Sanozm13


ゲストクリティーク

 

先々週末、友人の建築家王喆(ワンツェ)さんにお誘いを受け、台湾四大学卒業設計合同中間講評会にゲストクリティークとして参加させていただきました。王喆さんは日本のシーラカンスで1年間修行をした経験の持ち主。いわば小嶋一浩さん・赤松佳珠子さんのお弟子さんでもあります。

会場は逢甲大学。台湾随一ともいわれる夜市と隣接しており、これまでB級グルメ目的で来たことはあってもキャンパス内に入るのは今回が初めて。原宿の竹下通りを彷彿とさせる雑踏をくぐり抜けアクセスすると、そこには大学らしいゆったりとした景色が広がっており、何やら妙に心落ち着かせるものがありました。

さて、いざ建築学棟へ。エレベータで目的の階に着くとそこはもう見慣れた風景。製図板にゴミ、ゴミ、ゴミ。どうしていつもこうなってしまうのでしょうか(笑)。とにかく必要以上に濃厚な生活臭を教室内に持ち込んでしまうのは世界各国建築学生共通の習性のようです。

とまあ、ここまでは日本の講評会と何ら変わらない風景なのですが、外部廊下のアルコーブにて、おもわずなるほどと膝を打ちたくなるような光景に出会いました。建築書籍の本屋さんです。雑誌や書籍がそれなりの数ズラリと平置きされており、『新建築』や『A+U』、なかにはせんだいデザインリーグの日本一決定戦まで揃っている。図面や模型の表現で悩みに悩んでいたり、あるいは「そんな基本書も読んでいないのかあああ!」と一喝されて凹んでいる若者にそっと救いの手を差し伸べつつも報酬を手にする。かゆいところに手が届くというか商魂たくましいというか、、、。聞くところによると台中の学校の課題という課題にはほとんど出現するのだそうです。日本ではあまりみない光景ですよね。

 

ところで、肝心の卒業設計案。今回プレゼンテーションをしたのは5月に提出を控えた(台湾は9月入学)計11組。各テーマは以下のとおり。

 

鉱山自然復元計画

移動式小劇場‐アルミ製ピクチャーレールを基本部材とする架構の提案‐

監獄X動物園

桃園空港航空博物館解体/カプセルホテル化計画                                                           

若年層向け公団のリノヴェーション‐タトゥーをモチーフとして‐

台湾タワーに映画村を建てる

同性愛者のための浴場-都市の中に霧を起こす-

北投温泉区産後支援センター

緑化屋根による街づくり計画

台中中区雑居ビル微更新計画

機械式腕時計をメタファーとする職住コンプレックス計画

 

 主観に基づき日本語タイトルを付けさせていただきましたが、全編中国語によるプレゼンテーション&講評はそれなりにヘヴィーです。常駐生活ももはや6年目に突入。普段の生活や建設現場でのやりとりでは全くストレスを感じないほどにまで至ったものの、建築批評の言語はやはり別種。正直なところ半分程度しか理解できないプレゼンテーションもありました。最初は聴き取れない事実に愕然としていたのですが、徐々に明らかになったのは、先生側の話す言葉については非常によく理解できるということ。完璧とは言えないまでも言わんとすることはほぼわかる。では、どうして学生の言語は聴き取れないのか。その原因はやはり、多くの学生が自分自身何を伝えたいのかを理解していないことにあるような気がしてしまいます。伝えたいことがあってまだ消化できていない、あるいは言語化できていないというのならまだしも、そもそも伝えたいことが存在していないのではないか。元気がない、やる気がないと精神論を振りかざすことに意味がないのは承知済み。ひょっとすると台湾でも「建てない建築家」というのが今の空気感なのかもしれませんが、建築でなくてもよい、とにかく何かかたちにしたいという感情の発露から全てはスタートするという考え方はもはや過去の遺物なのでしょうか。

もう一点私が共通して皆に発した老婆心的コメントは、「平・立・断をしっかり描こう」というものです。パースや模型、極端なはなし、プログラムのコードだけで表現できるような計画も皆無とは言いません。しかし、そこまでラディカルでないかぎり、やはり基本図は建築にとって永遠のコミュニケーションツールだとおもうのです。デジタル表現の追求は徹底的にやるべきですが、断面線は太く、見えがかりは細く。基本的なルールを外してしまうとなんとも味気ない、焦点のぼやけた図面になってしまいます。

彼らのなかには優れている点ももちろんありました。それは、圧倒的なリサーチ力です。量もさることながら結果をグラフィカルにまとめる能力にはまさに脱帽。これはOMA(AMO)を源流とするMVRDVやBIGのプレゼンテーション手法の影響を多分に受けているのでしょうね。軽妙なテンポでスライドをめくられるとおもわず騙されてしまいそうになります(笑)。問題の気づきからリサーチを経、プログラムの説明までじつにスムーズな展開で論理的な破綻もない。ここまではものすごく納得がいくだけに、かえってそのあとの物足りなさが余計に目立ってしまうのかもしれません。

 じつは、同じことを昨年横浜国大の卒業設計でも感じました。校風による違いはあるにせよ、最近ではどこの学校でもキーワードは社会性。社会性なきものは建築にあらずというような風潮が蔓延しているような気がします。建築が社会的な存在であることは言わずもがなではありますが、プログラムが社会のニーズに合致していることを証明して満足してしまっているプレゼンテーションが多いのはとても残念。「これだったら社会に必要ですよね」と周りの顔を伺いながら提案するだけではなく、「これがつくりたいんです、それが社会の何になるかはまだわからないけれど」という伝え方があってもよいとおもうのです。多少乱暴な言い方ですが、多様な解釈を可能とすることが建築や都市の豊かさにつながるのだとしたら、存在理由を後付けするのも十分アリなのではないでしょうか。

 

 

 建築教育の場に限らず、建築業界全体を取り巻く環境において、台湾は日本とほぼシンクロしているということができます。この日感じ取った傾向はそのまま日本の建築学生の傾向であり、それは言うまでもなく日本の建築界の今を映しているのだとおもいます。台湾の学校で日本の建築界を識る。そんなことを考えさせられた講評会でした。

 

 

 


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