interview#049 福多佳子


福多佳子(ふくだよしこ)

1965年 福島県生まれ / 1988年 横浜国立大学工学部建築学科卒業 /1990年 横浜国立大学工学部計画建設学専攻博士課程前期修了 / 1998年 中島龍興照明デザイン研究所設立に参画、現在共同代表 / 1997年~2006年横浜国立大学建築環境工学研究室非常勤技術補佐員 / 2008年 横浜国立大学工学府社会空間システム学専攻博士課程後期修了(社会人博士課程)。博士号取得(工学)/ 一級建築士 /照明プロフェッショナル

主な作品:はまみらいウォーク(2009)、国宝白水阿弥陀堂紅葉ライトアップ(2012-2015)、星野リゾート界 鬼怒川(2015)

 

—私たちは建築や都市の設計を勉強していますが、照明という観点からお話を聞く機会はなかなかないので、今日はすごく楽しみにしてきました。まず、建築学科に入学し、そこから照明の分野に進まれたきっかけをお聞きしたいです。

私は学部の時は建築環境工学の研究室に所属していて、環境に興味がありました。その中でも「空間を見せるもの」、つまり「光」がないと物を見ることができませんので、光は面白いのではないかと思い、その分野に進みました。当時、ルイス・カーンが設計した「キンベル美術館」の照明コンサルティングをしたリチャード・ケリーという方の存在を知りました。アメリカには照明コンサルタントという職能があり、日本にも照明学会の照明コンサルタントという資格があることを知って、社会に出る時にそのような仕事に携われないかと思い、通信教育で照明コンサルティングを勉強しながら就職活動をしていました。当時はバブル最盛期で仕事も選び放題な良い時代ではありましたが、当時の光の仕事といえば照明器具を設計するプロダクト分野がメインだったので、就職試験の際のポートフォリオは美大のインテリアデザイン科やプロダクト科出身の方が、図面などではなく立体のプロダクトを持っていくのが主流でした。そういった状況を見て、照明に関しては私はまだまだ勉強が足りないなと思い、就職ではなく進学をすることにしました。修士の時には、当時、ヤマギワという照明メーカーが照明スクールを主催していたのでそこに通っていました。修論でも光関係の研究をやりたかったのですが、横浜国大に光を研究されている方はいらっしゃらなかったので、独自に住宅系の研究をしました。その後、当時その照明スクールで授業をされていた方の事務所に就職し、照明デザインの仕事をするようになりました。

 

その後2009年に博士号を取られていていますよね。実務を経験されてから社会人ドクターという形でまた研究に戻る動機はどのようなものだったのですか?

就職してからもバブルは続いていて、照明デザインはホテルの仕事が多かったですね。当時働いていた事務所はプロダクトデザインもやっていて、照明器具のデザインも多く、メーカーと契約した後、描く図面の縮尺がいきなり1/1や1/2なのです。そのメーカーの既製品の図面を入手し、「あぁ、こうやって照明カバーを留めているのか」と理解する様に、詳細な納まりが全くわからない状態からやっていました。しかしバブル崩壊と同時にシャンデリアなどの需要は少なくなり仕事も減りました。私自身もプロダクトとしての照明器具が目立つのではなくて「空間を活かす」光のデザインができないのかな、というのはずっと思っていました。

そんな時に、母校である横浜国大の建築環境工学研究室から「仕事をやりながら研究をやってみたら」と研究室付きの非常勤技術補佐員の役職に誘われまして、以前の事務所を辞め中島龍興さんと一緒に事務所を立ち上げつつ大学にも通うようになりました。そのような状態で10年程やっていましが、結局忙しくてドクターを取得することはできませんでしたね。そこで技術補佐員を辞め、博士課程に入学し、社会人ドクターとして論文を書きました。

 

大学の研究室において技術補佐員というのは、具体的に何をやられていたのですか?

教授の手伝いもありましたが、基本的には建築環境工学研究室に所属していた4年生や修士の学生さんと一緒に光にまつわる研究や実験をして、その論文指導などをしていました。そのような研究指導の積み重ねをまとめたものが博士論文となっています。

 

現在も取締役として所属されている中島龍興照明研究所では実務、大学では研究とどのように両立をされていたのですか?

週2日は大学に行き、週3日は事務所で実務の仕事をするという生活を送っていました。当時はまだ若かったので(笑)パワーがあったのでしょう。本当に忙しい時は、大学を17時に出て事務所に戻り、そこから終電まで仕事をやる、という時代もありましたね。

 

 

 

研究をやっているからこそ実務に活きてくることや、逆に実務をやっているから研究に役立つことはありましたか?

学部や修士の時にやりたかった光に関する研究は、実務をやってからであればこそ、実際的な研究をやることができました。JR東日本と駅の照明環境の研究、横浜市との夜間照明の光害に関する研究をまとめた博士論文など、照明デザイン事務所単独ではできないような研究をやらせてもらえました。これも実務ができる研究者ということで各企業も一緒にやってくれたのではないかと思います。

現在も実務として、研究をベースにして論理的にまとめる土木系の仕事もありますし、行政からの調査依頼など、他の実務中心の照明デザイナーは依頼されないような仕事もやらせて頂いているので、そういう部分では研究も活きているかな、と思っています。

 

照明器具のデザインを主とするプロダクトデザインから、照明で空間をつくるという今のような照明計画に照明デザイナーの職能の中心が移行したのはいつ頃なのですか?

バブルが崩壊してから、シャンデリアなどの器具単体の豪華さだけではなく、空間の質をいかに高めて工夫して見せるか、といったところが主流になってきました。そのような意味で建築化照明、つまり素材や空間と一体化した照明のデザインアプローチをしないと空間が活きてこない、というような考え方になってきました。

 

昔は光や家具も含めて全部建築家が担っていたと思うのですが、建築をつくる過程で照明デザインという役割が出てきたのは、いつ頃なのですか?

フランク・ロイド・ライトにしても前川國男さんでも、自分の設計の中でオリジナルの照明器具を作っていました。光源があって、それを覆う装置として建築と一体化させるようなデザインを、照明器具に反映させることはあったと思います。しかし今は、例えば反射鏡で制御することで光の広がりを変えたりという技術がかなり進歩し、もっとテクニカルに光源自体を操作することができるようになり、照明器具自体を魅せる事が少なくなってきました。器具が小さくなるきっかけでもあるLEDに光源が変わってからも、どんどん技術が進歩しています。今はその反射鏡の違いや光の広がりの違いまで勉強し、それをどう組み合わせたらどのような空間ができるということまで想像して設計するというのはかなり時間もかかるし、そこまでやる建築家は少ないというのが現状ではないでしょうか。

 

住宅であれば建築家が照明デザインをしていることも多いと思うのですが、大きな規模の施設だと照明メーカーが照明選定に入ると聞いています。照明デザイナーとして独立している方は現在どれほどいらっしゃるのですか?

IALD(国際照明デザイナー協会)という世界的な組織があります。日本だけだと独立した照明デザイナーは100名弱くらいです。あと他に照明メーカーのインハウスプランナーも沢山いますが、その方々は器具を売るためのプランニングになっているかもしれません。私が住宅照明の本を出している関係で、先日とある住宅照明のご相談を受けたのですが、「こんなに付けるのか」という程沢山器具が設置されている計画になっていました。「明るければ困らないのだろうけれど、快適ではないというか、楽しめないですよね」というような話をして、かなり数を減らした提案を行いました。照明メーカーを一社に絞られて選定するとなると、この空間を活かすために本当に良いものを、という選択がなかなかできません。自分の勤め先のメーカーの器具からしか選べないという縛りでやるのと比べ、照明デザイナーとして費用をいただきながらその空間をより良くする、お施主さんにとっても使いやすくすることを考えながらプランニングできるというのが独立した照明デザイナーの利点だと思います。

 

沢山の照明関係の賞を受賞されている横浜駅東口にある渡り廊下「はまみらいウォーク」はいわゆる建築設計ではないと思うのですが、設計に関与された経緯はどういったものだったのでしょうか?

外観の考え方などの意匠は土木のコンサルタント会社がコンペで提案して、採用されたものです。その後夜の景観も重要だという事で私たちにお声がかかったというのが経緯です。照明は土木のような規模のものですと、長い期間使われます。将来的にも陳腐化しないデザイン・素材を使っていこうと、照明器具もなるべく見せず、構造と一体化させるという方針を最初から考えていました。

クライアントでもある行政の担当者に「照明のポールを付ければおしまいでしょ?」と言われてしまえばそれまでですから、「ポールを付ければ明るさはとれるけれど、そうではなくて」というところを一生懸命お伝えしながら進めました。横浜市はそれをちゃんと受け取ってくださり、最後までぶれずに完成に向かえた事が評価に繋がったのかと思っています。

 

「はまみらいウォーク」 写真撮影:金子俊男

 

橋や道路などの土木設計の実施ではコンサルタント経由で照明のプレゼンをするのですか? それとも福多さんが直接クライアントにプレゼンすることができるのでしょうか? 照明デザイナーが具体的に品番や取り付け方法まで指示できる環境は土木設計にはあるのですか?

直接プレゼンに行く時もありますが基本的にはコンサルタント会社と私たちで打ち合わせを重ねて、最終的にはコンサルタント会社が行政に提案するという形が多いです。「はまみらいウォーク」は照明の考え方だけではなく、品番まで指示できました。このような公共事業で品番を指示できる所まで関われるのは珍しいと思いますね。行政の方の理解があったからこそです。

 

—「はまみらいウォーク」のような屋外施設は夜間照明が主で、昼は照明が消えた状態だと思います。一方住宅の明かりですと昼は自然光が入りますが、暗ければ人工照明で補います。昼と夜の照明の役割の違いをどのようにお考えですか?

住宅にとって昼間のデイライト(自然光)を取り入れることは重要だと思います。日本で照明デザイナーというのは未だ人工照明からのアプローチがほとんどです。しかし海外では、例えば開口部から照明デザインを始めるなど、デイライトデザインからアプローチする照明デザイナーもいます。構造設計事務所のArupは建物のファサードのデザイン部門のチームに照明デザイナーを抱えてやっているそうです。残念ながら日本ではまだ基本設計が固まってから、照明のアプローチが始まることが多く、人工照明ばかり取り扱います。将来的にはデイライトの取り入れ方も検討できるような体系が必要だと思います。また、視環境としての明暗や「順応*」といった視機能を活かした空間デザインというのはまだまだ少ないと思います。そういう観点でも、デイライトをうまく取り入れなければいけないし、かといってあまりデイライトに順応しすぎてしまうと今度は違うところで暗く感じてしまう。明るくすればいいということでは必ずしもないと思います。眩しさもありますし明るさのバランスをいかに考えて空間を作るかが重要だと思って、日々の実務の仕事に取り組んでいます。

 

*順応
外の明るい光に慣れて居る状態を「明順応」と呼び、暗い空間に入って目が慣れていく事を「暗順応」という

 

福多さんが、照明デザインの観点から見て良いと思う建築はありますか?

JRの共同研究に携わっていた時、ロンドンの地下鉄と、フランスのTGVの駅を見る機会がありました。TGVの駅は光の入れ方、デイライトの取り入れ方がきれいで、それに感動しました。他にオーストリアの照明デザイナーのバルテン・バッハは、デイライトと人工照明両方のデザインで有名な方で、コペンハーゲンの地下鉄の照明デザインも行っています。デイライトをトップライトから取り入れながら、夜はそれが発光することで地下鉄のサインとして機能しています。それはすごく上手い手法だと思いました。建築単体ではないですがシンガポール市も、積極的に照明デザインを行っています。夜間景観のなかで照明に関してすごく行政が力を入れてコントロールしているのです。グレア現象や、明るすぎるようなことは試験点灯の時にチェックされるらしく、夜間景観で経済的効果を上げる努力は照明的には見応えがあります。

あとは自分の関わった作品では、「星野リゾート界鬼怒川」。設計は建築家の今村幹さんで、横浜国大の卒業生で私より4つ上の先輩です。今村さんは非常に空間と光の在り方を考えてくださる建築家なので、「星野リゾート界鬼怒川」は明るさを抑えながらも、場所や建築の特性を生かした照明設計になったと思います。

あとは福島県のいわき市にある「国宝白水阿弥陀堂」の紅葉のライトアップは、お堂の素晴らしさもありますが、周囲の浄土庭園の配置も美しく、光でさらに美しい夜景にすることができたと思います。震災復興プロジェクトということもあり、ソーラー発電だけでまかなうという条件で、1500Wというドライヤー1台よりも少ない消費電力でライトアップを行いました。照射する対象に応じて光色や光の広がりなどを変化させ、より対象物を効果的に照明することができたと思います。

 

「国宝白水阿弥陀堂」 写真撮影:金子俊男

 

街を歩いていて照明の観点から気になる事とかはありますか?

明るくすればいいという解決方法でやっているところが多いのが気になりますね。2年くらい前に夜間景観の調査をやらせてもらった時に、輝度を測るパソコンの輝度画像という測定器を持っていたのですが、公園の街路灯が明るすぎて測定不能になりました。冬だったせいもあるかもしれませんが、誰もいないのです。誰もいないのに煌々と輝いている街路灯だけがあって、これはバランスが悪いと思いましたね。そういう明るいものに目が順応してしまうと他が暗く見えてしまうという現象を引き起こしてしまいます。そうなると本当に照明すべきものが引き立たない、非常に悪いパターンですよね。明るくすることが安心して歩ける環境であると思い込んでいて、全体で明るさのバランスをコントロールしようという観点がないまま都市景観がつくられている現状は、とても残念に思いました。自分が担当するものでは少しずつ、ただ照明器具をつけるだけではなく、視環境としてどういう明るさのバランスにしたら歩きやすいかのか、使いやすいのか、くつろげるのか、そういうアプローチをしていますね。

 

これから手掛けてみたい建物などはありますか?

日本の住宅照明はまだまだ遅れていると思います。住宅だからこそ、ホテルのような寝室でもいいし、レストランのようなダイニング、カフェのようなリビングであってもいいと思います。住宅は、いろんな施設の要素を取り込んでつくれる場所であるにも関わらず、未だに「一室一灯でLEDや蛍光灯のシーリングライトを使っていれば、省エネで明るくて問題ない」という考え方で終わっていると思います。でも、全体的に明るくするのは無駄に明るくするということでもありますし、見えすぎることは情報が脳に過多に入ってくる事にも繋がるのです。脳に情報が入りすぎることで、気が散ったり、集中力が無くなったりすると思うんですよね。

もちろん働く時にはきちんと見える明るさは必要だと思うんですが、家に帰ってまで部屋中の全てが見える必要ってないですし、逆に全てが見えてしまうということは脳は常にそれを認識し、活性化している訳ですよね。そういった意味でも暗いことはくつろぐ時に大切です。明るさは暗さがあってこそ、対比でしか評価できません。何lxだから良いっていうことではなくて、その空間の前にある空間の明るさとの連続性もありますし、明るさが必要な場所の周りとの対比もあります。適度な暗さや陰影がないと明るさは活きてこないのです。明るさが豊かさの象徴のようになってしまっていたと思いますが、最近は一般の方も暗さの重要性を理解しはじめていただいているので、住宅メーカーが作っている一般的な住宅の照明計画に関わっていく事が、これからの照明デザインの領域だと思います。

また、私自身はキンベル美術館の照明に感動したのですが、ギャラリー的な案件を除いて美術館や博物館の仕事にはまだ携わったことがないので、そのような施設もやってみたいと考えています。

 

 

好きな照明器具はありますか?

自分で使うのであれば、デンマークに本社を置く照明メーカー「ルイスポールセン」が良いと思います。まぶしくなく、非常に考えられた器具です。予算によってはお客さんにもお勧めしています。シェードが均一に光るルイスポールセンの商品は大変きれいですし、光源が一切見えないように設計されておりまぶしくないのです。ルイスポールセンは、ポール・ヘニングセンのようなプロダクトデザイナーと何年も協議をして、何百年と使えるプロダクトをデザインしていくというような考え方を持っているのです。日本だと毎年新しい照明器具が発売されますが、どうしても細部が検討されていないので、翌年は廃盤になり、どんどん流行を追いかけるような現状は残念ですね。

エンドユーザーであるお客さんの照明器具を見る目が育っていないのかもしれないです。それは日本だと照明メーカーに委ねると、メーカーが勧めるものになりがちだからです。

本当は住宅ならば最初は好きな照明器具を置くだけでいいかもしれません。少しずつ照明を足していくような感じで、いきなり全部隈なく明るくする必要はないかもしれませんよね。以前ルイスポールセンに呼んでもらい、デンマークのコペンハーゲンに行った際、社員の住宅を何件か見せてもらいました。そこは天井に照明が付いてないのです。ほとんど壁付けで好きな所に「灯りを置いていく」という感じでした。それはそれですごく雰囲気があって素敵でしたね。住宅ってこれでいいのだろうな、と思いました。

 

最後に学生に一言いただけますか?

皆さんが設計をする時には、照明はまだまだこれからの分野だと思いますから少しでも光のことを考えて下さると嬉しいです。

光は生体リズムにも影響してくるので、光の在り方は自然光も含めて、健康を維持していくという観点からも、適切にアプローチすべき分野です。単に明るければいいという時代ではなくなったと思います。

 

—ありがとうございました。

 

インタビューメンバー:栗原一樹(M2)諸星佑香(M2)井原賢士(M1)鈴木里奈(M1)横尾周(M1)恩田福子(B4)中尾壮宏(B4)

構成メンバー:諸星佑香(M2)井原賢士(M1)横尾周(M1)

写真撮影:中尾壮宏(B4)

 


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