interview #058 百田有希


 

(プロフィール)

百田有希(ひゃくだ・ゆうき)

1982年兵庫県生まれ。2006年京都大学工学部建築学科卒業、2008年同大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。2008年から大西麻貴+百田有希/ o+h 共同主宰。2009~14年伊東豊雄建築設計事務所勤務。2017年~横浜国立大学非常勤講師。

 

 

-横浜国立大学で教えていて感じることを教えてください。

 

まず、京都大学とは全然違いますね。僕が入学した頃は高松伸さん・竹山聖さんが中心になって設計を教えている時代で、「建築は美しくあらねばならない」「建築は、最後は感性でしか判断ができない」というような価値観の元で教わっていました。だからプログラムとかコンテクストをほとんど考えたことがなかったんです。でも横国では建築と社会とのつながりを重視していますよね。そこから広がっていく建築の可能性をすごく感じて、非常勤講師として教える立場ですが、僕の方が勉強させてもらっているなと思います。

 

それと、西沢立衛さんとの出会いは伊東豊雄さんとの出会いと同じぐらい大きいです。西沢さんの話を聞いていると「建築ってこんな力を持っているんだ!」と、雲の奥にうっすら山の頂が見えたような感覚になります。遠くの大きな目標が見えると、目の前にある問題は過程に過ぎないと思えてくるし、先が見えていない雲の中を進むエネルギーも生まれてきます。多くの人から助言や批評をもらう機会がありますが、具体的な答えとしてのアドバイスではなく「そもそも建築はこうあるべきだ」と、大きな問いで返してくれる人は中々いません。

 

以前、西沢さんに僕らのプロジェクトを見ていただいた際、「ディティールは細部をつくることじゃない。世界をつくることだ。」とおっしゃったことがとても印象に残っています。それまで僕は、ディテールとは細部を綺麗におさめたり、意匠やコスト・性能が複雑に絡む部分を解くことだと考えていたんですが、西沢さんから「上手い・賢いディテールは全く意味がない」と言われ、金槌で頭を殴られたような衝撃を受けました。ディテールというのは設計者にとって腕の見せ所とも言えるとても重要な部分です。でもディテールは、何かを実現するための手段であって、それ自体が目的ではないとも言えるし、同時に単なる部分や歯車でもない。ディテールは、建築全体が何のためにあるのかという問題と常に一緒でなくてはならないと気がついて、目が覚めました。

写真1:インタビューはo+hの事務所にて行われた

 

 

-京大での学生時代についてお話を聞かせてください

 

初めての設計課題はミース・ファン・デル・ローエの「バルセロナパビリオン」の習作でした。まず、ミースの図面をトレースし、レイアウトしたA1のプレゼンボードと白模型をつくります。それまで僕は設計図というのは、つくり方や組み立て方が書いてあるものだと思っていました。でも高松さんは「これは単なる説明書ではありません。これは作品です。あなたはこの作品で人の心を打ち、仕事を得ていくのです。」とおっしゃったんです。既存の建築の再現が作品になるなんて、目から鱗でした。

次の習作の課題では「君はフリースタンディングウォールという自由になった“板”(壁)を手に入れた。それは言わば新しい“文字”と言ってもいい。その“板”で美しい“文章”を書いてこい。」と言われました。まだ半分高校生みたいな僕は、かっこいい指導にすっかり魅せられて一生懸命案をつくって持って行くんですが、エスキスでは「この壁をあと100m伸ばせ。」と指導があるんです。100mも伸ばしたらA3の紙からはみ出してしまうしどうしようと、びっくりしました。でも壁を伸ばしていくうちに全く違ったものに見えてくるんです。長い壁は森の中のアプローチとなり、その壁の先端にもう一枚壁を並べてみる。すると壁に沿って歩いてきた人が自然と壁の隙間の中に導かれて、狭い暗い空間を抜けると一気に壁の向こう側の世界が広がってくる。たった2枚の壁だけでも人を感動させる力があるのだと知るんです。

こういった指導もあって、 京大では「見たことのない空間をつくりたい」という思いで課題に取り組んでいる学生が多かったと思います。また、それ をどうインパクトある形で表現するのかを競い合うよう取り組んでいたと思います。本当に冗談みたいな話なのですが、隣の人が90cm角の模型をつくり出したら、「じゃあ僕は1m角!」「じゃあ俺は1.2m角!」というようにどんどん大きくなっていき、最後は鉄で模型をつくる人が出てきました。結局彼は模型が重すぎてどこにも運び出すことが出来ず、学外の展覧会には出展出来ませんでした(笑)。

 

そんな中、3年生の時のスタジオに伊東豊雄さんがいらして、最初に「あなたにとっての建築とはどういうものですか?」と聞かれたんです。晴天の霹靂です。それまで建築が自分の内側にもあると思っていなかったので、一気に悩みの淵に突き落とされました。結局、卒業設計の時も悩み続けて浮上できませんでした。

このトラウマは大学院1年の時に伊東さんの学生ワークショップに参加するまで解けませんでした。

 

 

-どのようなワークショップだったのでしょうか?

 

ワークショップは、30人くらいの学生たちが10日間ほど集まってフォリーを設計するという内容でした。僕たちがはじめて実現した建築である「地層のフォリー」になるものです。実は締め切り間際までは全く違う形でした。テーブルを積み重ねたタワーのような案を考えていたのですが、実施が前提なので、伊東さんからは「こどもが落ちると危ない、柵をつけるのか」「車いすの人はどうやってこれを楽しめるのか」と指摘されました。当時の僕たちは、それを解決したらいいんだと思って、「柵を付けるならテーブルだしフォークのような柵にしたらいいんじゃないか」とか、「車椅子の人にはエレベーターを別棟で建てよう」と本気で考えてしまいました。今から考えると本当に恐ろしいですね。

締め切り直前までそんな感じだったのですが、いよいよこれは無理だぞとなって、それまで考えていた塔ではなくて、平家の案を提案しました。テーブルにいつの間にか柵がついて箱が浮かんでいるようになっていたので、変更案も一つの箱が浮かんでいるところからスタートしたんです。敷地形状に沿った円盤ボリュームにいろんな穴を穿って、遊び場と休憩所が一体になったようなアイディアをつくりました。ただ元々が「テーブル案の成れの果て」のような出自が不明な案だったので、「なんだか面白そうだけど、これが何なのかわからないんです。」と伊東さんに問いかけたんです。すると、「これはもしかしたら“浮かんだ洞窟”かもしれないね。」と言われたんです。

 

 

写真2:「ぐりんぐりん」初期案(テーブル案)

 

 

その一言から、「これは地面を切り取って持ち上げたものかもしれない。屋根も浮かんだ新しい地表面だから、草が生えている方がよいかも。ボリュームも土でつくったらどうか。」と自分の中にいろいろなイメージが湧いてきたんです。起伏がない人工の埋立地に新しい地形をつくることは、特別な意味がある。フォリーを設計していたんですけど、そのためだけにあるものじゃない。機能が変わってもこの場所にこの建築が存在していいと思えるような、そういうものを手に入れた気がします。ものを生み出すってこういうことなんだと、ものすごく感動しました。そこから伊東さんのところで修行したいと思うようになりました。

 

 

 

写真3:「ぐりんぐりん」新案(平家案)のスタディ模型

 

 

-学生時代に大西麻貴さんと出会い、どのようにして一緒に仕事をすることになったのでしょう?

 

3年生まではお互い特に設計を頑張っている良いライバルでした。きっかけは先輩の卒業設計の手伝いが終わってみんなぼろぼろになっていたときです。「僕らは人生や暮らしの豊かさにつながるものをつくっているのに、自分たちがこんな生活していたんじゃだめだ!」と仲間同士で映画を見に行ったり、美術館にいったり、もっと日常を楽しもうということになり、仲良くなりました。設計を一緒にやるようになったのは、4年生の時の「シェルターインターナショナル学生設計競技」が始まりです。学生時代の方が今より一体的な感じがありました。コンセプトを考えるのも、模型やCG、パースも全部2人で共有しつつ、競い合うようにつくっていました。大学院修了後の「千ヶ滝の別荘」まではそのような感じで、今とはやり方が大分違いますね。僕が伊東事務所に入ったことで、大西さんとの違いが明確になりました。

 

 

-伊東事務所に入って、何が変わられたのでしょうか。

 

伊東事務所では様々なものを学びましたが、その中で大きなものが二つある気がしています。

一つは、みんなで共有できる考え方を生み出すことが、大きな力になるということです。伊東事務所はあまりスタイルがなくて、つくるものも毎回全然違います。でもどこか伊東さんらしさがあるのは、みんなが共有できる考え方みたいなものを伊東さんが発明するからです。それは「呼吸する建築」「脱近代建築の5原則」「新しい幾何学」「生成するオーダー」などですが、そこから生まれる建築の具体的な形はスタッフに任されているんです。伊東さんの出したキーワードを、 それぞれが自分のものだと思ってアイデアを出します。構造設計者や設備設計者、施工者も同じです。あなたの責任と役割はこれです、と与えられるのではなく、まず考え方が共有される。そうすると、 自然と自主的になって 、同じ作業をやっていても意味が全く変わってきます。(★)そのエネルギーがすごいなと思います。

もう一つは、社会と個人の間を常に揺れ動きながら考えるということです。例えば「呼吸する建築」は社会で求められていたエネルギーの問題と、自分たちが実現したい建築像との間から生まれたものです。

この姿勢は日々の設計の取り組み方でも同じです。伊東さんとのエスキスで、つい 自分がやりたいことだけを持っていくと、「現実的なことを何も考えていないじゃないか」と言われ、次に現実的な案を持っていくと「あなたは何がやりたいのですか?」と問われるんです。そんな中で自分のやりたいことを通すには、現実的に求められるものくらいは、自主練でクリア出来ないといけない。そうやって足腰を鍛えられるんです。

 

一方で、大西さんはどこにも属さずにやってきているので僕とは全然違います。建築というのは、どんなベテランでも学生でも関係なく、みんなが対等にアイデアを出して勝負でき、そのアイデアの鮮やかさで突破できるという部分が残されています。大西さんはそこを一生懸命に突いてくるんです。でも僕は伊東事務所を経て具体的な設計というのはそれだけでは成立しないのがほとんどだという考えになっているので、そこで喧嘩になります(笑)。

 

 

-伊東事務所時代はどんなプロジェクトを担当されていたのでしょうか

 

最初に担当したのは、台湾の10万㎡ほどの大開発のプロジェクトです。「誠品書店」という本と雑貨による総合書店などが入った商業部分と、ホテルとオフィスの複合商業施設です。ほかにはシンガポールの学生寮や、気仙沼のカフェ、世田谷の1000㎡ほどのクリニックも担当しました。クリニックのクライアントは、独立した時に仕事を依頼してくれて『house H』につながっています。

 

 

-独立後から現在に至るまで、考え方など変わっていることはありますか。

 

「グッドジョブセンター香芝」という奈良の障害者施設のプロジェクトは、取り組む前と後で世界の見え方が変わるような経験でした。まずクライアントが話してくれた理念が素晴らしかったのです。「違いを認め違いを大切にする」。実際はもう少し具体的に書いてありますが、障害者福祉施設の理念でありながら、福祉の世界だけじゃなくて社会全体にも当てはまる考え方だなと思いました。誰にでも居場所があるということは、ただ単にバリエーションがあるということではなくて、違いがある人たちが一緒にいてもいいんだと思えるような状況だと思うんです。よりみんなが寛容になれる空間をつくるにはどうしたらいいんだろうと考えさせられました。

これは本当に色んなところに連続的に影響を与えています。例えば、図書館って普通は静かにしなければいけませんよね。だけど、図書館の中にパン屋さんやファブラボが入ってガヤガヤしつつ、2階の奥の方には静かなコーナーがあるというような、そういう状況もいいと思うんです。

 

現在設計中の、山形県東根市にある齋藤管工業という機械設備の会社の新オフィスにもつながっていると思います。工業団地内にある敷地に新社屋を計画するプロジェクトだったのですが、駐車場用地として近くのさくらんぼ畑を買われたことを知り、さくらんぼ畑の中にオフィスをつくりましょうと提案したんです。さくらんぼは地域を象徴する果物ですし、環境としても畑の中のオフィスの方がいい。何より面白い働き方が出来るんじゃないかと直感的に思ったんですね。最初、会長さんは「誰がさくらんぼの世話をするんだ、そんなの大変だ。」という反応でしたが、次に行ってみると、バギー型の芝刈り機に乗って、孫と一緒にさくらんぼ畑の手入れをしていたんです。その姿が完全にさくらんぼ農家のおじさんみたいになってて(笑)。ものすごく楽しそうでした。

そこから 、齋藤管工業を定年でリタイアした人もさくらんぼの手入れに継続して 関わってもらったり、さくらんぼ畑を園庭として保育所を併設してはどうかと、自然と展開していきました。例えば、小学生のお子さんがいる方は、学校から帰ってきた子どもがさくらんぼ畑で遊んでいて、夕方お父さんの机の横で宿題をして、時間になったら一緒に帰るという働き方もできますよね。仕事の効率を上げるとか、オフィスの快適性を上げるとかそういったことだけじゃなく、少し大らかに考えるだけで、働くということを通して、地域のことや家族のことを考えたりできるかもしれない。そうすると働く人だけじゃなくて、孫からおじいちゃんまで自然とみんなが集える場所になるかもしれないですよね。「グッドジョブセンター」からずっと考え続けていることが、色んなプロジェクトでさまざまな建築の形になって現れてくるのは面白いなと思っています。

 

 

-そういったクライアントとはどうやって知り合うのですか?

 

これは縁ですね。突然知り合うこともありますが、グッドジョブセンターや小豆島や福智町のプロジェクトを通して考えていることに、共感して楽しんでくれるようなクライアントがずっと連続していて、面白いなと思っています。まあ、いきなり効率とか儲けを第一に考えている人がうちの事務所に来ることはないかもしれません(笑)。

例えば齋藤管工業は、もともと一緒にPFIのコンペに参加したチームの一員でした。僕たちのチームは地元の人たちばかりで、施工者でありながらそこに住む市民であり、子育てをする一人の父親でした。そうした立場からいろいろな意見をくれて面白い提案ができたのですが、結果的には二等で実現はしませんでした。けれど、それをきっかけに お互いに信頼関係ができて、新しい社屋の設計を僕たちに依頼してくれたんです。その時にはすでに価値観のベースが共有できていました。

 

それと、事務所を開け放しにしているので、駆け込みの人が来ます。ただ、そういう人は僕たちがいいと思って頼んでくれる人とはちょっと違いますよね。だから「どういう家をつくりたいですか?」「どういう年代の人とつくりたいですか?」と聞いて、60代だったらこんな建築家がいますよ、50代だったら…と、いろいろな方を紹介するようにしています。一度帰って、どういう建築がいいかを判断していただいて、それでも僕たちに頼みたいというならまた連絡ください、と。

 

 

-まるで「街の建築家案内所」ですね。

 

そうですね(笑)。でも、そうでないとやはり、設計をやっていて大変になりますからね。

写真4:解放された新しい事務所の写真  

 

 

-ワークショップで思うことや大切にしていることはありますか。

 

ワークショップが建築の力になっているのは、大西さんの力が大きいと強く感じています。大西さんが持っている言葉の力やリーダーシップが、関わる人を自然と前向きに楽しくさせてしまうんですね。その状況を目の当たりにして、ワークショップは設計のためにあるのではないと感じるようになりました。

普通ワークショップというのは、設計案への要望や意見を聞いたりすることだと思うのですが、それだけじゃあまり面白くないですよね。建築をつくることには自然とみんなが前向きになれる力があるというか、これまでになかったものをつくろうとするので、新しいものが出来たらどう使いたいかを考えるきっかけになります。それは部屋の大きさや窓の位置、使い勝手上の要望など建築のスペックを決める以上の意味があります。

例えば「多賀町中央公民館多賀結いの森」を設計していた時、「多賀語ろう会」という会を2年ほど続けていました。それは、月1回、公民館をどうやって活用していこうか考える地味な会でした。でもある時、食に興味があるお母さんが、多賀にしかない郷土料理のレシピを地域のおばあちゃんに聞きにいって、みんなでつくって食べる活動を始めたんです。その活動が発展して、公民館のオープニングの時にはみんなで1日限定のカフェをやることになりました。当日は調理室の建具を取り払い、暖簾をかけてカフェカウンターにして、中高生がボランティアでウエイターをやってくれました。

ワークショップを通した設計では、 単に要望を聞く以上に、「新しい建築ができることでこんな面白いことが起こるんだ」ということをみんなが実践していける状況を生むことが重要です。設計のためではなく、新しい建築を通して何ができるのかを一緒に考えることで、地域の方がより主体的に建築に関わってもらえるようになることがワークショップの意義ではないかと思います。

 

 

-今興味があることや、今後どうなっていきたいかなどはありますか

 

笑われそうだけど、すごい建築をつくりたいです。時代が変われば価値観も変わるし、人間も年齢によって考え方が変わりますが、どの時代にも絶対「ああ、初めてだ。」「新しい。」と感じることがあると思います。すごい建築というのは、それらと一緒にあると思っています。

例えば「違いを大切にし、寛容であること」を空間を通して考えることや、ワークショップを大切にすることは、今の時代の価値観に通じると思うし、それが新しい建築を生み出す力になるのではないかと思っています。

 

 

-学生に向けて一言お願いします。

 

 

課題が終わると模型が残りますよね。それが、時間が経つと埃をかぶってたり、半分壊れていたり。学生時代、僕は毎回ゴミをつくってるのではと不安な気持ちになってしまうことがありました。着実に力をつけているのだろうか、これは社会に出て本当に役に立つのか、など色々なことを思ってしまったんです。

でも、絶対にそんなことはない。もっと重要なものをつくっているんだと伝えたい。

それは自分自身です。これは就職してからも言えることです。就職するときに待遇など比較検討して選ぶ人もいるかもしれない。「あそこはお給料が低くて…」とかいろいろ考えますよね。それはその場の成果・対価であって確かに大事なのですが、それ以上に大切なのは、どこで学ぶか・働くかということは、どういった価値観に触れ、どういった自分をつくるかということです。単に仕事のやり方を教わっているように思えても、それを通して考え方や生き方を知らず知らずのうちに吸収しているんです。僕も京大で学び、伊東事務所で働いたことが、今の自分自身をつくっていると感じています。

自分の興味があるものに向き合っている限り、課題や仕事でうまくいかないことがあっても、きっと価値のあるものになると思います。頑張ってください。

 

 

-ありがとうございました

 

学生インタビュアー:江口哉子、久米雄志(M2)、永崎悠(M1)、山内海渡、高橋昴希、瀬川未来、平松崇史(B4)

写真:平松崇史

 

 


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