interview#034 403architecture[dajiba]


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403architecture [dajiba] 

2011年に彌田徹、辻琢磨、橋本健史によって設立された建築設計事務所。静岡県浜松市を拠点として活動している。

彌田 徹(やだ とおる) 1985年大分県生まれ2008 横浜国立大学建設学科建築学コース卒業。2011年筑波大学大学院芸術専攻貝島研究室修了。2014年〜名城大学非常勤講

辻 琢磨(つじ たくま) 1986年静岡県生まれ。2008年横浜国立大学建設学科建築学コース卒業。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA 修了2010Urban Nouveau*勤務。2011年〜メディアプロジェクト・アンテナ企画運営。2013年横浜国立大学非常勤教員。2014年〜名城大学非常勤講師。

橋本 健史(はしもと たけし) 1984年兵庫県生まれ。2005年国立明石工業高等専門学校建築学科卒業。2008年横浜国立大学建設学科建築学コース卒業。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA 修了2014年〜名城大学非常勤講師。

 

 




今回は、Y-GSAの藤原スタジオメンバーで浜松に滞在し、403architecture [dajiba]の建築を見せて頂いた後、インタビューを行いました。

 

 




建築を始めたきっかけと、学生時代に学んだことや影響を受けた先生について教えてください。

 橋本:僕は高等専門学校という5年制の学校出身で、そこに入る時に一番おもしろそうだと思った建築学科を選びました。もともと、数学も美術もどっちも好きだったというのもありますが、何より建築の”図面”に惹かれました。なので、初めての建築的な体験というのは、空間としての建築ではなくて、図面というものの持つ、なんとなくわかるようなわからないような得体の知れない魅力でした。影響を受けたというか、ショックを受けた先生は山本理顕さんですかね。学部4年生のときに、山本さんの設計製図の課題があったんですが、まったく自分の考えを伝えることができなかったんですよ。ほとんど話が噛み合わない。それで、建築家にちゃんと話を伝えることができないというのはやばいんじゃないかと思って、当時校長だった山本理顕さん攻略を胸に秘めて、大学院はY-GSAに進みました。まぁ結局そこでも惨敗するんですが(笑)。山本さんのいう「リアリティ」というのが、学生だった僕にはよくわからなかった。その反動なのか、自分たちなりにリアリティを獲得するために、ともかく「実際につくる」ということを目的として現在の活動の前身となる 403architectureを大学院時代に結成しました現在の403architecture [dajiba](以下、403)は、その延長としてあります。ただ、活動を続ければ続けるほど、当時言われたことが効いてきているというか、むしろわれわれはY-GSAの教えを愚直に実践しているのではないかと思っています。建築を考えるときには、何が関わってくるのかということを、その人独自の視線で広げて見られないといけない。建築というのはありとあらゆるものに関わり得るんだという、そういう建築の大きさについておっしゃっていたんだと思います。

 辻:もともと僕は二世帯住宅に住んでいたんですけど、農協に務めていた祖父が副業で大工もやっていて、何度も自宅を自分で増築しているような人で、僕も祖父の見よう見まねで自分の部屋の増築図面を描いたりしていました。そのうち、小6の時かな、両親が家を別で建てるぞということになって、設計士の人との打ち合わせを横目にみていたら、どうやら建築設計という「本業」があるらしいということを知って。それから建築をやろうということだけは決めていました。ただ、建築についての勉強は全然手つかずで、大学の選び方も偏差値と国公立ということと「建築」という名前のついた専攻があるということだけで決めて入ったので、北山恒先生や西沢立衛先生のことすら知りませんでしたね。学部2年生の終わり頃に設計の課題が始まって、そこでようやく建築に目覚めた感じです。学生時代に印象に残っていることは、大学院の飯田善彦先生のエスキスですね。団地再生の課題で、本当にどうしようもない提案を持っていった時に、「お前は、建築みたいな複雑なものはできないからイスでもつくってろ」って叱られました。結果、今は「渥美の床」という床をつくってる(笑)。建築を考えることは途方もなく複雑なんだということを学びました。

 彌田:僕は知らぬ間に建築学科に入ってました(笑)。それこそ大学受験にあたり理系ではあるけれども、化学や物理が死ぬほど好きだった訳でもなく、消去法的に建築学科を見つけたというのが入口だったと思います。入学後も建築家を目指そうと思って学生生活を送ったと言うよりは、課題に対してもんもんと考えたり、みんなと議論したりする延長で今に至ります。そういう意味では403を結成するとなったときに「建築家になるんだなぁ」と実感しました。建築に関わってきた中で、修士で師事した貝島桃代先生や研究室での活動から大きな影響を受けていると思います。行っていた駅前改修のプロジェクトは、図面を引くというよりも、できたものをどう使うかとか、何のために広場をつくるのかをワークショップ等を行いながら考えるもので、建築は「つくられるもの」であり「つかわれるもの」でもあるという両面性を持ち、それらが関係しあうことで立ち上がる場のようなものであると教えられた気がしています。その経験は今の浜松の商店街での活動につながっていると思います。

 

—-403ができたきっかけはどのようなものですか?

 辻:403はもともと学部4年生のときの製図室だった403号室にいた6人組で、よくいろんな議論を深夜までしていました。結成の直接のきっかけは、2009年当時のY-GSAの設計助手だったオンデザインの西田司先生が設計した「ヨコハマアパートメント」の竣工を祝うインスタレーションです。学部卒業後別々の環境になったこともありましたし、都市的な課題へのジレンマもあって、また集まって何か実際につくりたいと考えていたタイミングで丁度話をいただいて、是非やらせてくださいと。そのプロジェクトでは、竣工する直前ということを生かして、それまで囲っていた仮囲いを転用して、単管を使ったインスタレーションを行いました。その後も、写真家や画家の方と恊働したりだとか、ヨコハマアパートメントのピロティ空間で何度も展示させていただきました。すべて基本的には会場構成ですが、自分たちで素材も購入し、搬入や搬出もし、とにかく設計から施工まで、一通りのことを自分たちで経験してみるということができました。

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2009年に行われたヨコハマアパートメントでの写真展

 

—-勉強会「現在建築史研究会」は、どういう経緯で生まれたのですか?

 辻:あの活動は「建築史を現在にひきつける」という有志の勉強会で、そもそもは403メンバー内で建築の歴史を実感できるようなトークイベントをやりたいと話していたのが発端だったんです。それでゲストに先輩でもあり建築家の藤原徹平さんに来てもらおうとオファーしたら「そんなんじゃだめだからもっとちゃんとやれ、一発で終わらせるな」という言葉をいただいて、勉強会という形になりました。藤原さんが建築史家の倉方俊輔さんと日建設計の勝矢武之さんを呼んでくださって、その3人と403の6人と、僕たちで声かけをして集まった同世代の有志で、月に1回程度研究会を開いていました。あくまでも自分がそのときに興味があることをテーマに、その歴史的な可能性を大人たちが議論するという形式で、実質的には3年ほど活動しました。基本的には、個人が興味のあることを掘り下げるのですが、途中から興味が似た人同士でグループができ始めて、離散集合しながら最終的には9つのグループに落ち着きました。新たに参加したい人は、1回目は見学で、2回目からプレゼンさせられる(笑)。それで、どこかのグループに入るか自分でグループを立ち上げるかを決めるというルールの、開かれた研究会です。

 

 そこで知り合った方たちと今でも交流はありますか?

 辻:ありますよ。当時はまだ学生でしたけど、モクチン企画の連勇太朗さんや、ツバメアーキテクツの山道拓人さんとは独立後、Y-GSAのシンポジウムの企画で一緒にプロジェクトに携わりましたし、刺激をもらう人達がたくさんいます。セルフビルドだけが実践ということではなくて、自分の実感を歴史に接続するという実践を共有することもとても大切だと思います。

 

—403architecture [dajiba]として浜松で仕事を始めたきっかけは何ですか?

 辻:2010年に開催された「浜松建築会議」という、僕も含めた浜松出身の建築家で企画したシンポジウムとワークショップがきっかけです。そのワークショップで、静岡文化芸術大学の学生と403の6人が恊働して、中心市街地の空き室のリサーチと短期利活用をセットにしたプロジェクトを立ち上げたんです。学生たちとコミュニケーションをとりながら、ゆりの木通りという商店街にある4つの空き店舗を利活用するというものだったんですが、実際にプロジェクトを進めていく過程で、徐々に地域の人たちとの関係性が生まれていきました。そんな具合で浜松との関わりが始まり、その1年後に今の3人で403architecture [dajiba]を立ち上げました。6人の中でも特にコンペやグループ課題を多く共同設計で経験していたのが今の3人だったんです。

 彌田:当初はマンションのリノベーションなどいくつか実践できるプロジェクトがあるという情報があって、いずれ3人で事務所を開いたら面白そうだとも思っていたので、時期が早まったんだなと思いつつ、独立を決めました。でもやり始めたら仕事は実はそんなにたくさんはなかったんですけど、結果的に徐々にいろいろ繋がって、仕事が少しずつでき始めたので今日まで途切れずにやってこられています。

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2011年の作品「三展の格子」 美容室の店内につくられた休憩室 

撮影/kentahasegawa

 

浜松以外の敷地で設計する予定はありますか?

 橋本:浜松以外では仕事しませんというわけではなくて、あくまで拠点を置いている場所ですね。ですが、われわれの特徴として、事務所を中心にプロジェクトが正規分布的に集中しているということがあります。徒歩圏でいくつかプロジェクトが同時進行するようなことも珍しくなく、そのような距離感だからこそできることや、わかることはあります。あとは、浜松は新幹線に乗れば東京も京都も1時間ちょっとで出られるし、フットワークは軽くできる。必ずしも浜松市内だけで活動しているわけではなくて、実際に都内で進行中のプロジェクトもあります。

 辻:その環境にどれくらい自分たちが浸れるかということは重要ですね。あるリソースを共有しやすい状況があれば、浜松以外でもできるかなと思います。

 彌田:両方あることが大事だと思っています。浜松という地域を中心に活動していますが、ここでのやり方や考え方は汎用性があると思っていますし、他の地域でやる事例があってこそ、やり方や考え方の汎用性が検証され、403らしいプロジェクトの展開が見え、面白いかなと思います。

 

活動としてまちづくりもやっているのでしょうか?

 彌田:僕らの事務所では、個人プロジェクトと403プロジェクトと分かれた枠組みを設定していて、僕個人が行っているまちづくりのプロジェクトもありますが、辻も別で個人の活動をしています。まちづくりと言ってもいろんな側面があるので、そこの活動は別々です。

 橋本:僕が認識している範囲で、だいたい30人くらいの人が積極的に浜松の街に対してプロジェクトを起こしています。もちろん、いろいろなバックボーンがあって、いわゆるまちづくりを専門とする人だけではなくて、アートやデザイン系、経済関係や、飲食店の人、職人さんでいろいろやっている人もいますね。その内の何人かが必要に応じて組織されて、同時多発的にプロジェクトをやっているような状態です。なので、そこに403のメンバーも個人として参加しています。

 辻:403の仕事、個人の活動、個人と事務所外の人との恊働が並行している感じですね。

 

設計手法の一つとして「マテリアルフロー」という概念を提唱されていますが、物資を再利用するようになったきっかけはありますか?

 橋本:足場として使っていたものを組み替えてインスタレーションつくるという、最初のプロジェクトがそのままマテリアルの再利用でした。グループで活動しているということもあると思うのだけど、どんな風につくるかというときに、突拍子もないアイデアみたいなものではなくて、その場所をよく観察してどういうコンテクストがあるかっていうのを読み込んだ上で、これは使える、これは使えないって一つずつ考えていく。コンテクストをどういう風に読めるかっていう、読み方の創造性みたいなものを面白いと思っているところがあります。

 辻:単に自分はこれが面白いと提案しても、それは主観的な意見なので誰も納得しないけれど、設計に使う条件、例えば敷地の形や入るべきプログラム、素材、そこが持っている特徴といった、与条件といわれるようなものに対しては議論が成立しやすく、建築の創造に直接結びつけられやすい。当時は6人というグループで設計していたので、ある客観的な議論の仕方というか、自分たちの中からというよりは対象の持っているコンテクストから拾うと議論が展開していく感覚がありました。とにかく、全員納得しないと前に進まないグループというかね。ひたすら議論していく中で、あれはだめこれはだめってつぶして、結果的に残った案が、実際にその場所にある素材を動かすということだったということかもしれない。

 橋本:リサーチでもデータ的なものは調べればわかるけど、ただ膨大に集めても紙が分厚くなるだけで結局なんだかわからない。視点を定めてコンテクストが浮かび上がるようなリサーチにこだわっているように思います。学生のときは独自ルールすぎて、あんまり人に伝わらなかったけど(笑)。ロジックが成立しているか、していないかというのは大事だけど、それだけじゃ足りない。

 

リノベーションとコンテクストを読みこむという点は、どういったつながりがあるのでしょうか?

 橋本:例えば「渥美の床」のプロジェクトでは、畳敷きの和室を寝室にする際に、ベッドを置けるようにしたいという要望でした。そこでわれわれは天井の下地を、畳の換わりに床に敷き詰めることにしたんです。天井から床に、材料を落としてつくるというか。クライアントの要望と現場の状況をコンテクストとして読み込んだ時に、そういう極小のモノの流れを設計することに絞って、他の部分は最小限しか手を入れていません。

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天井材を床材として再利用したリノベーション事例「渥美の床」 

撮影/kentahasegawa

 

そこの線引きに403らしさがあるんですね。

 橋本:廃材のテイストみたいなものを表現したい、という意図はないんです。むしろそういうものを露骨に出すことは避けたい。けれども、「その場にある材料」というコンテクストには魅力がある。なので、「渥美の床」では、表面がすべて切断面で、新しい面が見えるように置いています。新しいとか古いとかっていうものの、どちらかを否定するようなコンテクストの塗り込め方じゃなくて、それをバランスさせる方法を考えたんです。

 彌田:そういった現実的な条件に加え、建築学的な要素なども重要だと考えています。歴史というのは、いわゆるモダニズムの場合もありますし、民家などのアノニマスな知識や経験が積み重なったものの場合もあります。それらに対して現代的にどのように関わりを持っていくかというのにも興味があります。床の場合は、小さな部材間の手作業によってできた僅かな段差をヤスリがけすることによって滑らかに仕上げています。できた起伏によって伝わる足裏への感触は平らなフローリングというよりは、畳を想起させます。和室を洋室にリフォームしたいという現代的な要望に対して、そのあいのこで応えたプロジェクトでもあるのかと思っています。具体的なことと抽象的なことに優劣はないですか、我々としてどこに対してどのような射程を見せるのか、ということは大事だと思います。

 辻:どういった歴史がその場所にあるのかということだけではなくて、自分たちがどういう歴史を学んできたのか、あるいはどういったセルフビルドのスキルを持っているかということだってコンテクストになると思うんですね。自分自身も建築のためのコンテクストに含まれているということです。今「渥美の床」のプロジェクトの依頼が来たら、他のものになっていると思いますよ。施工スキルとか、持っているモノとか、全部ちがうから。なので単にプログラムだとか、敷地の状況だとかということだけではなく、全てコンテクストなんです。それをどこまで考えられるのか、ということが新しい勝負です。

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農業用メッシュシートを用いた住宅改修プロジェクト「富塚の天井」

 撮影/kentahasegawa

 

これからやってみたいプロジェクト、扱ってみたいマテリアルはありますか?

 辻:どういうマテリアルを使うかは本当にプロジェクトによるので、この素材を使いたいというのは特別ありません。基本的にはプロジェクトが起こって、クライアントの話を聞いて、敷地の状況を見て、どういうマテリアルを使ったらいいかを考えるという順番です。例えば、以前であれば解体がセットになっているプロジェクトだったり、そのときに自分たちが溜め込んでいた材があったなどという条件が重なった時に廃材の利用が実現した。経験してみたいプロジェクトとしては、「開かれた工房」のようなプログラムを自分たちで用意したいなというのはあります。公共空間ということかもしれないです。

 橋本:マテリアルの種類でいえば梱包材はよく使います。積層段ボールもプチプチも本来は緩衝剤として使う材料だし、あとはパレットだとか。物流を支える材料自体を、生産に巻き込んでいくというのは、つくるための回路としてはおもしろいんじゃないかと。やはり、流通と生産の関係がもっと柔軟にならないかということを考えています。必ずしもカタログみたいなものから選ぶだけでなく、何らかの新しい物流経路を見つけられるんじゃないかというのは、マテリアルに対する共通したアプローチです。

 

最後に学生にひとこと、お願いします。

 辻:コンテクストに対する意識というものは誰にでも、どこまでも開かれています。設計課題という環境下で学生という身分の自分にしかできない建築というのは絶対にあると思いますし、あれもこれも提案につながるんだ、という「遊び」や「余裕」を感じてやって欲しいですね。その方が朗らかに思い悩めるはずですから。

 橋本:やはり学生同士で議論する時間を大事にした方がいいんじゃないかと思います。ストーリーというか、ロジックを組み立てるときに、それがいくら正しそうに聞こえても、つまらないことは多い。優秀な方法みたいなのを模倣するんじゃなくて、創造的なロジックの組み上げ方を鍛えるには、能力の近い人と、とことん議論するのがよいと思っています。うまくまとまってるだけ、みたいなのが「おもしろく」感じるようになっちゃったら、致命的ですから。

 彌田:自分の興味を見つけるのは大事ですね。それは学生時代にしかできないことではないですが、自分が好きなモノを沢山見つけ、何となくなものでいいから軸をつくる事で色々なものの見方が変わったり、人や活動との繋がりが生まれていくるのだと思います。

 

長い間お話を聞かせて頂き、ありがとうございました。

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インタビュー構成:寺田英史(M2)浅井太一(M2)田島亜莉沙(M1)曲萌夏(M1)

インタビュー写真:田島亜莉沙(M1)

 


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