interview#046 乾久美子


図1


久美子(いぬい くみこ)

1969年大阪府生まれ/1992年東京藝術大学美術学部建築科卒業/1996年イエール大学大学院建築学部修了/1996~2000年青木淳建築計画事務所勤務/2000年乾久美子建築設計事務所設立/2011~2016年東京藝術大学美術学部建築科准教授/2016~横浜国立大学大学院Y-GSA教授

                                                                      

今春、横浜国立大学大学院Y-GSAの教授に着任した乾久美子さん。建築家として、また教育者としての思想がどのようにリンクしているのか、学生時代から今後の展望も含め、お話を伺いました。

図2-1

事務所でのインタビュー風景

 

なぜ建築の道に進もうと思われたのでしょうか。

小学生の頃から間取り図を見ることが好きでした。というのも、雑誌「週刊新潮」を親が毎週買っていまして、その最後に一般の人の家の写真と間取り図がセットに載っている「マイプライバシー」という連載を、毎週のドリルのように見ていました。小学校高学年くらいの時に自分の個室を確保しようと、「マイプライバシー」のコーナーで身につけたスキルを活かして自分なりに間取りを考えて、平面図を書いて親に建て替えをお願いしたこともありました(笑)。もちろん受け入れられなかったのですが、子どもの時から、そういった空間を考えることが好きでした。

その後、中学生の時に、漠然と美術大学に行くと決め、高校1年生の時から神戸の小さな美術大学向けの予備校に通って、受験の準備を始めました。その時は建築という学問があるとは知らず予備校通いをしていましたが、2年生になり、とてつもなくデッサンが上手い人や、デッサンは上手くなくても良い絵を描く人がいるということに気づきました。そんな人たちの中で、自分が美術の世界で作家になるというのは無理だと感じ、そこから真面目に自分の進路について考え始めました。「美術大学とはいえ、色々あるらしい。その中にどうも建築科がある」ということを知って、数学や物理も好きだったものですから、目指し始めたという感じです。

 

その後、大学は東京藝術大学に、大学院はアメリカのイエール大学に進まれています。日本と海外の大学を両方経験してみて、ここが違うと感じたところは何かありましたか。

日本で大学院に行くとなると、研究室に進む選択肢しかありません。4年間の学部教育を受ける中で、どの研究室にいくこともうまく想像できませんでした。そんな中で、海外だと、教育システムが違い、自分の方向性が決まらなくても、大学院で勉強を続けられるということに魅力を感じ、留学を決めました。当時のイエール大学にはまちづくり系の先生が多く、中心市街地の空洞化が起こっているアメリカの都市に対し、近代以前の都市モデルを研究して「ニューアーバニズム」を訴える先生方が多くいらっしゃいました。都市の再生は、今の日本では中心的な課題として捉えられていますが、当時は、少なくとも学生の私にとっては気づいてもいない時代でした。私は、日本人である自分がそういったアメリカの伝統回帰的な都市計画に参加するのは難しいと感じていたので、興味を持って課題で取り扱ったわけではないのですが、「まちを再生するという課題があり、そこに真剣に取組んでいる人々がいる」ことがとても新鮮でした。また、イエール大学のあったニューヘブンは当時、近代のスリムクリアランスが失敗して中心市街地が荒廃し、麻薬絡みの事件や殺人までが起きるような状況だったので、都市のことを考えざるをえなかった。リアリティを持って建築や都市を考えることが、社会に結びつくのだと実感した時期でした。ただ、ニューヘブンから一歩外に目を向けると、意識的な学生は問題作を量産しつづけて絶好調のOMAの事を必死で勉強しているような時代だったので、学生間では「ニューアーバニズムなんてダサいぜ」いう空気も流れていましたが。あとは、英語が苦手だったので、あまり喋らないでも伝わる図面と模型を作ることを真剣に取り組みました。建築を伝える訓練をそこでした気がします。

 

日本に帰ってきてから青木淳さんの事務所で働かれていますが、そこで印象に残っていることや、勉強になったことを教えてください。

当時青木さんは建築家としてデビューして間もない時期でした。就職先を選ぶにあたって、まだ方向性がはっきりしていない事務所に魅力を感じました。少なくとも数年間、自分のプライベートを投げ打って時間を過ごす場所なんだから、建築の新しい可能性を一緒に考えられるところに行きたいと思うわけです。それと今もそうですが、当時の青木さんのテキストが圧倒的に面白かったのです。気になる言葉だらけで、若い脳みそが刺激される。そこから不思議な建築が生まれているわけですから、その謎を解明したいと思いました。想像通り、スタッフも巻き込んで建築の模索するような空気があり、いろいろ議論をさせていただけたのが貴重な経験でした。青木さんの元で学んで、面白いと思ったのは、青木さんの柔軟な人間性です。どんな状況であっても、怒ったりせず、悠然と構えておられる。先に理想像を決めず、常に状況の中で、状況そのものを笑いながら受け止めて、そこから理想像を構築していくのです。ある意味ゲームみたいなやり方なのかもしれませんが、そういうメンタリティーは今でも見習いたい、設計の態度です。

 

青木事務所を出た後、ご自分の事務所を構えられて、教育の場にも参加されるようになりましたね。東京藝術大学の准教授を務められた後、今年からY−GSAの教授に就任し、日本での研究室制度とスタジオ制度について感じることはありますか?

東京藝術大学では5年間研究室運営をしました。研究室制度では学生が継続的な先生の研究を手伝う、反対に学生は先生の手伝いをすることによって学ぶというギブ&テイクが双方向に生まれるのが研究室の良いところだと思います。ただ一方で、例えば建築史など研究メインの研究室では学生の目的が明確で、先生の手伝いが直接モチベーションに結びつくと思うのですが、意匠研究室に入ってくる学生はそうではありません。デザインを学びたいという気持ちと、先生の手伝いとの間にギャップを感じる学生も多いです。そういった意味で、学生に研究室活動の意義を感じてもらうのが非常に難しいと感じる場面も多かったです。

対してスタジオ制度では、学生は自分のプロジェクトができる。先生の方は、その課題を通して自身の研究を進めることができる。学部では課すことのできない難しい課題に取組んでもらえるのです。どちらにもWin-winの関係があるのかと思います。仕組みとして凄く明快だと思っています。

 

–北山恒さん退任後にY-GSAの教授として就任されましたが、北山さんの建築的思想とご自身の思想の共通点をどう考えられていますか。

北山さんの後任というのはたまたまであるものの、すごい重圧です。私の中でとりあえず精神的に保っていられるのは、私一人じゃなくて、他の3人の先生(※)と共に北山さんの後を引き継いでいるというと受け止めているからです

北山さんは、私にとって横浜国大を象徴するような存在です。日本の建築教育の現場において、教育方針が明確に定まっている学校はありませんが、北山さんはそれを明確に打ち出され、言語化されました。そうした教育現場の作り方に共感しています。

また、私の世代は、実務を始めた時期と、北山さんの建築家としての活動がどんどん増えていった時期が重なっているので、北山さんの作品は、なにかを考える際に参照せざるを得ない存在でした構成の明確さ、構法の明確さ、そして構造の明快さ。この3点は、北山さんから学んだことがとても大きです。

また、北山さんのテキストはすごく扇動的なところがあって、建築家が社会に対してどういう態度で立ち向かいながら建築を作るべきなかを、私たちに教えてくれます。それもまた、私達の世代を「社会に騙されないぞ!」みたいな思いにさせてくれました(笑)。こうした基本の態度を教えていただく存在でもありました。

 インタビューは2016/9/29に行われました

 

教育者として、学生達にとってここが課題だなと感じる所があれば教えてください。

一つだけあります。それは、図面が弱いこと。考えたことや思いを模型やパースに丁寧に表現することは見事だと思っています。だけどちょっと図面に対する愛情が無さ過ぎる。これはこの大学だけの問題ではなくて、世代的な問題もあると思いますね。図面を緻密に描くことによって発見できることはとても多いし、それこそ建築の面白さですから、その辺を伝えていかなければと考えています。

 

–次に、建築への考え方についてもお話を伺っていきます。「小さな風景からの学び」というテーマで2014年に展覧会を行い、その後本も出版されていますが、それを実際に設計につなげていくことにおいて、どう考えていらっしゃいますか。

 

図3

 

 

小さな風景からの学び

図4

2014年にギャラリー間で行われた小さな風景からの学びの展示会にて( 撮影 長谷川健太)

 

「小さな風景からの学び」は、魅力的と感じる小さな風景を、東京藝術大学の学生と共に、全国から集めて、写真とテキストで記録したものです。そもそもなぜこのリサーチをしたかというと、建築設計は何を目指すのかを、私自身が確認をしたかったのです。例えば私の同世代には、藤本壮介さんや平田晃久さんなどのように、自分の目指すところをクリアに言語化できるような建築家がいて、あこがれるのです。彼らに比べて自分はいつでも曖昧なところがあって、自分を見つめ直したい気持ちを持っていました。そうした中で震災がありそもそも建築の価値って何なのかも見つめ直さないといけない気持ちもつのり、それでリサーチへと踏み込んだのです。リサーチを終えてみて、制度が自在に誤読されて運用されている空間や、人が自律的に動いてみんな自由に過ごしている風景が好きで、そうしたものを下支えする建築をつくりたいと改めて思いました。

また、同時に、リサーチというものと設計の関係も考えたいと思ってやっていました。単にリサーチして終わりにするのではなく、どこかの地点で設計に使える情報としてまとめたいと思いました。結果として、アレグザンダーのパタン・ランゲージに近い方法になりましたただアレグザンダーの場合はダイアグラム化をしていったのに対して、このリサーチはあえて抽象化を避けたので、結局、なかなか実務に使いにくいんですよ

とは言っても、何とか運用してみたいと考え、池袋に建てた住宅「松島邸」でトライアルをしました。二つの意味で「小さな風景からの学び」を使っています。一つは単純にリサーチで見つけたアイテムをそのまま直接設計に取り入れること、もう一つは、小さな風景を、使う人がいつのまにかつくっているような仕組みを組み立てるということです。そのために、一気に設計で決めるのではなくてあるプロセスを経ていつの間にか出来ていく、成長を内包できるような、最初の形を設計することに専念しました。すると、面白いことに、自分の設計も成長型になったのです。設計や工事を進めていくなかで、どんどん付け足しのアイデアがでてくる。そのダイナミズムを感じながら設計したのですが、できた後は使い手によって作られていくプロセスが連続していくことを期待して、設計や工事を終えました。

こういうタイプのリサーチをすると、住宅のように小さいものはモチーフを使って組み立てることはできるんですけど、なかなかそうした小さな世界の集合がそれなりの規模を持つ建築に結びつかないという問題があると思っています。ある工夫をしない限り結びつかない。ある一定の規模を超えても、小さな風景を成立させられるのか、ということに興味がありますね。

図5

ハウスM 撮影 新建築写真部)

 


図6

ハウスM断面構成図 

 

2015年に完成した宮城県の「七ヶ浜中学校」はリサーチと前後して設計を行ったものですが、小さな風景に対する興味がドーナツ型プランという大きな型をまず設定することで、小さなものを自在にくっつけていくことが許される雰囲気が生まれていると思っています。その小さなものはいくらでも増殖可能で、型があるからこそ次のステップが付け足せるという仕組みみたいなものを考えました。

図7

七ヶ浜小学校 プロポーザル時 模型写真

 

学校のような公共的な建築と、住宅のスケールとでは、「小さい風景」という点で違いはありますか?

ありますね。住宅の中にある生活は自主的な活動そのものです。小さな風景の宝庫になるのはもう目に見えている訳ですよね。

対して、公共施設を管理する側にいる人は、こういう使い手の自主的な活動が嫌いな人が多いように思います。だって、勝手に色んな物がはみ出てい、見方によってはゴミだめのような世界じゃないですか。けれど使い手はこういう自由を求めてると私は信じていますので、管理する側に、なんとかその魅力と、結果として管理する側にもメリットがあることを伝えたいと思っています。小さな風景からの学び」のリサーチ後に、公共施設の利用状況をリサーチしたものをアーツ前橋で行われた「ここに棲む地域社会へのまなざし」展で展示しました。リサーチで発見的だったのは、管理されているのかされていないのかわからないぐらいに、ぐちゃぐちゃと使われているような公共施設が存在することでした。その発見からずいぶん勇気を得たように思います。そういう経験もあって、頑張れば小さい風景が積み重なった公共も作れると思っています。

 

図8

七ヶ浜中学校 (撮影
河野太一

 

図9

アーツ前橋「ここに棲む-地域社会へのまなざし」 (撮影 木暮伸也)

今までのお話を聞いていて、小さな風景は勿論、それらが集まったより大きな風景に興味があるのではと感じました。そこに対して考えていることがあれば教えてください。

小さな風景の先にあるのは、都市の問題です。単に小さな風景だけに興味があれば、室内ような限られた領域で幸せなインテリアをつくればいいのです。そうではなくて、小さな風景がたくさんあつまっている都市、しかも小さな風景が室内だけではなくて、屋外、公共空間にはみ出ているような世の中がいいと思っています。小さな風景ひとりひとりの個人の自発的な動きそのものだからです。人に命令されているわけじゃなくて、自分がこう生きたい、こう暮らしたいといった自由と意志の痕跡が小さな風景に表れると思っています。そうしたものが、都市を経験する中で当たり前のように出会えるといいなと思います。「ひとりひとりが意思をもって生きている」社会が自分の中での大きな風景として存在しているのかもしれません。

最後に、建築家としての展望を教えてください。

私は今、40代後半です。この20年ほど実務をやっていく中で、特に公共建築を作ることがすごく難しい時代になってきたと感じています。残念なことにデザインに対する不理解が強くなってきているのですかなりの時間を費やした資料をやっとの思いで説明できても、管理側に理解されず、虚しい思いをする場面も少なくありません。そういった意味で、私たち設計者側と公共建築などの施主側がもっと互いに感謝し合い、のびのびと公共建築の仕事をしてみたいという思いはあります。私ぐらいの世代がここで踏ん張って、建築の価値を守っておくことは大切な気がしています。戦うなんていうと大げさかもしれませんが、当分の間、前線で頑張りたいと思っています。

 

乾さん、ありがとうございました

 

 

インタビュー学生メンバー:住田百合耶(M2) 栗原一樹(M1)、和泉芙子(M1)、吉村真菜(M1)、鈴木里奈(B4)、杉浦哲朗(B4)

インタビュー構成:吉村真菜(M1)、鈴木里奈(B4)、住田百合耶(M2)、川見拓也(M2)、栗原一樹(M1)、和泉芙子(M1)、杉浦哲朗(B4) 





写真:栗原一樹(M1)


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