interview #057 vol.2 江頭慎


 

 

江頭慎インタビュー後編

前回のinterview #056 vol.1に引き続き、江頭 慎 (えがしら しん) さんへのインタビューをお届けします。 後編では江頭さんが長年取り組んでいる小白倉ランドスケープワークショップについて、さらにはAAスクールなどへの展開についてお伺いしました。

 

 

小白倉ランドスケープワークショップ:新潟県十日町市の集落小白倉で江頭氏が毎年主宰するワークショップ。1996年に始められ、毎年集落の中にバス停や舞台、パビリオンなど地域のための小さな建築を学生や村の人と一緒に3週間ほどでセルフビルドで建設している。

 

 


小白倉集落

 

―小白倉を敷地に選んだ理由、きっかけというのはなんでしょうか?

偶然ですね。AAのユニットトリップでフィールドトリップを行いました。それがたまたま人に伝わり、ちょっとワークショップをやってみませんか?という話になりました。一年やった後に、当時僕の同級生が新潟の建築局にいて、山間地域にはいろんな農業の集落があるという話を聞きました。その頃はバブルで地方にミュージアム、美術館といったハコモノがいっぱいできていた時代でした。結局建築家を呼んでものを作っても、内容物がない美術館や企画ができないものを作って無駄になる、というのが見え始めた頃です。そこで少しソフト事業、つまりその場所を調査したり、リサーチしたり、そこにどういうものが成り立つかということを考え始めました。それでこの渋見川沿いの色々な集落を県の人と回って、最後に小白倉にたどり着きました。地元の元気のある人が何人かいて、廃校になった学校もあるし、ここでちょっとなんかやってみましょうかとなりました。

 

 

 
拠点となる旧小白倉小学校と校庭に移築された東屋 (1999)

 

―実際毎年のワークショップはどのようなプロセスで行なっているのでしょうか?

初めの頃は、どちらかというと小白倉のランドスケープを教材としてとらえていたという認識が大きかったかもしれません。建築の学生と一緒に来て、なぜこの住宅はこういう形態を持ってるのかとか、棚田の作られ方とか、水の流れ方とか、屋根の傾斜とか、生活のパターンがなぜこういう形になったとかを分析しました。粘土の質や土の柔らかさといったものを見る土壌学みたいな部分もあったかもしれないです。それらと農業の生産形態の連続の中で 、材料、建物の形態、雪の降り方なども見ていく。例えば、井戸を手で掘って、横井戸から水を引いて、棚田をどうやって作っていったのだろうといったことです。そういう部分を読み込んでいく作業―例えば土地の断面模型作ったり、土のサンプルをとってみたりが多かったかもしれないですね。最近は、以前に作ったものを改良したり、必要のないものを取り壊して再利用したりということが増えています。

 

 

 
東屋の窓ガラスに組み込まれた村の植物

 

 

―では現地に来て、その場所でどういうものがあるか考えて、提案につなげていくということですか?

そうですね。最初のころによくやったのはこの場所を観察するための椅子のような ものです。場所をいろいろ考え、そこに集落の人を呼んで、その眺めを見てもらう。要はここの住人にとってはいつも見慣れたものでも、違うところから来た人の視点はそれとは違うからです。そういう部分をコミュニケーションでやっていけたらなと思っていました。

 

 
村のバス停 Ver.2 -村を眺める視点場にもなっている

 

―村とのコミュニケーションで言えば、このプロジェクトブック “Before Object, After Image” を見ているとプロセスがしっかり記録されているというが印象的だったのですが、プロセスを表現していくというのは意識してやられているのでしょうか?

建築は新しいものを作っていくことなのか、あるいはだんだん消えていくものを記録していくために建築はあるのか、というのは曖昧でしょう。もしかしたら建築の手法というのはスケールを与えて、その場所を記録するための道具としてあるかもしれない。先ほど言っていたポストアグリカルチャルランドスケープを観察していくことは、その風景がどういう形で変容していくか、あるいは生活手段がどういう形で変わって来ているかということ。そうした変化をを建築自身が観察 することによって、記録していきます。つまり、記録する契機となるためにものを作っている。建物自体もある程度になったら、朽ちていったり、形状変化したり、機能さえも変わっていくという。そういう黙示録的な機能というのも見えるのではないかと思っています。そういう意味では、建築行為の機能の一つは リプレゼンテーションということがあるかもしれません。

 

 
プロジェクトのモデル

 

―実際出来上がったものを見ていくとこの集落にあるような構法だったり、素材だったりを感じるものが多いなという印象があるのですが、やはり村全体の風景の中でどういう立ち現れ方をするのか、という部分は意識されているのでしょうか?

そうですね。でもあまりデザインの基準を作っていけるほど、ここの環境は優しくありません。色々学生がアイディア出すときは、雪を知らない人もいるので、「それは無理だよ」とあまり言わないようにしています。でも雪のビヘイビアーを色々見ていくときは、建物がこういう風に成り立っているからそれを元に考えてみる、というやり方はあると思います 。あとこれだけ長くやっていると、地元の人も「また変なものを作っているな」と割とみんな楽しみにしてくれているんです。人が本当に必要な生活空間には手をつけないようにしているので、あってもなくても大丈夫、というような曖昧な公共空間がほとんどかもしれません。

 


民家の急勾配の屋根が冬の厳しさを感じさせる

 

 

 
集落の風景の中でのバス停

 

―江頭さんはもちろん毎年参加していらっしゃると思いますが、基本的にメンバーというのは毎年変わっていくのでしょうか?

毎年参加している学生の半分はAAスクールから、残りは世界中のいろんな大学とかから来てくれていますし、卒業後に戻って来る人もいます。鶴岡信太郎くんだとか小平裕子さんみたいにうちの研究室、ユニットを終えた後も、チャンスがあれば参加してくれる人もいます。

 

 

―AAスクールへの進学を考えられていた頃に、オープンシティであったり、タリアセンやアルコサンティのようなオルタナティブとしての学校を意識されていたと思いますが、小白倉のプロジェクトもそうしたイメージがあるのでしょうか?

ここで僕が毎夏やっていることは、AAでやっていることの裏側部分になるので、そこまでは比べることはできないと思います。AAのディプロマユニットは既に20年以上になりますが、そこでは徹底的にロンドンの変容の仕方を、都市を介して記述しています。どちらかというとそちらがメインです。小白倉では都市であえてできないことをリアリティチェック的にやっています。でも初めに考えていたことは、なぜ都市にはこんなに余るほど建築の学校がいっぱいあって、必要以上の建築家が都市に集中しているのに、本当に建築の知識や感性が必要な場所に建築の学校はないのだろうといった疑問です。そういう意味ではオルタナティブと言えるかもしれません。参加している学生たちはここを何とかしてあげたいという理由で来ているよりも、ここでやっていることが楽しいし、おもしろいし、活動の内容が刺激があるから来るのだと思います。それが一番大切な部分かもしれません。

 

 

 
今年のプロジェクトである水飲み場の小屋の建設風景

 

―そのように色々な国の人が、東京のような大都市ではなくて、小白倉という小さな農村に集まってつくるというのは、オルタナティブな学校としての存在を強く感じます。
またY-GSAは建築と都市というテーマでスタジオを行なっていますが、最近の学生の傾向を見ていると、必ずしも都市ではない島や集落などでプロジェクトを考える人も増えてきています。江頭さんはそういった地域の魅力をどういったところに感じるのでしょうか?

まずAAのユニットが持っているフィロソフィー、ものの見方ということがあります。一つは、建築家は都市や建築をつくるのではなく、建築家自身が都市によってつくられているということです。都市が生み出す建築によって、建築家が成り立たされている。だとしたら、デザインすることは、都市の成り立ちを理解すること以外の何ものでもない。都市でも地方のランドスケープでも、様々な部分から生ずる予期せぬ空間に興味を持っていないと、それらが変容していく様子というのは理解できません 。ただ単にいろんな人がつくった建築が重なると都市になるみたいな考えはすごく幼稚な見方だと思います。どちらかというと、都市を読み込む部分を体現するモデルとして、建築の言語をみていくということです。それがどういう形で変容を遂げていくかということが大事だから、都市であれ、周縁であれ、ランドスケープであれ、全ては人工物の上で成り立っている以上、特にここがおもしろいというのはないかもしれません。

 

―最近のAAでの取り組みとしてはどういったことがあるのでしょうか?

そうですね。ここ5~6年の間は、ドーセットというロンドンから2時間半くらい行ったところにホークパーク(Hooke Park)というAAスクールの実験的にものをつくる施設があり、そこで、新しい技術を使った道具を入れて、どういうものができるかを研究しています。もうひとつは小白倉で今までスポンサーとしてお世話になっている前田建設が取手(茨城県)に実験施設を作りました。そこでは、集成材の研究をしたり、あと構造実験できたりとか、実験的なことができます。僕としては小白倉とその研究所をうまくリンクさせて、各場所でやっていることの技術、知識、あるいは環境を繋げていくと、それだけでもすごく意味のある活動になるのではないかと思います。3つ、4つくらいの場所、あるいはワークショップを一つのプログラムとして繋げるという戦略を考えています。

 

 

 

 
旧小白倉小学校の体育館が制作拠点の工房として転用されている

 

 

―それはすごくおもしろそうですね。小白倉は歴史があるところで、今まで地域と一緒に作ってきたものがあります。一方で、先進的な機械による技術的な蓄積も始まってきた。それらがどう繋がっていくのかすごく楽しみです。

人の動きや知識がどういう形でリンクできるかを考えると、学校という教育組織の形式にこだわらなければ、企業であっても技術的・教育的に学校よりもすごいことをやっている。 逆に企業は社会貢献しなくてはいけないという意思があっても、どうすれば良いかわからないままに無駄なお金を使っていることがあります。建築の大学にしても、競争するのではなくて、知識としてシェアしていくとしたら、一番ネックになるのは組織としての成り立ちの枠ではないでしょうか。それを壊して、一時的にでもリンクしていくことが、本来のワークショップの意味だと思います。ローレンス・ハルプリンが提示したワークショップの手法が始まったのは70年代です。建築家、アーティスト、詩人などがコラボレーションで、アトリエ、学校といった自分たちの普段いる制作環境から外れることで、ヒエラルキーを壊し、何ができるかチャレンジを始めたときですよね。オープンシティやタリアセン・ウエストにしても、オルタナティブと言うからには、当時の社会的枠組みからどうやって離脱して、違うことができるか、その場所をどうやって発見して維持していくか、その組織自体がどうやって有機的に変化していけるかということだと思います。

 

―最後に建築を学んでいる学生に対して一言お願いします。

建築家という職業は非常に不安定な職業で、それ自体常に成り立ってないものだと理解した方が、やりがいがあると思います。時代の変化の中でいつも再定義していかないと、成り立たないものだからです。漠然と建築家になりたくて勉強していたら、多分その変化にはついていけないのではないでしょうか。大学のカリキュラムというのは、20年くらい前に成り立っていた建築のあり方が、20年経って公認され始めたものなのです。そのギャップを知らずにやっていると、卒業して自分で何かしようと思った時に、すごく苦労するかもしれない。常に周りにある環境を興味深く見て、その中で自分の立場だとか、自分にできることを常に考えながらやっていると、建築というのは非常にやりがいのある仕事になると思います。そういった意味では、やはりいいアーティストというのは、社会現象だとか、いろんな部分にいつも興味を持って、目を光らせていて、それを本当に新鮮な生モノのように扱って、呼吸をして、ものを出していきますよね。建築家はあまりそういうことを意識してやらないです。それゆえに都市をそういった癖で観察したり、その一部に自分がいて何ができるのかをいつも考えるのは、すごく楽しいことだと思います。

―今日はありがとうございました。これからの小白倉集落での取り組み、あるいはAAスクールや取手とのコラボレーションも楽しみにしています。

 

 


2019年9月2日、小白倉集落にて

 

 

インタビュアー:原田雄次(設計助手)、久米雄志(M2)、山下智宏(M2)

写真:原田雄次

 

 

 


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