interview#050 矢野泰司+矢野雄司


矢野 泰司(やの たいじ)
1983年 高知県生まれ / 2007年東京理科大学卒業 / 2009年 東京理科大学大学院修士課程修了 小嶋一浩研究室 / 2010‐13年 長谷川逸子・建築計画工房勤務 / 2013年 矢野建築設計事務所設立

矢野 雄司(やの ゆうじ)
1987年 高知県生まれ/2009年 横浜国立大学卒業 / 2011年 横浜国立大学大学院Y-GSA修了 / 2011‐14年末光弘和+末光陽子 | SUEP.勤務 / 2014年 矢野建築設計事務所

 

 

—まずはそれぞれの大学(泰司さん:東京理科大学、雄司さん:横浜国立大学)の建築学科に進まれた理由を教えてください

矢野泰司(以下、泰と表記):僕達にはもう一人末の弟がいるのですが、小さい頃は兄弟三人で自然の中でよく遊んでいました。高知は山も海も近く、少し車で移動するだけで風景が劇的に変化します。また、父方の祖父母が土佐和紙職人、母方の祖父が画家であったこともあり、子供の頃から工作をしたり、絵を描いたり、展覧会に行くことも多かったです。建築に興味を持ったのは、四国の安藤忠雄さんの建物を経験したのがきっかけです。自然環境の中に拮抗する強い幾何学で人の居場所を獲得していく建築の迫力を体験していくうちに自分でもやってみたいと思うようになりました。

また、僕は開高健の緻密に言葉を構築していく文体が好きで、中学高校時代よく読んでいました。開高さんが大阪市立大学の出身で、大阪の雰囲気や場所、言葉に惹かれていたこともあり、最初は大阪市立大学の建築学科を目指していました。

当時、大阪市立大学に難波和彦さんの研究室があったのですが、大学合格発表の日に難波研究室を訪問すると、難波さんが東京大学に移るので研究室がなくなることを知りました。院生の方に東京理科大学にも受かっていることを伝えたら、小嶋一浩さんがいるから面白いよと教えてもらいました。院生の方々が小嶋さんの作品や教育について楽しそうに話している様子を見ていて、研究室を出る時には東京理科大学に進学することを決めていました。

 

矢野雄司(以下、雄と表記):僕は入学前に研究室訪問をするほど能動的ではありませんでした。高校3年生の時に兄から小嶋さんが設計した「ヒムロハウス」を紹介してもらい、住宅というより道の一部のようなスペースに家具がバラバラ置かれている状態の写真を見て、今まで見てきた建物と何かが違うと感じ、興味を持った事がきっかけです。そして志望校を決める際に 兄に「関東でどこの建築学科が良いか」と尋ねたら、「横浜国立大学は教授に北山恒さん、助教に西沢立衛さんがいてすごく面白いと思う」と勧めてもらったのです。取り寄せたパンフレットで見た海の近くというロケーションもとても気に入りました。しかし受験の時、初めて横浜国立大学に行ってみるとキャンパスは森の中にあり、海は全く見えず驚嘆したのを覚えています(笑)。

事務所でのインタビュー風景

 

—学生時代はどのように過ごされていましたか?

泰:基本的には設計課題に力を入れて取り組んでいました。理科大に入学して驚いたのが小嶋さんの「空間デザイン」の授業です。僕は最初に図面を描く練習をするのかなと思っていたのですが、いきなり「閉じたダンボール箱に穴を開けて光で空間を作ってください」と言われます。 最初は空間が何かなんて全然分からないけど、実際に穴を開けていくとダンボールの中に光が入ってきて、ただの段ボール箱に不思議な空気感が生まれてくる。その課題でみんなのやる気に一気に火がつくのです。

他にはスライドで世界中の建築写真を大量に見ながら、それぞれの建築にマルとバツを付けて評価していくのです。自分がマルだと思ったものがバツだったりして。今までなんとなく建築だと思っていたものが頭の中で崩れていき、世界の見方が新しく始まった瞬間でした。また、沢山の若手建築家のレクチャーを聞くことができ、ユニークな課題にも取り組むことができました。講評会ではいろいろな価値観の意見がでてきて、ある建築家は絶賛しても別の建築家は全然駄目だと言う。答えが一つに定まっていないのがすごく面白かったです。これは裏を返せば自分が何を大事にして設計していくのかを明確に提示しなくてはいけないということでもありました。

小嶋研究室の配属は3年生までの作品をまとめたポートフォリオによって選ばれるのですが、改めて自分の考えをまとめる作業は良い経験でした。研究室に配属が決まると小嶋さんが個別に作品の感想を言ってくれます。僕が一番悩み、言語化できていない作品のページを開いて「得体の知れない感じがあって面白い。迫力があって良いね。」と言ってくれたのは嬉しかったです。

 

雄:僕も同様に、設計課題に取り組む時間が多かったです。学部1年生で受けた最初の設計意匠系の授業は「身体と空間のデザイン」というものでした。毎週出される課題に対して約30cm角のボードでプレゼンテーションを作成する授業で、少しずつ建築の重要なエッセンスを学習できるように考えられていて、楽しく課題に取り組んでいました。2年生の時から具体的な敷地で建築物を考える設計課題が始まり好き勝手にやっていましたが、 3年生前期の設計課題で飯田善彦さん、野沢正光さん等の先生方から厳しい洗礼がありました。設計というのは、こんなに沢山のことを考えるのかと驚きましたが、その頃から建築について考えることが楽しくなってきました。後期は西沢立衛さん、4年生になると山本理顕さんの課題に取り組みました。とにかく学年が上がっていくごとに、課題で求められる要求のレベルが上がっていき、緊張の連続でした。その後、大学院入試、卒業設計を経てY-GSAに入学しました。

一方で、学生の時は兄と一緒に旅行したり、理科大に通って 一緒にコンペに参加したり、課題の手伝いもしていました。横国と同時に理科大でも過ごす時間も多かったので、二つの大学の雰囲気を同時に体験できたのが非常に刺激的でした。

 

—おふたりとも学部と同じ大学院に進んでいますが、6年間同じ環境で学んだことをどう考えていますか?

泰:6年間同じ環境で学んで良いと思った事は、自分を含めた小嶋研究室の同期や先輩・後輩の作品を大学一年の時から見ることができた点です。ひとりひとりがどんな風に学んで、設計に活かしていくのかを人間性も含めて深く理解できるのです。今でも同期とはよく会って話をしています。

そして、小嶋さんの存在はとても大きいです。学部の時は小嶋さんに直接接する機会があまりないのですが、大学院生はもっと密に小嶋さんとプロジェクトに取り組む事になります。僕達はM1の時にアフリカ、メキシコ、エストニアの国際コンペに3つ出しました。

小嶋さんのアドバイスは具体的で、話をした後は元気が出てくるのです。服装についても「パーティーでは派手な目立つ服を着ろ」とか言われたりして。(笑)小嶋さんの建築に取り組む姿勢や言葉に多くの学生が励まされていました。

 

雄:当時、Y-GSAは発足したてのころで、新しい教育環境で積極的に学んでみたいという気持ちがあり、学校は変えずに進学することを決めました。他の大学にはない建築教育が試みられている中で、建築に関わる社会や周辺環境との関係の重要性を、第一線で活躍している建築家たちから大学院では学びました。

教授陣の厳しくも優しい指導は今でも問答を思い出せるくらい印象に残っています。西沢スタジオの課題で僕は山手の傾斜地に地形を横断して大小様々な屋根をかけて内外入り混じった建築群を検討していたのですが、「屋根がかかることでできる色々な場所の微妙な違いの面白さをきちんと把握しているか」と西沢さんに指摘されたことは印象に残っています。

当時は敷地選びやテーマ、プログラムの考案に時間がかかり 、建築の形態や空間の議論まで発展させられず毎課題悪銭苦闘していました。今となっては、良くも悪くもY-GSAに自分を作られてしまったという感覚はありますね。

 

—その後、泰司さんは長谷川逸子・建築計画工房、雄司さんはSUEPに就職されていますが、どういう経緯だったのでしょうか?

泰:院を卒業して、まず一級建築士の資格をとりました。学部4年生で小嶋研に入る際、10年後の自分についてのレポートを提出したのですが、その中で「30歳までに会社をつくる」と書きました。そこから逆算して考えていくと、卒業してすぐに資格をとっておくのがよいと判断しました。

また、小嶋さんの学校建築を見たり研究室でベトナムのホーチミンをリサーチした経験から「多くの人が使う公共建築を設計したい」「外国で仕事をしたい」という二つの強い希望があり、それが可能な事務所を探していました。その時ちょうど長谷川逸子さんの事務所に勤めている友人から「上海でプロジェクトがあり、現地で働ける人を探している」と聞き、長谷川さんにポートフォリオを見てもらい、採用していただきました。

長谷川さんの建築は「湘南台文化センター」が記憶に強く残っていました。訪問すると子どもがあちこちで遊んでいて、公共建築として使い倒されている。どういう風な作り方をすれば、こんな活き活きとした建物ができるのか気になっていました。入所後は上海のオフィスビルを設計しながら、半年間上海に常駐しました。その後、静岡県沼津市で公共建築の仕事に携わることができました。基本設計の途中から参加し、長谷川さんが行政も市民も巻き込んで議論しながら建物を作っていくプロセスを見ることができました。市民が日常的に気軽に使える親しみのある公共建築の実現に向けて、関係者が一丸となって作っていく工事現場での毎日が刺激的でした。基礎に大量のコンクリートを流し込み、外壁は中国で製作した巨大なPCのパネルが船から運ばれて取り付き、内部では天竜の杉丸太が何百本も運ばれてきて設置されました。建築は物の集合で、それを人が組み上げていくということを身体的に理解できました。建物が完成すると、入所から3年が経過したので、長谷川さんに了承をもらって独立しました。

 

雄:僕は卒業後、実家に帰って今までやってきたことをまとめていました。子どもの頃から趣味で漫画やイラストを描くことが好きで、大学院の時にはひっそりと*三男の恵司とアニメーション作成もしていました。「このタイミングで興味あることをやらないと一生やれなくなる」と思い、半年間だけ 当時藝大の大学院1年生だった弟とアニメーションの作成に取り組んだのです。そこで12分のアニメーション作品を作り上げ、藝大の展示や国際映画祭で上映も行いました。

ちょうどその頃に、SUEP事務所で働いていた友人から「スタッフを募集してるよ」と声をかけてもらいました。事務所のボスである末光さんにはY-GSA時代にとてもお世話になっていたし、SUEPの環境計画を前提とした建築設計は今まで考えたことのないジャンルだったので以前から興味がありました。また、兄の事務所とは異なる 「若い人の事務所で違う経験をするのも楽しそうだな」と思い就職希望を末光さんに伝えました。Y-GSA時代の課題は末光さんには認識していただいていたので、半年間で作成したアニメーションを見てもらい、めでたく入所することができました。3年間の在籍期間中には、住宅を1軒と佐賀県嬉野市で公共施設のプロジェクトを主に担当しました。嬉野では 何もない広大な敷地に中学校、ホール、体育館といった大きな建築物が少しずつ建って行く姿が、いま思い返してもすごく面白かったです。現場に常駐して生活 をしていると施設に対する町の人の意見が聞こえてきます。また、完成してみるとのどかな場所でお互いのことを知っている人が多いからか自然と町の人が敷地内で散歩しているのを目撃したりして、公共施設ってこうやって作られていくのだなと実感できる貴重な体験をしました。

 

*矢野 恵司
イラストやアニメーションを中心に活動を展開。東京藝術大学彫刻科を卒業後、同大学院美術解剖学を修了し、2013〜2016年まで株式会社任天堂を経た後、Office Yano Animation (https://office-yano-animation-blog.tumblr.com) 設立。
主な作品にNHK Eテレ テクネID「渋谷」や、那須国際短編映画祭において特別賞を受賞した「ゆ」、TIS公募入選など。

 

—二人の協働についてお伺いしたいです。議論していくときにお互いの違いを感じますか?

雄:僕が兄に対して感じることは、建築のもつ空間や形態への強い興味です。兄は小嶋研での教育があってか、 人の心に訴えかけるような空間や形態をまずは主観的にスタディしていきます。僕は横国時代にはそこまで突っ込んで空間や形態に対して執着してやっていなかったし、大学を卒業してからは形態決定の理由を考えこんでしまうことが多くなりました。もう少し直感的に考えていく作り方があるのだと、兄と設計を進めながら考えるようになりました。

 

泰:やみくもに形を作るというよりも、整合性のある形を考えるのが好きです。また、建築が建つことの妥当性を社会的なストーリーの中で考えることは重要ですが、それと共に個人の想いといった主観的な事柄も普遍性に到達できると考えていて、その両方があると建築はより面白くなると考えています。

 

雄:兄とは異なる建築教育を受けていますが、独立してから二人で議論する時間が極端に増えたので、それぞれの思考が混ざり合ってきています。延々意見を出しあっていくと、最初は混沌としながらも徐々にひとつに収束していく感覚があります。さらに三男は建築の専門外ですが、よく意見を求めて参考にしています。そこは学生時代より楽しいし、健康的だと感じています。

 

泰:互いの違いという意味で言えば、僕は割と枠組みを考えるのが好きなので、形式をつくって秩序をまずはつくりたい。そこから人が心地よいと感じる秩序の状態を探っていきます。弟はゆったりと連続した状態が好きなので、二人で話をしながら枠組みや形式、秩序を壊していきます。作っていくことと壊していくことを反復していくと、ちょうどいい具合のものができるのではと思っています。

 

雄:僕は学部の時から漫画のようにシークエンスのなかで考えることが好きでした。形態そのものより形態の中でどういった体験の展開があるかに興味があります。兄と共同設計をやっていく中で、システムや形式のような骨格を試しに規定し、そこから骨格を壊し始めて、いろんな調整をしていく中で生まれるものに今は可能性を感じます。「House N」の設計プロセスでもそのようなことを感じていました。

 

 

-HouseNについて-

 

泰:あちらの部屋に「House N」の模型がおいてあるので、模型を囲んで話しましょう。

 

-一同模型部屋に移動-

 

泰:この模型はSDレビューの際、出展したものです。このプロジェクトでは環境について施主と色々な話をするところから始めました。たとえば「既存の倉庫は農機具の保管以外に台風の際の雨・風避けのために残したい」など、雑談の中から施主の生活習慣やその場所での生活のリアリティーみたいなものを注意深くヒアリングしています。また、計画地での周辺環境を含めた一連の体験、スケール感や空気感はどんな仕事でも重要視しています。

 

雄:お施主さんや近隣の人々との何気ない会話から出てくる情報はとても参考にしています。人がどのくらい道を通ってどんな会話をするのか、夏になったら野原に何が咲くとか、夕暮れ時の海は眩しいけど綺麗だとか。そういうヒアリングのときは敷地周辺を取り巻く出来事や空気感をできるだけ探って自分たちなりに共感することを意識しています。

HouseNの模型写真

 

 

—House Nは構法が非常に特徴的な計画ですが、建築を考えるとき構法や構造を重要なテーマとしているのでしょうか?

泰:建物の組み立て方は場所性を反映します。HouseNでいうと非常に細い曲がりくねった集落の道が今回の構法を考えるきっかけになっています。実現したい空間や場所性に沿った自然な構造や構法で部材が組み上げられたとき、密度の高い空気が生まれる気がします。また、構造が建物の使い方に影響を与える関係性は面白いですね。例えば、部屋の中心に柱や梁があると通常は邪魔ですが、かえって使い方の幅が広がるような状態。それが建物の成り立ちの中で自然に現れる必要がありますが。

 

雄:構造家と話していると、この構造だったらこういう空間の作り方がいいとか、素材や構法の判断がアイディアを進めてくれることが多々あります。でも、構造や構法を全面に出して考えていくというよりは、調査した様々なコンテクストと共にフラットに扱い、どれかに執着しすぎないようにしています。

建築が長い時間の流れの中で使い続けられる存在であるように、それぞれの情報との距離感を推し量りながら設計を進めています。SDレビュー2016の審査員の飯田善彦さんからは、「住宅でありながら地域の、というよりも集落の共同性を強く意識させる場所を生み出している」と評価をいただいて、とても嬉しかったです。

数人で軽量鉄骨部材を敷地に持ち運んで組み立てるHouseNの構法

 

 

—アニメーションとイラストを使った建築の発信の仕方について、展望を伺いたいです。

雄:HouseNのドローイングで気を付けていたのは、まず高知の空気感を理解してもらうことです。「ビジュアル的にカッコイイな」で感想が終わるのではなく、周辺と建物がどういう調和をとっているかがドローイングを通して少しでも共感できるといいなと考えていました。今回は夏の昼下がりのような、見ている人の多くが体験したことがあるかもしれないシチュエーションを選んでイラストのように整えました。それは建物の構成が強く残りすぎず、居場所や雰囲気が伝わることを第一に考えたからです。

泰:建築体験は時間がかかります。数時間滞在して初めて良さが分かることもある。そういう魅力を伝える媒体としては映像が適している場合もあると思います。写真だけだと伝わりにくいことを映像やイラストで補完できたら、建築の楽しみ方や理解が深まると思います。

 

雄:もちろん、実作は最も重要で、僕達が良い建築に会った時の感動体験を、建築を勉強していない人にも共有できるように努力をしていくべきだと考えています。

HouseNイラストパース

 

—いろいろな活動をされていますが、どこまでが自分たちの仕事の領域だと考えていますか?

泰:僕らは、建築でしかできないことを考えていきたいです。空間という媒体だからできる解決方法や可能性があります。建築での表現が適してないと思えば、無理に作らなくてもよいなと。あくまで設計活動が自分たちの仕事の領域ですが、設計が良くなるのであれば建築以外の事柄であってもチャレンジしたいという気持ちはあります。

 

雄:職能を広げることを目的にしているわけではありませんが、設計の前提条件から考え直すようにしています。クライアントから与えられた条件のままに設計するのではなくて、その前段階から考える。

そういった姿勢は末光さんの設計方法からも影響を受けています。風や熱といった目に見えないものから建物の前提を考えると、設計の判断基準そのものが変わってくる経験は勉強になりました。

高知の浜田兄弟和紙製作所との協働製作。100%楮のみで立体的に自立成形した和紙のアートワーク。原宿のTRUNK HOTELラウンジに設置。

 

—今日お話を聞いて、色々なことへの距離感を意識することで、どっちつかずな状態を目指して設計しているのかなと思いました。それをどうスタディしているのでしょうか?

泰:「どっちつかず」とは、複数の意味を持つことで曖昧な状態にあるということです。僕らは「開いているけど閉じている」「明るいけれど暗い」「透明だけど不透明」というように複数の両義性を建物に内包させたいと考えています。それによって、建物の解釈が一様に定まらず、使い手がより自由を感じられるのではないかと期待しています。また、設計から完成までに沢山の事柄を建築家は決定していきますが、その決定事項が表立って強く建築に出てくる必要はなく、魅力的な空気感や使われている風景が記憶の中に残ると良いなと思います。そのために敷地には何回も行って、その場所で獲得できる固有の快適さを考え続けます。

 

雄:曖昧さをどの程度で調整するのかを模型、CG、図面、スケッチと色々なツールで確認していきます。模型は最終的に1/20や1/10を作り、中を覗き込みながら家具も含めて判断していきます。

また、周辺環境を直感的に理解する為に情報をビジュアル化していきます。それは地図の履歴だったり、街並みの立面を撮影した写真だったりと様々ですが、できるだけ情報は排除せずに進めていきます。模型は最終的にそれら全てがどう統合されているのかを確認するのに重要なツールだなと思います。

 

泰: 使っているうちに、街への距離だったり、内部どうしの距離だったり、人と建物の距離が徐々に心地よく感じられて、「使いやすくて気持ちいいね」と言ってもらえると嬉しい。それを周辺と関係を切り離して囲い込まれた非日常的な方法ではなくて、周辺と連続した日常の中で達成したいのです。

今年完成した相生町の家はHouseNと同時期に設計していたこともあり、外壁はそのままの改修案件でしたが設計プロセスは似通ったものがありました。

円錐会で開催した「初出展01」(2017年)に出展頂いた相生町の家
 

 

相生町の家 外観(撮影:長谷川健太)第五回高知県建築文化賞 新人賞受賞

 

相生町の家 内観(撮影;長谷川健太)

 

—最後になりますが、学生へ一言お願いします。

泰:沢山の都市や建築を見ることが、自分の設計にとても役立っています。できれば一人で見に行って、自分なりに判断しておくと、働き出したあとも、そこから独立するにしても、きっと助けてくれるのではないでしょうか。そしてその情報を自分の中でどう咀嚼するかも大切です。ただ写真を撮って終わりじゃなくて。僕の場合は、良いと思った理由を簡単な絵にしてまとめたり、快適だと思えば実際測ってみたりするように、一人一人自分への取り入れ方を考えてみてください。

 

雄:建築を見に行った時の感動を思い出せる道具を自分でつくっておくといいなと思います。時間がたつと記憶が曖昧になってくることが多いので。

また、皆さんが在学しているY-GSAの先生や、助手さんはとても面白い建築家ばっかりで、本当にすごい環境だと思います。だから普段触れている人達と積極的に話していくといいなと思います。どんどん自分の考えをぶつけていった方が良い、というのが自分自身の反省点からのアドバイスですね。


ジェフリー・バワが設計したホテルの実測記録。こうした記録が自身の体験した空間や家具との関係、そこで得た感情を思い出す為のきっかけになるそう。

 

矢野泰司さん、矢野雄司さん、本当にありがとうございました。

 

 

インタビュー構成:石井優希(M2)、吉村真菜(M2)、尾崎純一(M2)、杉浦哲朗(M1)、池谷奈那子(M1)、久米有志(B4)、服部絵里佳(B4)、伊神空(B4)
インタビュー写真:杉浦哲朗(M1)
プロジェクト写真:矢野建築設計事務所より提供

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