くまで粘った。帰りに二人で適当な韓国料理屋に駆け込み、熱々のビビンバを久しぶりのアサヒビールで流し込んだ。
<ロンドンアンダーグラウンド>
6/30(月)
この日はそれぞれに行くべき所があったので別行動に。ちょうどこの時期にAAスクールとロンドン大学バートレット校のプロジェクト・レビュー(卒制展)がやっていると聞いていたので足を伸ばしてみることに。
<プロジェクト・レビュー>
バートレットは手描きとコンピュータグラフィックが融合したような幻想的なドローイングが目を引いたが、建物として面白いと思えるものは少なかった。一方のAAスクールはグニャグニャとした3D全盛というよりかはユニットごとのカラーがよく出ており、魅力的な模型にも出会う事が出来た。しかしこうしたアカデミックのシーン(3次元的な有機的形態やアーキグラム的ドローイング)と現在のイギリスらしい実直なミニマル建築シーン(ジョン・ポーソン、カルソ・セント・ジョーンズ、トニー・フレットン等)がイマイチ結びつかず、どこか腑に落ちなかった。そういう意味では日本はアカデミックと実務が良くも悪くもシームレスに繋がっているのかなと思う。
<バートレットの作品>
<AAスクールの作品>
その後、大温室を見てきたという越後くんとキングス・クロス駅で合流しジョン・ポーソン事務所へと向かう。というのも以前「海外で建築を仕事にする」という本でご一緒したジョン・ポーソン事務所にお勤めの小沢慎吾さんに事前にコンタクトを取っており、せっかくロンドンに来るならお会いましょう、という事になっていたのだ。2フロアから成るオフィスは白でパキっと塗り固められたミニマルでシャープな空間で、そのイメージを裏切らないものであった。ジョン・ポーソン本人に会うことは出来なかったが、幾つか進行中のプロジェクトも見せていただき貴重な体験ができた。ここで越後くんはパリに帰る電車の時間になったためお別れ。そこからさらにセンゴクアサコさんという、これまたロンドンの設計事務所でお勤めの方も合流し近くのレストランバーへ。ロンドンでの暮らしぶり、働きぶり、学びぶり、お金の話やルームシェアの話などに花が咲くチリにいるとこうしてたまに日本人の同業者で集まって話をするということがなかなか難しいので、そうした環境は少し羨ましくも思った。
<ジョン・ポーソン事務所>
7/1(火)
今回の欧州外遊の最大の目的はサーペンタイン・パビリオンを見届ける事だったのだが、最も楽しみにしていた場所はここアイルランドにあった。ロンドンからアイルランドの首都ダブリンまで約1時間のフライト。その後バスでゴールウェイという美しい港町までバスで3時間。さらにその近くの港から小型フェリーに揺られること小一時間。船はアラン諸島イニシュモア島に辿り着いた。ここは「ケルト文化が根強く残る断崖絶壁の古代文明の孤島」という僕の旅好奇心を刺激する魅惑アイランドだったのだ。そして実際それは期待を裏切らない興味深い島であった。この島についてはまたそのうち詳しく書こうと思う。
<イニシュモア島>
7/2(水)
日の出と共にレンタサイクルで島巡りを始めた。順調にスポットを巡っていたのだが、最後の断崖の奇地形に地理学的好奇心を刺激され、一人ではしゃぎ回っていたら道を見失った。さらにどこに自転車を置いたかも分からなくなってしまった。帰りのフェリーの時間が刻一刻と迫り半ば諦めかけたところ、で何とか自転車を発見。その後は島半周を鬼の形相で立ちこぎし、間一髪で船に間に合った。あれほど太ももを酷使したのはいつぶりだろう。その後はまたバスでダブリンまで戻り、飛行機の時間までブラブラ街歩き。
<ダブリンの街角で>
ダブリンは数年前にダブリンを舞台にした映画を見て以来その名前は記憶にあったのだが、その内容や情景はほとんど覚えていなかった。かろうじて主題歌の優しいメロディは思い出すことができる。全体として(2,3箇所しか行っていないが)アイルランドは旅行しやすい国だと思った。もちろん英語が通じるし、街は美しく、人々はホスピタリティに溢れている。アイルランドおすすめである。ということで名残惜しくもアイルランドを離れ、次なる都市スコットランド・エジンバラへ。1時間ほどのフライトでエジンバラの空港に着いたのが夜の12時前。この時間から街に出て宿を探すのも面倒だったので空港泊をすることに。到着ロビーの程良く人通りが少ないベンチを寝床に決め、バックパックを枕替わりにし、イベリア航空の赤いブランケットに身をうずめた。
<エジンバラの街並み>
7/3(木)
「ヘイ!サー!ウェイクアップ!」
アイマスク代わりにしていたマフラーを取り払うと、そこには「POLICE」の6文字が飛び込んできた。その後は「何人だ?どこから来た?何しに来た?職業は何だ?」と立て続けに幾つか質問を受ける。最後にパスポートのスタンプを見て「ずっと旅してるのか?」と聞かれたので、面倒くさくなって「yes」と答えた。するとポリスぱ「Have a nice trip!」と親指を立てて去って行った。少ししてから「あぁ、これが職質というやつか。」と静かに悟った。人生初の職質を中世の薫り漂う美しき古都エジンバラでキメてしまった。でもまだ寝足りなかったのでもう一眠りすることに。。。
<エジンバラ国会議事堂 (エンリック・ミラージェス)>
エジンバラの街は訪れた人が皆口を揃えて良いと言うだけあって、確かに素晴らしい街並みであった。ただ古く、荘厳な街並みが残っているだけでなく、エンリック・ミラージェスの国会議事堂のようなコンテンポラリーな建物も見応えがある。一日エジンバラの街を歩き回り、日も暮れかけた夜10時。再びロンドンへと向かう夜行バスに乗り込んだ。
<ヴィクトリア・ステーション>
7/4(金)
バスは大体予定の2時間遅れでロンドンのヴィクトリア・コーチ・ステーションに到着した。空港泊からの夜行バスは流石にこたえた。バスターミナルのマズくて高いパンとコーヒーを啜りながら少し休み、ロンドンで最後に楽しみにしていた場所、サー・ジョン・ソーン美術館へ。
<サー・ジョン・ソーン美術館>
昔大学の図書館の薄暗い書庫で見た磯崎新と篠山紀信によるこのミュージアムの写真集を見てゾクゾクしたのを覚えている。館内の薄暗い展示室には所狭しと収蔵品が並べられ、ジョン・ソーン卿の奇人臭がプンプンとした。残念ながらお目当てのマイケル・ガンディのイングランド銀行の廃墟ドローイングを拝むことはできなかったが、英国蒐集文化の真髄をここに見た。その後は再びマドリッドに向かうためロンドン・ガトウィック空港へ。ちなみに今回は大きな都市間の移動はほとんどLCC(格安航空会社)を利用した。
<主にお世話になったライアンエアー>
実際に安い区間、例えばダブリンーエジンバラなんか15ユーロと驚くほど安かった。逆にロンドン―マドリッドはドル箱路線なのかさほど安くはないが、それでも荷物が少なく、ある程度早期に予約することができれば電車やバスよりも時間もお金もぐっと節約することができる。マドリッドには夜の9時ごろに到着。予約していた安宿までメトロを乗り継いで向かう。目的のオペラ駅の地上に出た瞬間、その解放感に思わず息を飲んだ。広場は人々で賑わい、バルの店員はせわしなくビールを運び、大通りは暮れかけた夕日の色に染まっていた。
<オペラ駅前アレナル通り>
もちろん人々はスペイン訛りのスペイン語を話す。それもアルモドバルの映画に出てくる娼婦のようなドスの利いたスペイン語だ。バルセロナが良い街だいう話はよく聞くけれど、マドリッドのことを良く言う人にあまり会ったことがなかったので正直それほど期待していなかった。でもマドリッド、なんだか良さそうだ。
<マドリッド俯瞰>
7/5(土)
この日は朝から人に会うことになっていた。マドリッドに来ると決めた後に、以前バルセロナで働いておられた京都の森田一弥さんに「マドリッドでは何を見るべきですか?」と相談したところ「マドリッドで会うべき人がいます。」と紹介していただいたのがこの志岐豊さんだ。志岐さんは長らくポルトガルで働いておられて、その後マドリッドの大学で建築家資格を取得され、現在はマドリッドで個人的に建築家活動をされている。この日は志岐さんのガイドでマドリッドの街を案内していただいた。ベタな観光地に始まり、現代的なミュージアム、今注目の若手建築家の作品など現地在住案内ならではのスポットにも足を運ぶことができた。
<アトーチャ駅 (ラファエル・モネオ)>
<マドリッド・コミュニティ・センター (マンシージャ&トュニョン)>
夜は志岐さんの友人の美容師さん夫婦も加わりバル巡りが始まった。こちらのバルでは酒を一杯頼むとツマミが一品自動的にサーブされる。いわゆるタパスというやつだ。その内容は店によって色々で、生ハムとチーズやオリーブ、冷製スープやポテトサラダなどなど。どれもシンプルでウマい。ビールやワイン、サングリアなど一杯飲んで少しつまんで次の店へ、というのを3,4軒繰り返し最終的にお気に入りのバルに落ち着いてじっくり赤ワインのボトルを開ける。値段はビールコップ一杯で1,5~2ユーロくらいだろうか(タパス含む)。アレナル通りは夜の1時や2時でもバルは人で溢れかえっている。この日も計4,5軒を渡り歩き、最後に志岐さんと宿近くのバルでビールを一杯やって別れた。久しぶりに酔っ払うほど飲んだ。マドリッド、なんだか良さそうだ。
<トルティージャ(ジャガイモ入りオムレツ)>
<パエージャ>
<サルモレッホ(トマトとパンの冷製スープ)>
<生ハムバゲット>
7/6(日)
ヨーロッパ最終日。朝起きると胃の辺りがグルグルして気持ち悪かった。いっそ吐いてしまおうかと思ったが、巧く吐くこともできなかった。
しばらくすると幾分気分もマシになってきたので街へと繰り出す。
<パラシオ・デ・クリスタル>
今日は大人しく美術館デーにしようと思っていた。マドリッドにはプラド美術館とレイナ・ソフィア美術館という2つの大きな美術館があり、分かりやすく言えば前者は中世~近代のいわゆる宗教画(ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコなど)、後者は近代~現代(ピカソ、ダリ、ミロなど)である。またどちらも日曜日のある時間帯になると入場が無料になる。限られた時間であったが、見たかったゴヤの「黒い絵」シリーズ、センゴクさんオススメのボス、ピカソの「ゲルニカ」は拝むことができた。またレイナ・ソフィアのブックショップではアルヴァロ・シザの装丁が美しいドローイング集とアマンシオ・ウィリアムスの作品集を購入。最後にCAMPERで頼まれていた土産品を購入し、マドリッドでのタスクは無事に終了した。宿に預けていたバックパックをピックアップし空港行きのメトロに乗り込む。ちょうどマドリッド滞在中にゲイの大きなフィエスタが催されていたようで、メトロ車内はスウィートでムサ苦しい空気が充満していた。
<ピカソ、ボス、ゴヤ>
今回は今までと違って現地で働く同業者の方々に会って色々と話を聞くことができた。同じような海外苦労話もあれば、その国らしいストレスや笑い話もある。そして皆共通して口にしていたのが「現地の建築家資格は取れるうちに取っておけ」という事だった。どうやらそれを持っていると日本での資格取得の際にも随分と役に立つらしい。そして今回は全体的に急ぎ足ではあったが、訪れた街はどれも当たりだった。基本的にその国の首都というのはあまり好きになれないのだが、ロンドン、ダブリン、エジンバラ、マドリッドいずれも個性的で歴史と活気がある魅力的な街であった。特にロンドンの洗練されたクールな雰囲気は素直に格好いいと思えた。マドリッドもメシはうまいし、人々は楽観的で気候も良く暮らしやすそうだ。それに言葉のハードルも英語に比べるとずっと低いだろう。どちらも住んだらユニークな体験ができる都市だと思った。南米ももちろん面白いが、次外国で暮らすとしたらやはりヨーロッパは魅力的な土地であると言える。そう考えながらイベリア航空のエアバス機に乗り込んだ。再び夏から冬への13時間のトリップだ。
<マドリッド上空>
ハワイイ・ホノルル空港にて
foto : yuji harada