《卒制2020》7/15 -富永譲-


 

 

《卒制2020》7/15 -富永譲-

 

 

 

《卒制2020》インタビュー掲載企画、第四回は、富永譲さんです。

 

 

富永さんは、現在横浜国立大学建築学科の学部3年生設計課題において講師を勤められ、あらゆるクリティークの機会において大変お世話になりました。卒業設計の総評だけでなく、富永さん独自の見解から近現代の建築における非常に興味深いお話をしていただきました。

 

 

 

(中略)

富永 妹島和世さんも彼女が一番こだわるところと、西沢立衛さんのこだわるところとは全然違うよね。妹島さんは非常に数学的で厳密ですよね。西沢さんはやっぱり生命的な曲線を使ったり、ニーマイヤーとかああいう感じですよね。妹島さんだと曲線を使ってもそういう感じにはならない。非常に数学っぽくて厳密ですよね。科学者のような感じ。西沢さんはもうちょっと生命感を大事にする人だし。それぞれのこだわりがあってそれぞれの本性があるので。それを間違って掴んでいっていると、うまくいかないわけ。自分の本性をどうやって知っていくかっていうプロセスが大学なんだよね。そこに集中しなきゃいけないんだよ。

だから失敗したって全然構わないわけです。何かうまいものを作ろうっていう気持ちがいけないんだよね。本当は大学は、一生懸命自分が好きなこととか、これなら負けないってこととかを追求していく場所であって、画家だってそうだろう。カラリストかデッサンの人かっていうのは、絵画やってるからって全員同じ人じゃないんだよ。絵が上手いって言ったってそれぞれの人はみんな違うわけだよ。そこをちゃんと人に騙されずに自分で自覚していけるかっていうとこが、大学教育だと僕は思うんだよね。それができればいいんだよ。自分の好きなことをやらなきゃ上手くいかないんだよ。自分が追求して面白い面白いと思って、これだったら苦しいけど面白いっていう道でしか人間は成長していかないんだよな。社会的に重要だからこれやっとかなきゃいけないのかなって自分をずっと曲げてやっていくと、変なとこ行っちゃうわけだよ。自分の本性みたいなことが見えなくなっちゃうわけだよ。

大学院に行くのも考えものなんだよ。卒業して2年ぐらいというのはとても重要な時なんだよね。だから大学院に行ってぶらぶらしちゃうとものにならない可能性はあるんだよ。僕たちの学生の頃は大学院に行く人は学者になる人だったね。構造の人とか。だから東大ではデザインやる人はみんなすぐ学部で社会に出て行ったよね。伊東豊雄さんも学部で出て行ったし、デザインやってる人っていうのは全員、クリエーティブな人はあまり大学院には行かなかった。僕たちの頃も留学して行って戻ってきて…ってやっているうちに30ぐらいになっちゃうと、学部を卒業した人は4~5年ぐらいしたらもうすごく実務とかできるじゃない。ドローイングが詳細図とか、一応出来るようになる。そうすると戻ってきて30ぐらいで事務所で一からやろうとすると人に聞くことが恥ずかしくなっちゃって、そういうことやらなくなっちゃうんだよね。同年代の人ができるのに自分ができないとかがコンプレックスになっちゃうと、結局建築家にはならない。今はみんな大学院に行くのが予定のコースみたいに思っているけれど、それはちょっと危惧しています。

大学院に行くなら、大学院では先生の生き様みたいなものを学んできちんとした学問をやった方がいいんだよね。本を読んだりとか、ちゃんとした勉強だよな。ちゃんと勉強しないと駄目ですよ。ちょうど25くらいまでは大事な時期なんだよね。それ以降本を読んだりするチャンスというのはほとんどないですからね。就職するとすぐ仕事してもらわないと困るでしょ。本当はすごく重要な時期なんだけれど、もっと打ち込んでやった方がいいような感じがする。先生とも深く付き合った方がいいと思うんだよね。

 

 

 

──富永さんが若い時は日本が上り調子で、建築をつくる機運が今より強くて、ただ今は下り調子。当時を知る富永さんは今の建築をどう考えていますか。

富永 今の現状を見るとやっぱり建築の時代ではないよね。僕たちの世代っていうのはみんなちょうど1960年代、こないだのオリンピックがあった時に僕が18歳か19歳くらいで、代々木体育館ができてみんな建築ってすごい力を持っているんだなって思って。感銘を受けたというか、背筋が寒くなったっていう感動がありました。丹下先生の建築ってそういうとこがあるんだよな。東京カテドラルとかも入ると背筋が伸びるような感じがしたよね。それは建築でしか表せない街に対しての力だと思う。そういうところでみんな建築家になって、そういう力を持った建築、場に働きかける力はすごいと思った。今でもすごいですけどね。あれ(代々木体育館)がない時、荒野だったからね。ボーンって建ったら、全体の空気が1キロ四方ぐらい全然変わっちゃったでしょ。だから建築って凄いなっていう感じがしたんだね。

ただ今回のはある種の政治的なマターとして建築が作られてる。建築の専門家っていうものがちゃんとした専門的な役割を果たしていないわけです。政治家に変な顔されたくない。だから建築家の社会に対する職能が働いていないわけですね。ちゃんと知らしめてないわけですよね。昔は岸田日出刀っていう建築家が、全部の采配を振るったわけですよ。これは丹下、これは芦原、これは菊竹とかいうふうにして。それは自分が得するとか損するとかそういう話じゃなくて、世の中に良いものというか、この機会に建築として場所に対して働きかけるものというか。駒沢オリンピック競技場だっていいでしょう?芦原さんが作った一番いい建物なのかもしれないけれど、そういう人に力を振るわせてやるというふうなことが今は全くなされないで、政治的なマターになったわけだよね、建築が。そういう感じだから、建築が黄昏になっていると言うか、スマホの画面に没入して建築家の力っていうのは信用していない。アーキテクチャリティを信用していない。だからもうちょっとやっぱり高邁な精神でやってほしいね。若い人の中でもそれが失われてきていますよね。建築家にとっては結構厳しい時代が来ているなっている気がしますね。だけどやっぱり建築が果たしていること、建築でしかできないことっていうものを社会は要求して、それに対してfeeをもらっているわけだからな。そのことにやっぱり敏感になって、そのことを先生も教えないといけないと思うんだよな。

やっぱり自分のできる範囲の中でそういうことを主張していくことじゃないかな、個人個人が。細かいことですけどね。建築の仕事って本当はね、普通のことやってても意味のあることはできるんだよ。ラーメン構造で作っていってもいいものは作れるんだよ。スピリチュアルなものは作れるんだよ。建築家って何か変なことやらなきゃいけないみたいな風になってくると社会的にも信用が失われてくるわけだよね。建築はやっぱりやってみて失敗して、またなんかやってっていう、どんどん自分の領域を広げていく仕事なんだよね。やっぱり自分の経験を豊富にして、価値あるものを作っていくっていう。そして自分が出来る事って、やっぱり自分が一番好きなことなんだよな。それをそれぞれの人が自分で掴むことだよね。自分の一番得意なこととか、これは好きだとか、こういう空間が実現したいとか。やっぱりそれぞれが着実にやって行くことが僕は大事だと思うな。

東京藝術大学の吉村順三さんとか、ああいう人がやったようなことだよね。一軒一軒頼まれても、格別素晴らしいものじゃないけど「なんかいいね、味があるよね」っていう。行ってみるとやはりいいよなーっていう感じのものを、ずっと作り続けられる人っていうのが、すごく少なくなっちゃったんだよな、学生で。そういうことを志望するように先生もあまり指導しない。だけどちょっといいもの作るってことは、すごく大変なことなんだよ。現実にやってみればわかりますよ。そういうことが教育の中で欠けちゃうとまずいなーっていう気がしますよね。だからあなた(小野)なんか評価したわけ。なんかそういう資質を持ってるなと思ったわけだよね。着実に自分の領域を広げていけるような資質を持っているなと思ったわけ。建築的な資質っていうのかな。ドローイングもいいよな。畝森さんも言ってたよ。あの人はすごい建築のドローイングができるって。図面が良いって。図面って凄い重要なんだよ。図面見ればわかるんだよ、その人の能力みたいなものが。僕なんか色々な学生を見てたけれども、図面見るとわかるんだよ。模型は全然わからない。なんか図面に込めたものってのが分かるんだよね。楽譜みたいなものなんです。スピリチュアルなもんなんだよな、図面って。模型重視っていうのはよくないですよ。それが今回は去年よりもちょっと抑えられてきたから、図面をちゃんと描けていたところが、よかったのかもしれないよな。

 

──それはでもまさに富永さんの影響というか。

富永 そんなことはないですよ(笑)。

 

 

──妹島さんのような新しい感覚を持った人は、上の世代から理解されなかったりもすると思うんですが、そういう感覚を持った人に期待はあったりしますか。

富永 僕は妹島さんは、尊敬してるし認めてますよ。僕は女子大の時からずっと指導したし、彼女の性格もよく知ってた。さっきも言ったようにすごくやっぱり数学的な頭の精密な人だよね。建築家の性格を持っているなと学生の時からそう思ってました。他でも話したことがあるけど、作品研究を3~4ヶ月かやりなさいっていう課題を出した時に、彼女はジョン・ヘイダックの建物を研究して、発表したわけ。それは彼女が自分のキャラクターの本質を最初から掴んでいたということです。そのことがすごく大事だって言ったじゃない、学生で自分の本性が何かっていうことをしっかりつかんで、それをずっと離さない人ってすごい珍しいんだよ。あれが面白い、これも面白いってなって、ウケている方向に自分を導いていってしまう人が多いんだけど、妹島さんは最初から「自分」っていうものをしっかり掴んでいた。自分の好きなもの嫌いなもの、受け付けられない物っていうのをある種の生理的な嫌悪感とか、そういうところがあったよね。それを伊東豊雄さんに聞いた時、妹島さんが伊東事務所にいた時もそうだったって言ってた。僕と伊東さんの対談でこれは「富永讓・建築の構成から風景の生成へ(鹿島出版会)」という本を引用しますが。

富永「一つ聞いてもいいでしょうか。妹島さんは伊東事務所でどんな所員だったんですか。僕も妹島さんとは若い頃から関わり合いがあったので、気になっているんですが。」

伊東「あの人がライバルになるとは思っていませんでしたよ。今じゃあライバル以上、彼女の方が人気あるからやばいですよ。中野本町を妹島さんがまだ大学生の頃見に来たんです。それがとても気に入ったようで、すぐうちの事務所で働きたいって言ってきて、学生のうちからアルバイトすることになったんです。彼女は図面が下手ですからね。」

富永「色々なことをやる上で器用ではありませんでしたね。しかし思い込んで突っ走る追及力がとても強かった。」

伊東「あの人の1番良いところは意見がはっきりしていたことです。」

富永 ということは、自分を掴んでいたということですよ。

伊東「うちの事務所は当時十数人もスタッフがいて、月曜日の朝に全員でプロジェクトの進捗具合を報告していました。その時に彼女は、そのプロジェクトに対しても『これは好きです』『これはいいと思います』『これは駄目だと思います』とはっきり言う。それ以上の言葉はあまりないけれど、それだけは常にはっきりしていました。事務所を辞めてからしばらくは夜にうちの事務所を訪ねてきて、自分のプロジェクトに対してベテランのスタッフに意見を求めていたそうです。さすがに僕には聞いてこなかったですけどね。」

富永「そうそう。案が出来上がると学生時代の友人にも電話をかけて会いに行き、意見をもらっていたようです。こうした行動力もやはりすごいですね」

伊東「そうやって自分の考えを整理していくのはなかなかできない。だから今の学生に言いたいのは、『設計するときに一人でずっと考えるのは駄目だ』ということです。友達でも誰でもいいから意見を聞いて、人と話しながらものを作っていくことはとても大事だと思います。優秀な人の中によく、一人で自分の世界に入って設計する人がいますが、そういうタイプの人はいい建築家になってないような気がします。特に今のような時代は。」

富永 って言ってるんだよね。それは一貫してるんだろうな。だからとっても強い人だね。僕はすごいなと思うのは、男だったら裁判沙汰になったり漏水したりいろんなことをしたら、それを反省して変わっていっちゃうと思う、スタイルが。だけどそういうことにめげないような、図太いところもあるんだと思う。ジャンヌダルクみたいなところがあるんじゃないの。男は、社会的にやっぱり追い詰められるとそうはならないよ。彼女はそういうところは強い。

それと一方で感じるのは、社会的ないわゆる礼儀みたいなことは、すごくちゃんとしてる人です。彼女は高橋公子先生の研究室にいて、高橋公子先生から妹島さんを指導してくれって言われたんです。卒業論文と修士論文。それでコルビジェのカーブについての指導したんだけど。高橋公子先生が早々と癌で亡くなって。その時自宅にすぐかけつけたら、妹島さんも来ていて、ずっと横に居ましたよね。僕に対しても、僕からしたら妹島先生なんだけど(笑)、富永先生、富永先生ってずっとそういうふうに言うからね、そういう図太さとか、すごい度胸のある人なんだけど、生活的な社会的な事がちゃんとしてる人だなと思って。それは付き合った人はみんなそういうところを感じるんじゃない。そこが社会的に成熟した人なんだよ。信念もあるし自分をしっかり掴んでるんだと思うな。自分が何が好きで何だったら一生取り組めるか、自分が打ち込めてこれならやっていける、というようなものを持ってるわけだよ。得意なことを絶対やらなきゃダメだよ。自分がこれをやったら大失敗しても後悔しない、みたいなことを見つける場所ですから大学は。

だから賞をもらったから良いとか、そんな話とは全然違うことなんだ。卒業設計をやるときに、せんだいメディアテークのコンテストでこれが受けたからこういうことをやればいいんじゃないか、みたいな感じでやっちゃったら、もう終わりなんだよな最初から。志がダメなんだよそういう人は。自分っていうのを捨てて、社会的にはこんなことやっておけばいいんじゃないかな、という感じになっちゃったら、もう卒業設計なんてやる意味ないんだよ。そのことを去年の卒業設計の作品集で言ったわけだよ。自分の本性というもの探求するところじゃなきゃ。

だから本をもっと読まなきゃダメなんだよ、本当は。みんな本を読まないじゃない。情報をネットで漁ってるけどさ。自分が面白いことをやらないで、なんで学校なんか来るのかなって思うんだよね。それを探求する道として、学校へ来るっていうこともあるし、放浪旅行してヨーロッパ歩いてっていうことだっていいわけだよ。いい建築見て「俺はどうしてアルヴァロシザが好きなんだろう」とか。いろんなものを見たけどこれが良かった、とか、そういうことを掴んでいれば、それはすごい大きいことなんだよ。そういうことが教育だからね。社会に出たら自分の力で打って出てやるわけですから、いろんな障害があるし。そこの精神というか、目指すところが卒業設計では大事だと思うんだよね。自分というものを探求するとっかかりみたいにするっていう。みんなが学びの段階にあるっていうことがわからないとさ。それは何だってそうでしょ。最初はよちよち歩きみたいな感じで出てきて、それで建築やってるわけだからさ。学ぶプロセスにあるっていうことを、大学院ぐらいまではよく知っていないと。

だから大学院の時代ってものすごく大事ですよ。年齢的には25~30くらいまでがすごく大事ですよ。そのぐらいまでに本読んだり、いろんな自分の適性を探求したりっていうことがすごく大事ですよ。そのことを社会への準備期間だからって言って、だらだら生きていたり、バイトしたりして、不意にしちゃったらもったいないですよ。そういう意味じゃ僕たちの世代は伊東豊雄さんとか、大学を出たらすぐ実社会に出たわけだよ。実社会に出たら訳分からないことをやらされて、えらい苦労するわけですよ、何も知らない人が。その苦労っていうのが自分を知るためには結構大事なんだよね、最初の段階では。

妹島さんのことを話してたんだっけ(笑)。妹島さんについては一貫して自分の道を突き進んで、いろんな障害がありながら、今の時代ちゃんとやっている人は少ないですよ、日本の建築家ではね。だから今見渡すと自分の思ったことや感性をずっと貫き通して、社会的にもある種の名声を得て、そういう環境にあるじゃない、世界的にも認められているし。すごいえらいと言うか我慢強いところがあるんでしょうね。一作一作創ったものはやっぱり質が高いんだよね。僕この前大阪芸大の建築を見てきたけど、いいですよ。やっぱりだんだん良くなってるよ。今まで時には現実の要求を無視して綺麗なものを作っていたけれど、現実条件を入れながら、非常に難しいプログラムを成り立たせて、あれだけのものを作れるっていうのは、成長して自分の領域を広げてきているのだと思います。

──ありがとうございました。

 

 

インタビュー記事全面は、こちらにてご覧いただけます。→PDF記事:インタビュー誌面_富永譲

 

 

 


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