《卒制2021》インタビュー10_野沢正光


《卒制2021》インタビュー第10回は建築家の野沢正光さんです。

野沢さんには2年生の初めての設計課題からお世話になりました。長く建築設計に携わってこられた立場から私たちの卒業設計についてお話を伺いました。

<中略>

卒業設計はあくまでも一つの通過点に過ぎない

野沢:卒業設計について話をしますかね。国大の場合、どのくらい指導を手取り足取りやっているのかわからないけども、基本的にはあまりやってないと思うんだ。その方がいいと思っていて、卒業設計はあんまり誘導的に指導されずに勝手にやった方がいいと思っている。そうは言いながらもこのコロナがどう影響するんだろうっていう心配はしました。結果は遜色ないと言う結果だったと思う。印象に残ったのは自分が育った環境とか、あるいは自分がよく知っている場所以外の選択をすることが今年は特に難しかったっていうことだったのかな。それによってその人の私的な、個人的なメッセージがきちんと置かれている計画が多かったという印象はありました。あまり稀有壮大な空中戦よりは、自分のよく知っている場所を選択した。それは少し顕著だったかなと思いますね。それはよかったなと思いました。それともう一つ、道というか経路みたいなものをテーマにしたのが多かった。郊外住宅地も多かったんだけど。それも拠点拠点を考えるみたいなことをした。その場合には道は主題ではないんだけど、でもA、B、C地点みたいなものがあって、そこを繋ぐ。計画しているのはその場所それぞれなんだけど、それをつなぐものを考えていたり、あるいは「道」そのものだったりするのが例年より多かった。見ようによっては土木だな、なんとか建築にしました、屋根かけました、けど、つくったのは「道」みたいなのが結構多かった。それもなかなか面白い、示唆に富んでるなと思いました。建築が解けることと建築では解けないことがあって、コミュニティとかコモンとか考えるとつないでる領域みたいなものを考えざるを得なくなる。単体の建築では答えは出にくいだろう、そう22歳の君達が思ってくれているのは僕も共感する。そういうことを考えてくれた作品は記憶に残ってます。うまくいったのとうまくいってないのと両方あるけど、そこはどうでもいい、トライアルなものはうまく行っていてもそうでなくても共感しました。壮大な社会的宿題をテーマにしてくれたわけではないけど、自分の育った場所、よく知っている場所をテーマにせざるを得なかった結果、地に足がついた。ローカルにきちんと考え、考えている中身はグローバルに展開することが可能なものを含んでいたっていう感じはしてます。よくやったと思っています。一人一人は卒業設計を提出して、ある程度の自らの評価を感じたり、失敗したと思ったりしてると思うのだけど、それも通過点だと思うから。そこは忘れちゃってもいいわけです。よくやったっていうことでいいんじゃないですかね。それ以上のものでも以下のものでもなくて、君達にとって大きな成果だと思います。

坂田:今回特に野沢さんが票を入れていただいた作品や興味を持った作品についてお聞きしたいです。特に西尾が庭をテーマでやっていて、野沢さんの自邸も庭ということで何か共感するものが特にあったんじゃないかと思いました。

野沢:なるほど。西尾くんのやつは駒込?

西尾:はい。

野沢:そうですね、僕自身のシンパシーもありました。さっきの言い方で言うとよく知っている場所を選んでくれてたんじゃないかな。そこにちょっとだけ手を入れることによって、もう一つの豊かさを持つ場所が現れる。あのプロジェクトが「庭」かどうかっていうのはそんなに思っていなくて、建築が街の中に介入するときに一番効果的に、あるいはもっと言うと建築家だから考えられる町への手の入れ方として、「繋げていくこと」っていうのかな、確か斜面地で、坂であることを使いながら繋げていく。手法としての提案が時間を経た場所を選んだことに一種のアドバンテージがありましたよね。

西尾:切り通しの榊原さんの作品に票を入れていました。

野沢:あれはまさに「道」的なプロジェクトだね。建築単体でさまざまな問題の答えが導き出せるっていう非常に幸運な建築っていうのもあるけど、建築単体っていうのは無力の場合もあるさ。Aさんのための建築を作ったところで、例えば住宅に限ればそんなに社会的にも大きな意味を持ったりしない場合もある、ある人の家を作って、その人の満足は作り上げることができても、それが社会的にどういう意味を持つかというと、そこにはつながりにくいところがあります。そこの地域なり社会なりが持っている問題を片付ける提案がそこにはない、その地域と離れている、技術的に建築の可能性を大きく変えていくとかがあればそれはそれですが、社会を少しでも変えていくことに、なんらかでつながることができれば、少しなりともsocial responsibilityをはたし、僕らにとっての仕事上の満足になるだろうっていう感じがする。だから、(榊原さんの作品の)行き止まりの小さな人々の生業と向こう側の生業を道によってつなぐみたいなプロジェクトは、ささやかな社会的提案になっている気がします。こういう提案がいくつかあったよね。

<中略>

君たちにとって励みとなる建築家像

野沢:そうですね。ぼくはいま70代の半ばを過ぎてるっていう後期高齢者と言われるとこまで来たんだけど、まだ飽きずにこの仕事をやっているっていうのは、君たちにとって励みになるんじゃないかなと思う。この仕事は飽きない仕事なんだろうね。僕がこう言うと偉そうだけど。ごく普通の市民として、こんなことがあってもいいんじゃないかということを建築領域で考える、つまり何を社会に提供できるかということを考える上で君たち自身が市民としてどれだけが鍛えられているかということが多分すごく大事だと思うんだよね。僕は昔幕張ベイタウンの仕事をやったことがあって、幕張ベイタウンのハウジングは結構先駆的だとか凄いとか言われているものではあって、もう15年位前かな?要は今までの羊羹を並べたような団地じゃなく、街区型で中庭を取っていくみたいな都市的な住宅を作ったっていうことで褒められてるんだけど、あの時の相手にしていたデベロッパーたちと僕はほとんどもう口も聞きたくなくなっちゃってさ(笑)マーケティングでモノを作ると思っている人達が市場調査してこういうのが欲しがられているって作ったっていうことだよね。僕たちがやりたいと思っているのは、まだ無い市民社会の次の形みたいなものを僕たちが不遜にも専門領域にいる者として試みてみることっていうか、考えてみることっていうことであって、それは市場では経験したことないし見たことないから市場調査では全く現れないものなんだ、明日はこういう形になるのがいいんじゃないか、と思うもの、まだそれを経験したことない方に経験していただくという仕事。それはあらゆる領域の専門家がやるべきことだと思っている。だから市場調査によって作られるものっていうのは昨日あったもののむしかえしにしか過ぎないものだと思う。少しだけでも良いから今までにない明日の種みたいなものを見つけたい。それは場合によっては法に触れたりする可能性もある。法というのはあくまでも昨日を下敷きにしてできているから、なんとかその網を掻い潜ってちょっとでもいいから今まで考えたことのない物を経験していただく。専門家としてそのものに手応えがあるものにしなければならないわけでね。そういう仕事が建築家なのかなという気はしてるんですよ。

本文はこちら→10_野沢正光


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