interview #056 vol.1 江頭慎


 

江頭 慎 (えがしら しん)

 

建築家、美術家、ロンドンAAスクール ディプロマユニットマスター(教授)

1987年 東京藝術大学美術学部建築科卒業
1990年 AAスクール ディプロマをオナー(honor)にて修了
1990-91年 ポストグラデュエートデザインリサーチ及びデザイン指導
1992年 インターミディエートユニットマスター(Intermediate Unit 3)
1996年~ AA ディプロマユニットマスター就任(Diploma Unit 11)
1996年~小白倉村(新潟)でのランドスケープワークショップを開始

 

 普段ユニコーンサポートのインタビューは横浜国立大学出身者や学内の教育に携わる方を対象としていますが、今回は特別編として、AAスクールでユニットマスター(教授)をされている江頭慎さんからお話をうかがいます。このインタビューは学生間の自主的な研究会:ユートピア研究会がきっかけとなり企画されました。研究会では、これまでコンスタント・ニューヴェンホイスの『ニューバビロン』、チリ・カトリック大学バルパライソ校の『オープン・シティ』などを取り上げてきましたが、今回、江頭さんが主宰する小白倉村(新潟県十日町市)でのワークショップをまとめた『Before Object, After Image』を題材に選びました。この本から日本における現在進行形のユートピア的プロジェクトに興味を持ち、是非江頭さん本人に現地でお話を聞いてみようということで今回のインタビューが実現しました。

 

 

“Before Object, After Image”

 

―まずは江頭さんが建築の道に進むことになった経緯を教えてください。

 
高校生の時までは美術家になるつもりでした。高校の美術の先生が現代美術を専攻していて、「これからもし現代美術をやっていくのであれば、どこの芸術大学に行っても絵画科で絵を描いている人はいないし、彫刻科で何か材料を使って作る人はいない。インスタレーション、ビデオなどメディアはどんどん変わっている。もし芸術を学ぶのであれば、それ以外のことを勉強して、それを足場にしながらいろいろ面白いことをやったほうがいい。」と言われました。たまたま物理や数学の成績が良かったので建築も面白いんじゃないかと思い始めたのがきっかけです。しかし建築に興味を持ったは良いが、当時の僕は文系課程にいたため工学系の大学の試験は受けられなかった。そこで調べたら芸術系の建築があることを知って、東京藝術大学に入ることにしたのです。

 

―藝大の建築科に進まれてからも王道の建築家を目指すというより、違うジャンルと交わっていくことに興味を持たれていたのですか?

 
  正直に言うと、大学に入ってみてがっかりしました。芸術学部の建築だからもっとアートに偏った場だと思っていたのに、すごくまともだったんですね、課題とか。それで1、2年の間に疑問を持ち始めて、一回休学をしてニューヨークに行ったんです。クーパーユニオン※1を見つけて、その夜間講座などに通いました。当時のクーパーユニオンにはジョン・ヘイダックがいましたね。そこにいた学生と友達になって情報を得る中でAAスクールを知るようになりました。

 

―最終的にAAスクールに進んだ決め手というのは?

 
  卒制では学校をデザインしました。その時にオープンシティ※2とかタリアセン・ウエスト※3、アーコサンティ※4やロバート・ラウシェンバーグが出たニューヨークの学校(アート・スチューデンツ・リーグ)といったオルタナティブな学校を色々研究していました。それを踏まえて、僕はこれからの美術、建築の学校は物・場所を色々と移動してゆくだろうと思いました。そこで、当時オイルタンカーが余っていたこともあり、それを改造して世界中を船でぐるっと回ってくると卒業できる学校を考えました。特徴のある建築学校をいろいろ見ていくと、例えばクーパーユニオンは「ジョン・ヘイダックの学校」というカラーがクリアですが、AAスクールはもうちょっと混沌としていた。都市だとか政治的な部分も全部まとまって「クラスターとしてある学校」という感じがあり、AAスクールは面白そうだと思いました。

 

―AAスクールに入ってからはそうしたオルタナティブな学校としての存在を感じましたか?

 
  大学時代、建築ができるプロセスというのは形式ばったものではなく、もっといろいろなものがあるんじゃないかと直感的に感じていました。建築には商業建築から個人建築といろいろな成り立ちがありますが、その中で総合芸術的に建築が成り立つ条件を考えてみた。AAスクールには色々と個性的なユニットがありましたが、それぞれが異なる立場と視点を持ちつつも、変容する現代の流れの中で建築あるいは建築家の役割というものがどのように成り立っていくかという共通したテーマは語らずとも常に存在していたと思います。
  これについて、ひとつ興味を持っていたのは、“時間をかけて関わってゆく中で建築家の立場から一体どういうことが出来るか?”ということでした。まず、物が変容するきっかけを作ることがあります。その次に場所が変容した後どうやって継続させていくか。すごくシンプルな言い方をすれば、ランドスケープという考え方です。そのランドスケープの一部としての建築の役割を考えました。都市が変容していく中で操作を加えていく道具として建築、そしてその中から生まれてくる建築の言語に興味を持っていました。

 

―AAスクールを卒業されてからそのまま教員として大学に残られていますが、それもある地域やプロジェクトに対して時間をかけて付き合っていくためなのでしょうか?

 
  僕がAAスクールのディプロマでやっていたユニットのテーマは「ポストインダストリアルランドスケープ」です。当時のロンドンとイギリスの都市では、産業革命以降作られた機械といった生産のシステムが段々と朽ち果ててきて、いろんな情報技術が入ってきていた。そうしたものが変容していく過程の中での様相を都市として観察する、という流れがありました。そうするとその中で取り残されていく部分だとか、新しいテクノロジーが入ることによって不要になっていくものがたくさん見えてきた。当時はまだロンドンが不況から立ち直る直前です。使われていない工場地帯、汚染された場所――そういった都市の一部分をリサイクルしようとする動きがあったのだと思います。例えば2012年のロンドンオリンピックで使われた敷地はそのエリア自体が全部汚染されていて、再開発するお金もなく荒地になっている状態でした。
  そうしたポストインダストリアルランドスケープの中で情報技術などと都市を重ね合わせていくうえで、不思議と中途半端に生まれてくる部分こそ美しいのではないかと思いました。空間の表現や建築にしても、ダイレクティカルに新しいものと古いもののどちらがいいかという話ではなく、その変容の過程の中ですごくあいまいな様相をどういった形で継続させていくかといったことを議論していました。その流れでプロジェクトを進めているうちに、モバイルフォンみたいなものと取り残された不思議な材料が持っている頼りなさといったものをミックスしていくと面白いんじゃないかと考え、オブジェクトやテキスト、ナラティブやインスタレーションを用いて研究していました。当時AAスクールの学長だったアルヴィン・ボヤスキーがそれを面白がってくださり、「学校の工房に残って好きなことをやっていいからAAスクールでユニットのサポートを2,3年やってみて欲しい」と言われ、それで残ることになりました。

 

 

インタビュー風景@旧小白倉小学校

 

 

―話を伺っていると藝大のころのタンカーのリユースのプロジェクトから、AAスクールでの都市的エレメントを含んだ都市のリサイクルのプロジェクトへと繋がっているように思えます。

 
  自分のユニットを始めた頃に考えていたのはやはりポストインダストリアルランドスケープで、都市の抽象的な部分よりももう少し具体的な場所を設定してみようと思いました。休鉱になった炭鉱町、廃炉になりそうな原子力発電所の近くにある漁業集落など、産業をベースにした地域を毎年プロットし、そこに焦点を当てて進めることにしました。都市が造られるうえで派生され歪んでゆくランドスケープの中でそれを体現する場所。人の生産行為、工業が産業として成り立たたなくなった時に、今まで造られたものがどのように朽ち果てていくのか? あるいは変容していくのか? 社会問題を扱うより、その様相を丁寧に観察し、記録していくことの方が、建築的にやりがいがあるのではないかと思い、4、5年続けていました。イギリス内でそのような場所を見ていく中で、ちょうど日本でワークショップをする機会がありました。日本は産業革命がなく、工業もどちらかというと手工業だとかオーガニックなものばかりでした。そこで僕が興味を持ったのはポストアグリカルチャーです。地方のランドスケープを見ると、農業、特に米の生産は、輸入米に押されて産業が成り立たなくなっています。米で言えば、都市と地方の表裏一体の関係性は歴史的に見ると年貢を通して非常にクリアに成り立ってきました。そういう部分において日本を見るとき、日本の都市の変容の仕方――要は70年代から東京を中心とした表側の都市が変容する過程において、その裏側の地方でどういう変化が起きているのかに興味を持ちました。

 

―では、このワークショップの敷地である小白倉村はポストアグリカルチャーの一つの例として取り上げられたという形ですか?

 
  大きな興味としてはそうですね。しかし、主観的に見た時、すごく美しい情景というのがあるわけです。大地の中で人が生活していくということは、一体どういうことなんだろうと思わされました。それらはあまり理論的に説明できない部分があり、どちらかというと、そのようなことの観察や実証をこれからどうやってやっていくかという覚悟の方が大変でした。

 

―vol.2へ続く

 
※1 クーパーユニオン:1859年設立。ニューヨークのイーストビレッジに位置し、芸術・建築・エンジニアの3つの分野と生涯学習を有する大学。同校の出身で建築家のジョン・ヘイダックは1964~2000年まで教鞭をとり、著名な建築家を多く輩出した。

※2 オープンシティ:1970年設立。チリ・カトリック大学バルパライソ校の建築家アルベルト・クルスと詩人ゴドフレド・イオンミが中心となり、詩を通しての建築・都市の実践がリトケの広大な海岸砂丘に展開された。現在も建設中。

※3 タリアセン・ウエスト:1932年設立。フランク・ロイド・ライトが弟子たちとともにアリゾナの砂漠の中に建てた設計事務所および共同生活のための建築。そこでは弟子・所員たちは「フェローシップ」と呼ばれ、自給自足の共同生活を営みながら建築教育と実務が行われた。

※4 アーコサンティ:1970年設立。イタリア人建築家パオロ・ソレリが提唱したアリゾナの荒野に位置する実験都市。アーキテクチャとエコロジーを融合した「アーコロジー」という理念のもとに構想されたサステナブル都市。現在も建設中。

 
インタビュアー:原田雄次(設計助手)、久米雄志(M2)、山下智宏(M2)
写真:山下智宏


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