《卒制2020》5/15 -SANAA-


 

 

《卒制2020》5/15 -SANAA-

 

 

 

《卒制2020》インタビュー掲載企画、第二回は、西沢立衛さん、妹島和世さんのお二人です。

 

お二人は1995年にSANAAを設立されて以降、横浜国立大学及び大学院建築学科における建築教育を、あらゆる場面で支えて下さっています。学部期間では、西沢さんは4年生のデザインスタジオにおける担当教員として関わり、以降卒業設計に至るまで一年を通して大変お世話になりました。卒業設計に関する事のみならず、学生独自の質問やお二人ご自身のエピソード等、普段お聞きできない事についてこの場を借りて改めてお話を伺いました。

 

 

 

─── 今日は辰巳駅から歩いてきたのですが、ここに事務所を構えようと思ったのはなぜですか?(瀬川)

妹島 それは、流れ流れで。最初に事務所を始めたのは高輪台、五反田からも品川からも歩いて行ける、ちょっと外れのとこでした。

西沢  アトリエ事務所はみな、来年壊される建物とか、地価が安い地域で、とても安い物件を借りたりするのね。家賃が安いの助かるから。若い建築家がいるところってしばしば、町はすごい廃れてたりする。でもそういう安い地域というのは、時代の変化でいずれ再開発が来て、地価が上がって、家賃が上がる。

妹島  そうすると出てかなきゃいけない。品川辺りは今すごい高いところだと思うけど、そこが出なきゃいけないことになって。それで恵比寿に。駅のすぐ近くで裏にヱビスビールの工場があって、渋谷の隣なのに、当時すごい田舎で、かつ安かった。

西沢  だいたい大きな駅のひとつ隣って、意外と穴場というか、近い割に僻地だったりするのね。上野の横の鶯谷とか。新宿の横の新大久保とか。品川の隣の大崎とか。恵比寿も昔はそうだったんです。

妹島  恵比寿もヱビスビールの跡地が開発されてガーデンプレイスになって、地価が上がって家賃が三倍になりますよと突然言われて。そんなの借りれないということになって・・・それで天王洲アイルに行きました。

西沢  倉庫なので、窓なんかなくて、安かった。

妹島 すごい寂しいところに来ちゃったなと思っていたら、 だんだん外資の大企業が移ってきて。

西沢 ところが、 羽田空港が国際化して、 のぞみが品川にも停まるようになって、 天王洲アイルの地価が一気に上がっちゃった。 恵比寿だって僕らが出た時は成田エクスプレスが渋谷に来たときで、 ガーデンプレイス効果とあいまって地価がわっと上がった。 そうやって都市の裏側が開発されて地価が上がって、 安いところを期待していたものづくりの人たちは追い出されちゃう。 天王洲アイルの後、 辰巳に移ったんだけど、 今度は東京オリンピックのムードが始まっちゃって、 追い出された。

 

─── ここの風景とか周辺環境が好きなのかと・・・。(瀬川)

妹島 好きってわけではないんだけど、 そういう環境に行かざるを得ない状況になってきて、 便利で安いところで探すと、 開発が後からやってくる。

西沢  あと我々は、羽田にも成田にも行きやすい湾岸エリアがいいと思っていたのはある。 模型も僕らは大きいからいろいろ運び出すのに便利なとこがよかった。

妹島  それから私は、水が見たいっていうのはずっと昔からあって。 一人で始めた頃、 水辺の倉庫が良くて借りたかったけど、 単価は安いけど大きな面積を借りなくてはならず、 結局全然無理でした。

 

─── ありがとうございます。色々聞きたいことはたくさんあるのですが、お二人の好きな椅子とか、ありますか?(瀬川)

西沢 妹島さんはそれはまずミース(笑) 僕は、ブルーノチェアって知ってる? 僕もミースの家具はどれも好きですが、ブルーノチェアはすごい好き。見て好きというだけでなく、座って好き。すごい重くてね・・・すごいいいよ。バルセロナカウチも好き。ですが、しかし寝るときに嫌な夢を見るんだよね。 一同 (笑)

妹島 確かに椅子ってすごく難しい。家よりは簡単に買える。高いと言っても二、三万円から買えるから。だからなんとなくちょっといいなーとか思って集めがちだけど、時間が経ってどうするかとなった時に、絶対これはどうしても残したいというのがはっきりしてくるかもしれない。

西沢 妹島さんは、大橋さんの家具は好きですよね。

妹島 そうですね。

西沢 あと僕らは結構、イームズの椅子は多い。イームズのはなんかミースみたいに価値感がすごいっていうのではないんだけど、アメリカ的というか、実用的で好きだよね。あと、コルビジェの椅子も好きなんだけど。LC1も好き。

 

─── 体を包んでくれるような?

妹島 包むものはいっぱいありそうなんだけど、包まなくてもいい、 勝手にいてもいいというのもありますよね。(笑)

西沢 ヨーロッパの家具は、 突き放すよね、建築もそうだけど、すごいよね。 コルビュジエとかミースとかっていうのはモダニズムだけど、 ほとんど古典主義なんだよね。 クラシシズムの中から出てきてる人だから、 なんていうか、 かっこいいというか堂々としてるよね。厚みがあって。彼らにとってモダニズムは、 新古典主義とほとんど一体のものですよね。

 

─── このマルニチェアは・・・。(瀬川)

妹島 これは意外にずっと飽きないで残ってますね。

西沢 元々これはフリーハンドというアイデアだったの。 フリーハンドがそのまま形になるっていう。 大量生産をする時に、 職人が時間ないからぱぱっと描いたうさぎがそのまま形になるっていう、そういうの面白いなと思ったんだけど、結局減額いろいろで、 同じ形になった。

妹島 飽きないで色々やってますね。

─── このテーブルも・・・。(瀬川)

西沢 これは、 ボルドーの家って知ってる? あそこのダイニングルームの朝食用テーブルをお願いされて、これはそのモックアップ。三つでワンセットでいろんな形に組み合わせられる。

妹島 ちゃんとしたダイニングテーブルではあるんだけど、 キッチンのすぐ横で一人でも食べられるし、 週末にこどもたちが帰ってきたりしたら一緒に食べられる、 あとは自分の仕事でも簡単にメール打ったりしたいって言うことから、 くっつければある程度大きな面ができ、リング状にもなってバラバラにも使えるみたいな。 家具に興味があるの(笑)?

 

─── 二人の感覚を知りたいと思って。 例えば家具の曲線のアイディアとか、 建築設計に繋がる事はあるのでしょうか。(瀬川)

西沢 曲線がどこから出てくるか?

妹島 家具でやっていることを家にしてみようっていう風にはならないけど、家を考える時に 「もうちょっと自分の体がこうなった方がいいかしら」 っていうようなこととか、 「カクッと折れちゃうよりこうなってた方が景色が見えるなー」とか、 そういうのって家具で出てくる曲線に 近いかもしれないですね。

 

─── 新しい建築を作りたいというモチベーションは、どこから来るのでしょうか?(瀬川)

─── 同じようなものをずっと作っているような人もいらっしゃるかなと思うのですが。(安部)

西沢 でも、同じようなもの作っているひとでも、それなりに毎回なにか新しいことを思いついてはいると思うんだよね。本当の意味で歴史的に新しいかどうかなんていちいちチェックはしてないけど、なにか今までと違うこと思いついて、よし取り組んでみようというのは毎回、大なり小なりあると思う。それは修復をやってる人だって絶対あると思うよ。

妹島 確かに、思いつくっていうのはあるでしょうね。小さなことで、ビスがこっちの方がいいんじゃないかとか、「こういうことが起こるんじゃないかな」とかって考える。

西沢 人間はとにかく思いついちゃうんだよね。人間って、大小のいろいろな物語を作りつつ生きるじゃない?機械は思いついたりしない、機械は物語を作らないのよね。機械は、まったく同じものの再現をやれるけど、人間はそうじゃない。物語とともに生きるからね。

妹島 まあでも志としては「新しいものを作る」っていう。このインタビューもそうですよね。本当にゼロからじゃなくても、でも新しくもある。既存のものからどうするかっていう風に考えるわけじゃない。いろんな新しさがあるのではないでしょうか?

西沢 でも、必ずしも新しいことだけが重要かというとそれは違う。オーネット・コールマンの「フリージャズ」っていうアルバムがあって、その前にフリージャズの幕開けになるようなアルバムを出すんだけど、それは「ジャズ来るべき」っていうタイトルで、‘‘ The Shape of Jazz to Come’’ という名だった。まったく新しいジャズの誕生だったけど、でも‘‘new’’って言葉は入ってない。‘‘to Come’’、来るべきもの。今はないものだけど、やがてやってくる、っていうような。つまり未来だよね。僕はそれを見た時に、幻惑っていうか、気が遠くなるような気がしたな。新しいって言葉を使わないけど、まさに未来がそこにあるのだ、という・・・。それって、ほしいとかほしくないとか、僕らが選べることではなくて、やってきてしまうものなのよね。

 

─── 若い世代の作るものに対して、これは新しいと感じることはあるのでしょうか。(瀬川)

妹島 私と西沢くんも十歳違うから、相当感覚は違う。その他大勢の人と比べたら近いのかもしれない。でも事務所でもっと若い人で、私なんかが見てると適当な感じだなぁと思ったりすることありますよ。新しいかどうかわからないけど、なにかおもしろそうだなーと(笑)。よく言うんだけど、でもどんどん適当なところを直そうとするとなんとなく違ったものになってしまって、また適当に戻そうとか・・・。

西沢 妹島さんは自分を古いってよく言ってるんだけど、どうなんでしょうね。新しい古いっていうのもあるけど、でも片方で、モダニズムっていうのは、新しい古いとちょっと違う、モダニズムは、人間のある種の精神の有り様で、縄文時代にだってあったものだと思う。例えば縄文人が屋根をかけようと思ったら、別に構造計算式はないけど、架構がなんとか成り立つように、工夫して考えるじゃない。そこには理っていうものがあってさ。理を求める精神っていうのかな。そういう合理精神って、新しいか古いかって言うと死ぬほど古いんだけど、いつもの時代でもあるような、ある種の人間の精神の有り様だよね。モダニズムっていうと19世紀から二十世紀初頭のスタイルのことみたいな風に言われるけど、そういうものではなくて、いつの時代でもあるようなある種の人間の態度。これは、古いも新しいもないと思う。

 

─── モダニズムという精神性は、ある時期として共通認識されています。でも私たちが今、色々やみくもに建築を考えていることの、精神性みたいなものは語れるのでしょうか。今、何をしているんだろうって・・・。(藤井)

西沢 言っている意味はわかる。

妹島 でもなんとなく課題とか見ていても、やっぱり少し前と全然違ってきてる。横浜国立大学とかYGSAが特殊なのかもしれないけど、「建築の設計しましょう」っていうのが、出てこないじゃない。

西沢 でも今年は出てきてる。

妹島 確かに設計もしてるけど、単体の建築をどう創るかっていうよりももうちょっと・・・物語っていう言葉を使ったけど、そういう中にどうやって入っていけるか、コネクションがあるかみたいな、そういうことを考えてるんじゃないのかな。

西沢 今藤井さんが言った「今自分が考えてることって何なのだろう」っていうのは、一つは自分の個人の考えだからそうなんだけど、モダニズムの人間の精神の有り様っていうのは、個人のものじゃないのよね。ポストモダニズムですら、まだなにか共有できていた。今は、みんなが共有する価値観がこれだって言いづらい。

妹島 言いづらいけど、みんなの発表を見てるとやっぱりどこか共通性がある。それが言葉ではっきり言えてないのかもしれないけれど、そういうことに向けてやってるなという空気を感じましたけど。

 

─── 同世代に生きているっていう、どこかその統一感が感じられるという事。(藤井)

妹島 みんながそれぞれ自分なりに考えてるから、ただ勉強して建築はこうだっていうよりは、もう少し自分の時代の問題を考えながら課題を組み立てて設計をしている風に見える。

西沢 確かに。そういう意味では、建築で単体で勝負というより、環境と歴史と文化、その一部としての建築って感じかな。僕らの時代からするとすごい進歩だな。僕らの時代の卒業設計なんて、結婚式場とか、国際会議場をドーン!とか、とんでもないもんばっかだったもん(笑)

妹島 確かに、交通量が多いとか大きいからとか、周りを調べるけど今のリサーチとはちょっと違う。

西沢 今卒業設計で結婚式場作るやつなんていないと思うけど、今はもうちょっと、みんな歴史や文化、地域というものの中で、建築ってこんな風な形であり得るんだっていう風なことを考えてる。

妹島 少し前までそんなことなかったような気がするんだよね。どんどん複雑なプログラムとか、構成をこう解きましたっていう、そういうものに行っちゃってたような気がします。

西沢 それは本当そうね。

妹島 そうじゃないものを示す時に、どうやって示すかっていうのは難しいと思います。そこで時間なんか出てきて、建築単体でどうかということで無くなってきて、だんだんこうなるだろうみたいなことをどうやって今までの方法で示すか。そういう意味では、小野くんの作品は建築的でもありずっと先にどうなっていくんだろうっていう時間を含み込んだ単体であったから、それを感じ取ってみんな高く評価したんじゃないのかと思います。形自体はクラシカルだけど、よく出せたなと。地形の上にあったっていうのもよかったと思います。全体を通して、もう一回建築っていうものはどういうものであるかっていうのを考えながら作っているんじゃないかなって思いますね。図面の書き方はこうですよというところから始まって、結婚式場はこうだって、シアターはこうだって、機能を考えてこう作りなさいって言われて、こんな立派なものを作りましたっていうものじゃないものを必死にみんな考えてると思いました。

 

─── もう一回建築について考えるときに、その歴史の中から課題を見出すというような過程があるから、作っていくもの自体にも時間軸が生まれるのかなと。卒業設計は特にある大きなテーマから、一つの流れの中で作っていた感じがあります。(藤井)

西沢 それは、そうだよね。

妹島 あとは自分の実感から考えてるような。昔は実感っていうと、ここが気持ちいいとか暖かいとか(笑) 今は違う。もうちょっと自分が生きている状況をちゃんと考えているなと。

西沢 昭和の時代は高度経済成長期で、放っておいても未来は約束されていたから、誰も日本の未来なんて考えなかった。でも今、日本の未来って言ったら、少子化、高齢化で、人口が減って、滅亡するしかないのかみたいな、どうするどうするって、ある種の危機があるから、それを考えるようになったっていうのはあるよね。

 

─── それこそ中国に吸収されるじゃないけど、中国にお仕事多いわけじゃないですか。日本ですることがこれからあるのかな。(安部)

西沢 それはあるでしょう。

妹島 でもどうなっていくかむずかしいけど面白い時期ですよね。

 

 

 

 

──インタビューの続きは、こちらにてご覧いただけます。→PDF記事:インタビュー誌面_SANAA

 

 

 


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