《卒制2020》11/15-中川エリカ+寺田真理子-


《卒制2020》11/15 -中川エリカ+寺田真理子-

《卒制2020》インタビュー掲載企画、第8回は、中川エリカさんと寺田真理子さんです。中川さんは三年後期のデザインスタジオで指導して頂きました。寺田さんには、YGSAにて学部生にも開かれたレクチャーを企画していただき(横浜建築都市学)、様々な学びを提供してくださいました。今回はそんなお二人にインタビューをしました。普段聞けないお二人の考えが語られ、刺激的なインタビューとなりました。

—中略—

 

境界を横断する実験的な問題設定

 

寺田 ここで私から中川さんに質問ですが、「今の人らしい問題設定が面白い」とおっしゃっていましたが、例えばどういう問題設定に興味を持ちましたか。

中川 あたりまえの形式から逃れようとしているということでしょうか。あと、例えば街と建築とか、内側と外側とか、ビルディングタイプだとか、どの境界を乗り越えるのが面白いかっていうことを、それぞれが発見しようとしている気がしました。先例にとらわれず、「何に向かうかわからないけど、実験的にこの境界を乗り越えてみるか」という人も多くて、実験精神が高いというところもあったのかな。

寺田 長年卒業設計を見ていると、リノベーション的な小スケールの街更新のプロジェクトが多いときもあったけど、今年はわりと「建築に挑戦するぞ」という感じでした。もちろん既存の建築や街の街区を使って、そこにどうはめ込んでいくとこれからの時代に対しての新しい街のあり方を目指せるか、というのを提案していると思うんですが、建築をつくって建築を通してどう街を変えるかっていうことにちゃんとチャレンジしていたんじゃないかと思います。

中川 そうですね。構造を要求するものが多かったと思います。概念というのは力学的な構造は必要としないことが多いと思うのです。ダイアグラムモデルは、例えば、分散させると良いという考え方は示すけど、実際に模型に現れたその空間が本当によいというわけじゃなかったりする。でも今回のみなさんは「こういう空間だ」ってこと自体を示そうとしているっていう意味で特徴があったのかな。

 

身体感覚の共有→思想へ

 

中川 最近私自身は、抽象的な思想から具体的な建築をつくるというのではないもうちょっとアジア的で、身体的な建築を作ろうと思っているんです。具体的なものをそのまま具体的に扱ってみたとして、つくる人自身の抽象ではなく、もう少し多義的な抽象、たとえば、人と共有して初めて抽象化できるということもあると思うんですよ。つまり具体と抽象の順番が逆になる。具体的なものがどういう具体的な効果を生むかって、つくり方の時点で共有を生むのってなかなか難しいと思う。でもつくったものがどういう具体的な効果を生むかということを共有できると、人と共有することを通じて、そこで初めて抽象化できる。「この構成は面白い。つくり方もよくわかった。じゃあこれがどういう効果か」っていうとこまで言ってもらいたい。ただ、それがどういう効果なのかを予言的に考えなきゃいけないっていう意味で、難しさがあると思うんですよね。また私自身もそういうところを目指してます。

寺田 作り方のアプローチが変わってきているということ?。

中川 はい。徹底的に身体から考えるということが、歴史的にどう価値があるかっていうことにチャレンジしたいというのが、私の最近のモットーです。身体的に考えるっていうのはひとりひとり個性も違うし、最初から共有はできない。でもそれをやった結果、こういう効果が具体的にあるよってことに共感できれば、ちょっと抽象化されて次につながると思います。思想からはじめると「これが正しいと思う、だからそれを建築で証明していく」みたいなところがあると思うんですよ。ある意味再現というか。でも身体的に考えるというと実験みたいなもので、うまく行くかわからない。実験の結果こういう効果がわかって、そこで初めて「実験がうまくいったかな」ということだから、やっぱり手順が全然違うと思うんです。

寺田 でももし身体感覚でも、個性が違っても人間の感性の深層にはどこかで何か根源的な共通感覚みたいなのがあって、そこを共有できるんじゃないかな。その上で中川さんが言う効果だったり、何か目指すものを具体的にしていくことによって、人々にとって心地良いものであり、結果として共感を呼ぶ新しい建築のタイプを生み出すようなことを目指してくれるといいなと思います。

中川 はい。身体的に設計すると、最初はその人とかそのチームでしか共有されてない身体化なんだけど、だんだん共感を呼ぶとそのチームを超えた、もう少し広く共有できる身体化になると思うんです。だからそもそも感性とか個性とかって個人的なものだと思われてるけど、実はそうじゃないと思う。実はそうじゃないっていうところに行き着くためには、やっぱり効果を言うべきなのかな、と。

寺田 それを言うことで「こういう使い方でこういう効果を生むのか」ってことが想像できますね。

中川 柳田國男の『明治大正史―世相篇―』(講談社より新装版が一九九三年刊)という本があってすごく面白い本なんだけど、大変大雑把に私なりにまとめると、柳田いわく、かつて日本人はずっとゴワゴワも麻の服を着ていた。しかしあるとき木綿の洋服ができたら「木綿柔らかい!」とみんなが思った。そして洗濯して干しても麻と違って木綿は柔らかくて気持ちいいっていう感覚も日本人がみんな共有した。こうして繰り返すことで習慣化し、広く身体化されていったことで、日本人はみんな洗濯が大好きだという文化が根付いた。住宅って南向き信仰がいまだにあるじゃないですか。それを「木綿の衝撃」って言うらしいです。たかだか木綿だけど、それが習慣化して人々の考え方にまで至っていく。

つまり考え方が先にあったんじゃなくて、身体性から考え方をみんなが享受することができて、それが年々、代々伝わっていって、今の日本人の生活様式ひいては住居形式にまで影響を及ぼしているということなんです。それを読んだときに、思想が先にあるだけじゃないんだなっていうふうにハッとしまして、だからこそ身体的っていうことが、思想に繋がるような建築を目指したいと、自分自身の問題意識にもなっています。

最近の学生の卒業設計を見ていてもそれをちょっと感じるところがあります。卒業設計の模型も単に大きいだけじゃなくて、大きいことが徐々に学生世代で身体化されているような感じがするんですよね。すごい粗いけど、大きい模型でスタディしたからこうなってるのかなと感じることはある。だからそういう意味で卒業設計の模型が大きいことがだんだん浸透して、学生世代の思想を何か生み出そうとしているようにも見えるのです。私の時代はそんなに大きくなかったよ。900mm角ぐらいだったから。

一同 (驚)

寺田 1/30とか?

中川 1/100とか1/200ですよ。今でこそ1/30とか大きく作ることを徹底していますけど、学生の時は全然つくったことなかったよ。しかも卒業設計のときに1/100と1/200をつくったんですけど、ほとんど言っている情報が一緒っていう悲しいパターン(笑)。ちょっと範囲が違うだけというありがちなミスをしておりましたね。でもそんな失敗があったからこそ今に至ったというのも事実です。スケールごとに言うべきことは違うってことを卒制の時に「なんで同じ模型2つあんの?」とかさんざんいろんな人に言われて知ったのです。そういう意味で卒業設計はスタート地点ですね。

寺田 でも模型が大きくなればなるほど、かなり緻密にみんなも見ちゃうし、全体像と一つ一つの建築をどこまで設計して考えて、こういうふうになるといいなという思いが、果たしてそこに全体と部分の関係性の考えがどこまで込められているのかとみなさんを見るから、より要求されることが高くなるかもしれない。

中川 ひとつは大きいとチーム力が問われると思うんです。言い換えると多義性があるか。たとえば四年生が最後脳死状態になって、三年の番頭格の人が指示はされてないが勝手につくるということになったとする。でもそうすると集合したチームのパワーで設計したっていうのとはちょっと違っていて、個人の主役が移っただけだから、それは多義性とはちがう。だけど大きい模型だからこそひとりでは作れないからチーム力を要求するし、チーム全体で意図が共有されないと、ひとりひとりの自発性をふまえたいいものにならない。卒制は四年生というリーダーがいてたしかにその人の作品なんだけど、その人の作品をつくるチームをいかにして作るかっていう、チーム作成力も四年生には求められていると思うんです。

実際の建築でも同じです。単にボトムアップしていても限界があるところがあって、でもトップダウンだけでもダメだなとみんな知りつつあるから、トップダウンとボトムアップの間でどうバランスをとるかっていうことを、私の世代や私よりちょい上の世代ぐらいの人からみんな試行錯誤してると思うんですよね。そういう意味でみなさんはさらに問われている。

寺田 伊東豊雄さんは、事務所のプロジェクトの進め方として、ボトムアップとトップダウンをうまく融合させている気がします。

中川 伊東さんは徐々にそうなっていかれたのか、もともとそういう方だったのか、どうなのでしょう。

寺田 伊東さんは、昔からしっかりチームで議論していて、特に最近だとアルバイトの人でも意見を言えて、それをちゃんといいと思ったら採用するとか。自分のもちろん思想があってスケッチがはじめにあるんでしょうけど、でもそれだけではないスタッフの人達の力も信じているっていうところは、伊東さんのキャラクターだからなのか。今は中川さんの世代とかちょっと上ぐらいは、もうそれが当たり前のような形になっているのかもしれないけど。

中川 以前伊東さんから伺ったんですが、スタッフと伊東さんの年齢って、当たり前ですけどすごく離れていくじゃないですか。だから距離が遠くならないように月に1回、事務所の若い人を集めて食事会しながらざっくばらんな批評会をやっているそうです。若い人もみんなとフラットに議論できる場を用意して、「最近面白いと思う建築は何だ?」みたいな話のネタをみんなで持ち寄ってワイワイやるんだって。伊東さんですらそれやるの!?と思いました。もう勝てない(笑)。

寺田 その努力ってすごいですよね。やはり若い人の言ってることが分からないっていうのもあるんだろうけど、若い人は自分を言葉で表現する、コミュニケーションするということがあまりうまくできないから、伊東さんともコミュニケーションができなくなっているっていう問題もある。でも自分の事務所のチームなんだから、チームとしてどう作品を作っていくかっていう時に、そういう議論をする場を設定してやってるっていう努力は素晴らしいと思う。あれだけ巨匠の先生なら「これだ!」って言えばいいところなのにね。

たぶん伊東さんは若い人の身体性っていうこともすごく気にされていて、それがどう建築になっていくのかということも意識しながら設計をされているから、自分の世代じゃない、これから未来を作っていく若い人達がどう考えるのか、社会をどう見ているのか、あるいは空間をどう感じてるのかってことをすごく考えてらっしゃるんじゃないかと思う。

中川 人間に対してすごく興味があるように思います。若い人が何を考えているかを知りたいと思うのは、自分の伊東事務所の建築をつくるためっていうのもあると思うんですけど、ただ単純に知りたいみたいなところもあるんじゃないかな。同じ言葉でも世代によって意味の捉え方や使い方が違うこと感じ取っていらっしゃるように思います。

 

奥野 コミュニケーションということでは、僕らの学年は行き詰まると友達のところに行って、「お前今何やってる?」みたいな会話が結構ある学年で、そこで自分の案を相対化できたというか。それで最終的にみんな違うものを作ってるのかなって思います。

寺田 それは良かったですね。「俺はここまでいってない」と自分を見つめ直すこともできるし、「こういう考え方もあるのか」と自分を客観的に批評することもできる。また今回は先生からの中間講評を経て、みんなでコミュニケーションしたりもしてたのかな。

私の時代はインターネットもないし、建築の議論にはやっぱり建築雑誌を介していました。塚本由晴さんとか西沢立衛さんとか、私が『SD』の編集をやってたときに若い建築家の人達の議論の場がありました。フランス、イギリス、アメリカの建築雑誌をくまなく読んで、いまこの建築が面白いみたいなことで議論をするんですよね。また東工大教授の奥山先生の事務所に東工大の人たちが集まる忘年会に行くと、皆、お酒を片手に、建築・哲学・思想についての本当に熱い議論をしていました。そういう議論って今だったらみんなスマホで情報を集められるけど、私たちの時代は雑誌を手に取ってみんなで議論して、そういうところからみんなで高め合っていくようなことは、とてもいい時代だったなとすごく思うんだよね。『SD』の「海外建築情報」という連載での塚本さん、西沢さん、曽我部さんとかヨコミゾさんとかとの議論も非常に熱かった。それはまだ西沢さんが妹島さんの事務所で働いてるときに、月に1、2回集まってみんなで議論していく、若者同士の建築サークルみたいなもので、たかだが8ページぐらいの記事を毎月書いていくっていう若手建築家による建築批評の場だったのです。

だからみなさんも横浜国大という大学内かもしれないけど、みんなで議論して考えを共有して、この本読んだほうがいいよとか、そうやってお互いが自分を高めていくっていう場を作ったらいいなと思う。また学内に閉じず、学外でも建築の人との議論の場を設けていく。自分に与えられるものだけじゃなくて、自分たちから外部に建築の批評を発信していきながら建築を考えるということはやっていくといいんじゃないかな。

 

──インタビューの後半は、こちらにてご覧いただけます。ぜひご覧ください。→PDF記事:インタビュー誌面_中川エリカ×寺田真理子


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