《卒制2020》6/15 -大野敏×菅野裕子-


 

 

《卒制2020》6/15 -大野敏×菅野裕子-

 

 

 

《卒制2020》インタビュー掲載企画、第三回は、大野敏さん、菅野裕子さんです。

 

大野さんは学部生の期間に、日本建築史、近代建築史の授業や、長期休みに行われる建築史演習でも、学生に歴史的建築物の生身の価値観を教えられてきました。今回は卒業設計全体に関することや、建築家として歴史的建築への向き合い方について伺いました。

菅野さんは学部2年生初期の課題の烏口や、建築史演習を中心に、建築の美しさや基礎を教えていただいています。卒業設計に関する向き合い方や、外国語が堪能な先生が考える言語の習得について伺いました。

 

 

 

 

・・・大野敏さん・・・

 

───まず全体への総評をお願いします。

今回の卒業設計の感想として、

一、歴史的な建築物・造営物に対する新たな価値づけの提案、今まで不利な立地と思われていた場所に新たな価値づけを見出そうとする提案、建築デザインとしては評価されない郊外型大型店舗を群としての都市インフラとして価値を見出す提案、等「発想を転換して地域の付加価値を高めるために建築が何をできるのか?」というテーマに応えようとする姿勢が多くの作品にみられた。この点は今回の卒業設計の大きな特徴で、とてもよかったと思う。

二、また、基本的に各作品とも、敷地選定、課題設定、課題への解決法、図面、模型、プレゼンテーションにおいて、大きな不備がなかった。すなわち完成度は高かった。 の二点が印象に残った。 すなわち、みなよく頑張ったということで喜ばしい。

 

───講評会で「完成度が低いような高いような」と仰っていました。詳しく伺いたいです。

一応求められる条件は皆平均的に満たしていたという点で、完成度は高い、ということ。 一方、図面については相変わらず模型を基本に図面化 したような、コラージュのようなものが多く、「図面」といえるものが少ない。しかもまともな断面図はあい変わらず皆無で、かろうじて断面を見て建築構造が推察できるものが一点だけだった点は寂しい。

また、今回は梗概についても、例年のような未完成的なものはなかった点は評価できるが、調査が課題解決にどのように活かされているのか?調査と設計結果がどのように深く対応しているのか?を明確に示すものは少なかった。 そうした点において「完成度は高いとは言えない」という思いも根強い。 

 

───設計のリサーチとして歴史を調べて、それを設計の中に取り込もうとする案が卒業設計に限らず設計課題でも多く見られるように思います。そこで、大野先生の立場から地域の歴史や様式の歴史を汲み取って計画していくことは現代においてどのような意義を持っていると思われますか。

卒業設計ということに限らず、「建築家として歴史的建築に対してどう向き合っていくか」ということ(モラル)について伝えたいことがある。ここでは基本的に伝統的木造建築(民家)を想定しているが、歴史的建築全般に適用できると思う。

一、所有者の体験や想いを理解する。

二、建築が持つ固有の魅力(建築文化)を的確に把握。これは調査(実測・仕様、類例)をしっかりおこなうことが重要。

三、建築の履歴(すまいの歴史)と破損を把握する。これは史的調査・痕跡調査を通した復原考察によってはじめて可能となる。

四、上記一、二を所有者にわかりやすく伝える。建築の専門家として専門用語だけ並べ立てるのではなく、建築の素養がなくてもわかるように説明することが重要。

五、上記をふまえ、建物の将来について所有者とともに十分検討する。この際に留意すべきは伝統へ敬意(先人が遺した仕事をきちんと理解する謙虚さが必要で、そのうえで必要な批判を加えてよりよい建築に昇華させていく)。その結果として文化財的に改修する場合もあれば、古民家再生として新しい建築に生まれ変わる場合もある。肝心なのはそのプロセスにおいて、どこまで真剣に当該建築およびその周辺の様々な事物(人・歴史・環境など)と関われるかである。そして、簡単でもよいから調査設計のプロセスを記録しておくことである。 

 

───最後にこれから大野先生が卒業設計に期待することは何ですか。

二つ目の質問で答えたことに真摯に応える作品をぜひ見てみたいです。

 

 

 

 

・・・菅野裕子さん・・・

 

───まず全体への総評をお願いします。

全体として、とてもよかったです。テーマを見ても完成した建築作品を見ても、一人一人がユニークで、このことだけでも近年の中で際立っていました。おそらく、みなさんが自ら発見したテーマに取り組み、途中で投げ出すことなく最後まで進めてきたからではないかと思います。

さらに、できあがった作品も、多くの人が建築的な提案にまで到達していました。 卒業設計というものは、その先の人生で建築家になるとしても、別の形で建築や社会と関わるとしても、その人の原点となるものだ、とよく言われます。今年の作品からは、そのことを強く予感させられました。

 

───審査会で「建築家はジャッジするものか、建築はジャッジするものか」と仰っていました。具体的にお伺いしたいです。

設計課題や卒業設計の作品を見ていると、社会の問題に対して関わろうしているものをよく見かけます。それ自体はよいことですが、同時に、その問題への対峙の仕方にも意識的でなければならないと思っています。つまり、建築家は社会の裁判官ではないので、社会的問題を正すことを目指すのではなく、そこに関わりつつ建築的な解決を目指すべきで、それは建築的な創造を通してのみ成しうると考えています。

 

───二年生の烏口はどのような意図で課題として出題されるのでしょうか。

この課題の意図を、私なりに一言で言うと「美しい図面をかくということを体験する」ということです。烏口は原始的な道具で、線の太さは自分の手でねじを調節して決めなければならないし、かけなくなったら砥石で研がなければなりません。0.1や0.2といった既製品のペンを使ったり、CADで線の太さを決めるのとは全く違います。墨も自分で擦って濃さを調整しなければなりません。こういうプロセスを経ることで、図面を描くという行為が非常に身体的なものになります。

その上で、白い紙に一本の美しい線を引いたときの感覚が、たとえば初めて自転車に乗れたときの体験のように、身体的に記憶できたらよいと思います。 また、歴史を遡ると、建築の美しい図面自体が作品だった時代がありました。この課題で、作品としての図面という存在にも触れて欲しいと考えています。

今では建築家として活躍されている卒業生の一人が、あるとき話してくれたことですが、コンペのとき、この課題での「図面を作品として作る」という経験を思い出されたそうです。また、私は卒業後、図面における線の問題について文章を書いていたときに、烏口で線を引いた感覚を思い出していました。こんな風に、この課題は非常にシンプルであるために、一人一人がその経験の意味をあとから思い出しつつ考えることができるような、抽象性も備えていると思います。

 

───日本語、英語以外に多くの言語のことを知っていらっしゃると思いますが、言語を習得したり勉強したりしていくことでの発見などはありますか。

まず、日本語の能力が向上したということです(あくまでも当人比ですが)。おそらく、普通の人は20歳くらいから先は、相当意識的に努力しない限り母国語の能力を向上させられないものですが、外国語を真剣に学ぶことは母国語の能力を上げるための非常に効率的な方法です。

もう一つは、母国語である日本語を、客観的にとらえることができるようになったことです。日本語から離れ、完全に別の言語で生活し、思考し、夢を見て、ひとりごとや心のつぶやきも別の言語で行うようになったとき、私は、自分にとっての日本語が、まるで月面を歩くための宇宙服のように重たい存在だったように感じました。つまり、それなしでは生きられない非常にありがたいものであると同時に、自由な動きを制限する重しでもあり、それまで自由だと思っていた自分の思考も、この日本語の特性によって少なからずコントロールされ誘導されていたことに、初めて気づけたのです。

母国語から離れたとき、その言語がどういう存在として見えるか。あるいは、日本語から出たときの自分は、日本語によって思考している自分と、何が違っていて何が同じなのか。こういったことは、別の言語をある程度しっかりと学ばないと、決して知ることはできません。

 

 

インタビュー記事全面は、こちらにてご覧いただけます。→PDF記事:大野敏×菅野裕子_インタビュー記事

 

 

 


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