interview#040 山本力矢


山本力矢プロフィール+








山本力矢(やまもとりきや)

1977年福井県生まれ / 2000年東京理科大学工学部建築学科卒業
/ 2002年横浜国立大学大学院修了
/ 2002年〜SANAA勤務
/2013
年よりSANAAパートナー / 東京理科大学工学部建築学科非常勤講師

 




今回、SANAAパートナーである山本力矢さんに、妹島和世建築事務所設計の「なかまちテラス」でお話を伺いました。「なかまちテラス」は、山本さんが設計を担当した小平市の公民館と図書館機能が入った公共施設。山本さんに建築を案内していただき(その様子はこちら)、その後、施設内の学習室でインタビューが始まりました。

 

 




まず建築学科に進まれた経緯を教えてください。 

子どもの頃なりたかったのはサッカー選手くらいで、なかなかこれになりたいと本気で憧れた職業には巡り会えなかったです。サッカー以外で夢中になったのは図工と美術くらいですかね。小学生の頃、みんなは授業内で終わらせて帰るのだけど、僕は居残って納得できるまで必死に制作していました。高校1年生の文理選択の時に、どちらかといえば理系科目が得意だったという理由から理系に進み、大学受験では、機械とかにはあまり興味が持てそうになくて、建築と美術は関係あるのかなあというくらいで、消去法で建築・土木を選びました。ただ、住宅は大工が作るものだと思っていたし、公共建築を利用する機会も少なかったから建築家なんて全然知らなくて、東京理科大に合格して土木か建築か選ぶ時も、なんとなく偏差値で建築を選んだのだと思います。

 

東京理科大に進学してからの学生生活はいかがでしたか。

福井にいた時は自然に囲まれた環境で、サッカーばかりしていたから、東京はいろんな刺激がありすぎて、大学に入っても勉強どころじゃなくて最初の半年は生活に慣れるのに必死でしたね。

大学ではサッカー部に所属していて、設計課題以外は、建築よりもサッカー優先で、チームは弱いながら必死で練習していました。理科大はグラウンドを持っていないから、いつも走りこみばっかりで、体力と根性が鍛えられましたね。そんな中でも、設計課題だけは好きだったから手を抜けなくて、締め切り前は徹夜をして、部活も全力でやるから、どんどんハイになっていく、めちゃくちゃな生活でしたね。元気だった時代です。

 

横浜国立大学に入るきっかけと、入学してからの様子を教えてください。

初めて買った新建築19971月号にSANAAのマルチメディア工房が掲載されていて、「なんだこれは!これも建築なのか!」とかなり衝撃を受けたのを覚えています。これがきっかけで建築家に興味を持ちました。でも、学部時代は建築のことを何も知らなかった。進学か就職を決める時期になって、設計を仕事にしたいとは思ったけど、もう少し勉強したいと思い、建築家のいる大学院に進学したいと思いました。ただ、当時の僕はかなり情弱で、どの大学院に建築家がいるか、あまり知らなかった。授業中も教室の隅の方にいるタイプだったから周りも当然そんなことは知らなくて、先輩に相談して横国のことを教えてもらいました。それから建築文化の北山恒さんの特集を読んで、横国への進学を決めたような気がします。建築を全然知らない上に、成績も中くらいだったから、受かったのは運が良かったんでしょうね。横国に入学して人生がガラッと変わったと思います。

理科大は、製図室は狭いし自分の机もない、夜になると大学から出なければいけなかったから課題は家でやってくるしかなかった。模型はみんな何の疑問も持たずにスチレンボードで作るし、雑誌は自分で買わなければ読むこともなかったですね。それに比べて横国は、広い製図室に自分の机があって、夜遅くまで残って課題をしたり、ダンボールを使って巨大な模型を作ったり、雑誌がそこら中に広がっているような自由な雰囲気で、まるで環境が違いました。理科大にはない一体感もあったから、見るもの全部が楽しくて、外国に来たのかってくらい新鮮でした。あと学祭の仮設建築の自由さにすごくびっくりしたし、大学、建築って面白いものだったんだと気付き始めたんですよね。

 

大学院で印象的だった出来事はありますか?




一番インパクトがあったのはM1後期の西沢立衛さんの設計課題です。出された課題は「公共建築と思えるもの、何をやってもいいです」とすごくシンプルでした。エスキスは毎週、各自それぞれの案を持ってきて、それらについて、西沢さんと学生7人のみんなで議論する時間でした。誰かが案を出すと、西沢さんはもちろん、みんなも自分のことのようにこうした方がいいんじゃないかとか意見を言う。このエスキスで、建築の奥深さや多様性、敷地を深く読み込むことや、そこでしかできない建築を考える価値観など、多くを学びました。学部の時までは、極端に言えば自分が納得いけば良いと思ってたので、考える対象がかなり狭かったのだけど、これを境に考える事の多さや議論することなど建築の面白さに気づいて、この課題は本当に貴重な財産ですね。課題を進める中で、西沢さんからよく「建物がよくなるなら利用できるものはなんでも使うべき」と言われて、それから必死に雑誌などを読み漁るようにもなりました。

 

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—SANAAに入所した経緯を教えてください。

M2になってからも、夢中になって建築を楽しんでました。就職活動もしないで実施コンペばかりやっていました。手塚貴晴さん設計の「キョロロ」が選ばれたんですけど、「越後松之山『森の学校』」という妹島さんが審査員の一人だったコンペがあって、最終5組に残ったこともありましたね。それで「このコンペが終わったら就活しよう!」と言いながらも次々コンペに参加して、全然就職活動する気がなかったですね(笑)。この年に北山さんが教授、西沢さんが助教授に就任されて、修士設計でも修了できるようになりました。それで僕と髙橋一平くんが修士設計を選択したのですが、修士設計を本気でやりたいから「修士設計が終わったら就活しよう!」と言っていました(笑)。修士設計が終わったらすぐに卒業なのに、そのヤバさに気づいてなかったですね。修士設計が終わって、いよいよ研究室も追い出されて、どうしようかと思っている時に、西沢さんから「妹島さんが3ヶ月間だけコンペを手伝ってくれる人を探しているんだけど、暇してるならやらない?」と声を掛けてもらって、まさに暇だったから手伝いに行って、そうこうしているうちに現在に至ってます(笑)。

 

—SANAAに入所してからはいかがでしたか? 

最初の1年間は、とにかく怒られ続けました。大学院で建築の全てがわかった気になって自信満々だったのが、完全に打ちのめされましたね。いくら案をつくっても怒られて、そのうち自分の引き出しにある案は出尽くしてしまって。そこからはひたすら問答しながら自分が本当に良いと思うものを作るのだけど、それでも怒られて毎日辛かったですね。

 

その状況はいつまでつづいたのですか?

「鬼石多目的ホール」の基本設計の終わりの頃、エアコンの無い夏の蒸し暑さの中、締め切り直前で毎晩夜中まで打合せして、ひたすらスタディをしていたんですけど、やらされている感じがしなくなったんですよね。「自分で考えてなんとかしなきゃダメだ」と能動的に取り組めるようになったんです。頭では分かってるつもりで当たり前のことなんですけど、それが本当に分かったというか。それに気づいてからは怒られる回数が減った気がします。

 

—2013年からはパートナーになられました。パートナー制についてと、それまでとの変化について教えてください。

現在、SANAAのパートナーは僕を含めて3人います。妹島さんと西沢さんの2人だけではなくて、もっとやわらかいチームで建築をつくっていきたいという意識がパートナー制をとった理由なんじゃないかと思います。妹島さんは常にいろんな人の意見を求めるのですが、それによりみんなを巻き込んでいく感じがすごく面白いのです。「ルーヴル・ランス」が竣工した後、正式にパートナーになりましたが、今も新入所員と一緒に健気にスタディしていますよ(笑)。変わったことといえば、今までと同じように手を動かしたり現場に行ったりしながらも、全体を俯瞰する視点が加わったことですかね。妹島さん、西沢さんとの関係はそれまでと変わらない気もします。

 

設計での変化はありますか? 

それは確かに変わりましたね。以前までコンペの案や建物の詳細まで妹島さん西沢さんが最後までいないと決まらなかったけど、いろいろな進行中のプロジェクトや最近勝った「ブダペスト新国立ギャラリー」のコンペなどもそうですが、節目で2人と打ち合わせをする進め方とか、任せられる範囲が変わってきている。そういう中で数年前から個人的なテーマみたいなものがあって、「適当さ」を建築にしたいというものなんですけど、そのあたりを実現したいというモチベーションはスタッフだった頃とは違うかもしれないです。

 

—SANAAではどのように建築をつくっていくのでしょうか?

直感から案を作ることと、言葉で組み立てて形にすることを交互にやって、更に模型を作って考えることを繰り返してる感じでしょうかね。その中でも違和感や気づきといった感覚が大事です。建築は形だけではなく、言葉とも一対です。僕は建築を説明する言葉の大切さの多くを妹島さんと西沢さんから学びました。

 

具体的なエピソードはありますか? 

「海の駅なおしま(以下、「なおしま」)」のときの話なんですが、このプロジェクトは敷地全体にひとつの大きな屋根をかけたフェリーターミナルです。元々の敷地はこの屋根の1/5くらいの大きさで、そこに観光案内所と券売所、その脇に香川県の敷地を借りて屋外の車の待機所と駐車場をつくるというプログラムでした。  

 

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 「海の駅なおしま」




 

事務所内の打ち合わせで、車の待機所まで雨に濡れずに行けるように、雨除けとして敷地をはるかにはみ出して大きな屋根をかける案を作ってみたんです。そしたら西沢さんがその模型を見て、「これは海や船から見たときの水平方向のランドマーク、島全体のエントランスホールになる」と、パッと言ったんですね。ただの雨除けだった屋根が、その言葉だけで全然違うイメージになりました。この言葉があったから計画敷地を広げる提案を町長に受け入れられ、更には県と交渉して実際に敷地を広げてもらえました。一つの言葉によって僕達だけでなく町民の方々ともイメージを共有できたし、普通の駐車場ではないんだという意識が芽生えたおかげで使い方のイメージも広がったんですよね。この時は本当に言葉の大切さを痛感しました。

 

—SANAAの建築はスタディ時の面白さが実際の建物に現れていると感じました。スタディを重ねる中で当初の良い雰囲気を残すコツがあるのでしょうか? 

最初に持っていた良さを崩さずに案を発展させていくために、どこかで常に原点に立ち返ろうと意識はしています。かといって、その場所の自然環境や物理現象は無視できないから納まりは変わるし、案も変化させます。夜中にスタディして「これなら行ける!」と盛り上がった翌日に、その案が全然良く見えなくなることはよくあります(笑)。同じものでも状況によって見え方は変わるから、その中でずっと生き残っていくものを目指しています。これは永遠のテーマですね。

最近では模型だけで表現しきれないことも増えてきて3Dも使うようになってきました。例えば「鶴岡市文化会館」の時は、小学生の図工みたいに紙をチョキチョキ切って屋根をつくって貼って模型を作りながら、それを3Dと図面にして検討を繰り返しました。形を決めるために模型は重要だけど、ディテールなどは模型だけでは不正確だから、3Dと図面で検討し、あらゆる方法を駆使して確認するようにしています。

 

構造はどの段階で決めているのでしょうか?

基本的にスタディ中でも構造のイメージは持ちつつ、構造家に見てもらって最適解を与えてもらいます。でもスイス・ローザンヌの「ロレックス・ラーニングセンター」のときは何も決まってなくて、構造から話が進んだりもしました。案が作れないまま佐々木睦朗さんとの打ち合わせの日が来てしまって、「どうしましょう」って相談して(笑)。当時、佐々木さんが興味を持っていた3Dシェル構造の話を聞いて、そこから案を考えていきました。




佐々木さんとの打ち合わせはいつも刺激的です。「ブダペスト新国立ギャラリー」のコンペのときもそうでした。展示室が年代順に立体的に組み上がっていて、それらに公園から連続するように自由に出入りできるようなスロープやテラスがあるという案なんですが、複数の重なり合う屋根とスロープ、展示室の箱がどうしても綺麗にならなかったんです。そんな状態で佐々木さんに見ていただいたら、瞬時に具体的な構造を提案してくださって、案に一気に背骨が通って、それまでカオスに見えていた同じ模型なのにすごく明快な案に見え始めました。これはいけるなと興奮しました。




 


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「ロレックス・ラーニングセンター」

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「ブダペスト美術館」コンペ案

 






最近の山本さんが担当されたプロジェクトからは屋根への興味を強く感じます。

「なおしま」で屋根にどんどん人が入っていく様子、庇下でアクティビティが広がっていく様子を見て、屋根には境界がなくて、だからこそ内と外が緩やかにつながるということを感じました。「ロレックス・ラーニングセンター」は大きくて自然の地形のようなスケールで周囲に連続していく期待もあったんですけど、気候的にインテリアにせざるを得ないこともあって結果的には内と外は明確に分かれる。その現場の終わりくらいから「内と外が同時に決まるもの」や「やわらかくつなぐもの」をつくりたいという意識が我々の中で出てきました。それまでは、全体の形を作って内側を変えていく方法だったから、一つ変わると全て変わる不自由さがありました。それが屋根を用いることによって内と外、太陽や風などの環境の違いや与件の変化にも柔軟に対応できるようになった気がしていて、いろいろなパラメーターを取り込みつつも一体感のある構成を考えています。

 

「なかまちテラス」を体験して、余りの空間があることで使い方を考える余地や、変化を許容する雰囲気を感じます。 

内と外を意識的につなげていることが大事なんだと思います。まちの中、周辺環境、ひいては地球の中でどうやって建物を作って、人とどう繋がるかを常に意識しているから、そういうものが自然と現れているのかもしれないですね。変化を許容する場をつくるという意味で、良い例が「SHIBAURA HOUSE」です。5階建てのオフィスビルを建て替えるプロジェクトで、お施主さんは普通の積層型のオフィスに疑問を持っていて、「まちに開かれたオフィスにしたい」とおっしゃっていました。初期案は1階を地域に開けたホールにして、それ以外はオフィスにするプログラムだったんだけど、打ち合わせを重ねた結果、最終的にはオフィスの面積が最初の1/3くらいになって、社長室さえなくなりました(笑)。1階はフリースペースだから公園みたいにお弁当を広げたり、ちょっと寄って仕事をしてもいいし、他の階のオフィススペースも時間貸しで誰でも使えるようになっています。いろんな人たちとコラボレートしてワークショップをやって、それに関わるものデザインしたりしていて、いまだに使い方がいろいろ変わっていくとても多様な場所になっています。 




 




 

 

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SHIBAURAHOUSE」外観

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SHIBAURA HOUSE」内観

 






 

そういった建築の実現には何が大切でしょうか?

クライアントやいろんな人たちの意見をよく聞いた上で、僕らが素直に良いと思えるものを信じて相手に共感してもらえるかどうかだと思います。時代の何かを映して建築を作っていきたいし、そういう意味で時代にフィットしているというのも大事だと思います。その一方で普遍的な価値を探して、それを言語化して人と共有できるようにすることも大切です。

 

「地球の中で建物を作る」ということを意識されたのはいつからでしょうか?

3.11の影響ももちろんあると思うんですけど、一昨年インドのアーメダバードにあるコルビュジェのサラバイ邸などを見に行った時、コルビュジェの建物すごかったんですが、負けず劣らず街も刺激が強すぎて、目が開きっぱなしで本当に興奮しました。日本では道路と歩道はもちろん、建物もひとつずつ分かれているのに対して、インドの道路は車やバイクだけではなく象や牛があたりまえに歩いているし、人も自由に横切っていて、広場状態で本当にどうなっているのかと(笑)。路肩に人が座っていたり、壁に鏡を一枚貼って、ペラペラの屋根とボロい椅子を置いただけの床屋が髪を切っているんですね。貧しい人も犬も動物も赤ん坊も植物もみんな平等というかつながってる。我々のやってる活動が境界のないものであることをすごく感じました。 

 

アーメダバード修正-thumb-780x520-3150

インド、アーメダバードの風景

 

建築家の職能についてどうお考えですか?

例えば、いま東京オリンピックの計画が進んでいるのだろうけど、どんな計画なのか僕らには話が来ないですよね。新国立競技場の問題にも当てはまると思うんですが、プログラムの設定から行政、都市計画家、建築家がある程度コラボレーションしながら進めていかなければならないと思います。お互いに守備範囲をオーバーラップさせるような形で。ぼくは東京理科大で都市・建築史の伊藤裕久先生の研究室に所属していたのですが、伊藤先生から歴史というのは、その時代を生きる人がどう考えるかで評価されるもので、その時代の評価が歴史になっている、と教わりました。そう考えると、例えば首都高が景観的に良くないと言われるけど、当初は未来的な計画だということで評価されたのだと思うし、それは今後再評価されるかもしれないですよね。同じように、超高層ビルが並ぶ都市風景は良くないとされているけれど、未来では評価されるかもしれない。その時になって、超高層にほとんど関わっていない日本の建築家の役割はどうなってしまうのだろうと。だから建築家は時代に柔軟に対応していかなきゃいけないし、リードしていかなきゃいけないと思います。

 

この先の建築についてどう考えますか?

多様性のある時代だからこそ自由に考えられて、いろいろな可能性があると思います。ただ、すごいスピードでデザインが消費されていくし、建築雑誌を見ているとなんとなくみんな似てるなあと思うこともあります。それが今の時代の空気なのかとも思うけど、やっぱりニーマイヤーやコルビュジェ、ミースの作品は今見ても新鮮味があって大胆で、面白さも綺麗さもいろんなものを持っていながらも、あるルールの中でやっている気がして、すごいなと感じるんですよね。建築はダイナミックなものだから、自分も含め、もっといろんなことができるんじゃないかと思っています。  

  

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卒業設計シーズンですが、アドバイスはありますか?

都市の中での建築のあり方とか、環境全体を考えることが大事だと思いますね。それと、建築家はどれだけ自分の世界観を人に伝えられるかが大事です。思想家のような一面を持ちながら、ものを作れるという建築家の面白さを忘れないでほしいです。

 

学生に対して一言お願いします。

何をやっても建築の糧になると思うので、建築以外のことにもいろいろ興味を持って外に出て行くのが良いと思います。それと、自分が好きだと思うものに素直であるべきです。自分ならではのものづくりを大事にしてください。

 

ありがとうございました。 

  

 

インタビュー構成:草山美沙希(M1) 古野咲月(M1) YuHan
Huang(M1)
 宍戸優太(B4

インタビュー写真:宍戸優太(B4

プロジェクト写真等;山本さんよりご提供いただきました。




 


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