「秘露」とはなんとも官能的な字面である。太古の偉人はこのペルーという国の何処からそのミステリアスなイメージを抱いたのだろう。山間の古代文明にか、生い茂る熱帯雨林にか、海辺に広がる砂漠にか、あるいはその総体にか。
先日思い立ってペルーの首都リマを訪れた。チリのサンチアゴから飛行機で4時間。機体が高度を下げるにつれ海と砂漠が同居する稀有な光景が目に入ってくる。リマは南米の中では珍しく海辺に位置するキャピタルである。リマを訪れるのは初めてであったが余裕ある滞在日程ではなかったので、南米お決まりの旧市街の広場や市場といったコースはひとまず置いておいて、目星をつけていた郊外の漁村を訪れることにした。
インフォメーションセンターの若い女性が言うにはPUCUSANA(プクサナ)というその町はリマから1時間ほど南に下った所に位置し、バスの便は頻繁に出ているらしかった。夏はリマからの観光客でビーチが賑わうらしいが、秋も半ばに差しかかったこの時期になると比較的穏やかな雰囲気だろうと言っていた。治安の心配も要らないだろうと。(もう1箇所目星をつけていた墓地は治安のコントロールが及んでいない所だからやめておけと言われた。)
指定されたバスに乗り込み、バスは南に向かって走り出した。サンチアゴではあまり見かけないような圧倒的なスラムを横目に市街地を抜け出していく。そして何処かしこに大統領選挙も佳境のケイコ・フジモリの看板が眼に入った。「安全・労働・健康第一」をスローガンに掲げ貧困層の支持を集めているのが良くわかった。しばらくすると、この地域特有の海岸砂漠の風景が目に入ってくる。太平洋のブルーと白い波しぶきと隆起する土色のコントラストが美しい。この特異な景色に見入っていると、バスの添乗員に方を叩かれた。「セニョール。着いたぞ。ここで降りろ。」
降ろされたのはハイウェイの脇にある小さなバス停で、周りを見渡しても同じ色の土の山々といくつかのほっ立て小屋があるくらいだ。先ほどに比べて海からも離れてしまっているのも分かった。さてどうしようか、と困っているとちょうど目的の町に向かうという老人に声を掛けられ、一緒に町へと向かう乗り合いのミニバンに乗り込んだ。老人はクセのあるスペイン語を話したが親切に町の中心まで送り届けてくれた。
プクサナの町は湾に面した小さな漁村で湾内には無数の漁船がひしめき合っており、その脇にささやかなビーチと水揚げ場が設けられている。海岸沿いのプロムナードには新鮮な魚介を売りにしたレストランが立ち並び、ペルーの美食に舌鼓をうちながら、のどかな漁村の風景を望むことができる。
リマ市街地から1時間ということで首都の保養地としての機能も備わっており、白く塗りこめられた”地中海風”とでも呼ぶべき邸宅が建ち並んでいる。一方で普通のプクサナ市民は砂丘側のレンガ造りの簡素な住宅で暮らしているようだ。
町自体は小さなものでのんびり歩いても2時間もあれば見所はカヴァーできてしまう。レストランのボーイが町の裏手に小さな入り江があることを教えてくれた。直径50mほどの本当に小さな入り江で周囲を岸壁で囲われていた。そのちょうど中央あたりに四角い穴がぽっかりと開いていた。近くにマリア像が供えてあることからおそらく自然に出来た造形だろう。一定のリズムで外海からの波が、まるで間欠泉のようにしぶきをあげて入り江に入り込んでくる。ベンチに腰掛け、しばらくその波しぶきの往来を眺めていた。
日も暮れかけてきたのでそろそろリマ市街地に戻ることにする。帰りはプクサナの町の中心で「リマ行き」と書かれたミニバンを見つけたので、迷わず乗り込んだ。またしても市街地の外れの小さなバス停で「ここが終点だ」と降ろされた。街はもうすっかり暗くなっていた。