《卒制2021》インタビュー13_高見沢実×野原卓×尹莊植


《卒制2021》インタビュー第13回は、都市計画系の高見沢実先生、野原卓先生、尹莊植先生です。

先生方には、4年間を通して都市計画系の講義でご指導いただきました。

 

<中略>

 

自分のスタイルを見つける時期

 

馬場 : 話が戻ってしまうんですけど、ストーリーがあればっていう話で、例えば、今の八木橋のであれば、「農」というものを使ってどう楽しいことができるかみたいなことを、みんなある程度は考えていると思うんですけど、いまいち提案に持っていくほどの想像力がなくて、農業と建築を結びつけたらなんか楽しいことができるんだろうなっていうところから、具体的にそういう楽しいことを見つけ出すのがなかなか難しくて、それってやっぱりもう少しフィールドに出て、リサーチしないと見つからないものなんでしょうか。

野原 : その差こそが建築家の差だったりする気がする。自分のスタイルをどれにするかを見つけるっていう作業を今やっている最中というか。我々は年齢が上がっていけば、経験とか知っていることが増えて、つなげるものが増えるけど、みんなはまだそういうものが少ない。その中で、アイデア的にジャンプして考える人もいれば、農家の人に話を聞いて、それをヒントとして考える人もいるし、人ぞれぞれじゃないかと思うよね。自分のその見つけ方をどういうところに持っていけばいいかを考えること自体が、自分がどんな建築家になりたいかということとリンクしていると思う。答えはないけど、自分なりにそのルートをどんどん見つける練習をしていくのがいいと思いますけどね。例えば、富永美保さんって本当にズカズカと人のところに聞きに行って、いろんな話からヒントを集めたりしている。そういう人もいるし、それぞれなのかなと思いますね。でも、自分なりの見つけ方は持っていた方がいいと思いますね。みんなそこで苦しんでいるんだね。(笑)

高見沢 : 割と年齢近い尹先生はどうですか。

尹 : 見ている先生方と比べると経験値の圧倒的な差というか、知らないことがたくさんあるから、想像できないこともたくさんあるのかなと思うんですよ。でも必ずしも、知っているからいいものが作れるわけでもなくて、そのバランスなのかなと思うんですよ。さっきの自分が経験したこととか発見したものをちゃんとピックアップできる力っていうのもあると思うんですけど、そこにいく段階では、いろんなものを知るというのも重要なのかなと思っています。本とかね。さっきの「東京裏返し」とか。みなさん街を見るといっても、その街の知らないことはたくさんあると思います。ぜひいろんな経験した方がいいと思いますけど、今年はコロナとかあっていろんなところ行けなかったのは本当に惜しいなと思いますね。

 

都市計画の近年の流れと卒業設計

 

正林 : 都市計画の近年の流れと卒業設計が扱っているテーマは差っていうのはあるのかというのを聞きたいです。

尹 : 問題意識そのものに関してはギャップはないだろうと思っています。ただ、都市計画としては、必ず建築が答えではない場合も結構あります。つまり人の力とか、コミュニティの力とか制度的な取り組みとか、建築そのものでなくても利活用とかリノベーションとか、いろいろあるんですよね。そういう問題を解決するのに、あらゆる手段がある中で建築を提案しようとすると大変だろうということは分かります。ただ、私も卒業設計を評価するときに、そういう視点でも見るんですけど、つまり、コストパフォーマンスじゃないんですよね。それを建てるのにどれだけの合意形成とかいろんな権利とかやってできたものが、あまりその後の街をよくするとか、すごく良さげとか、そうじゃないと、あまり考えられてないなと思ってしまうんですよね。つまり、あまり建築を建ててはいけないということではないんですけど、他のあらゆる手段もある中で、この建築がすごいんだ っていう、そこを超えた提案として出していると、すごくいいなって思うんですよね。ですから、問題意識そのものはギャップはないんだと思います。ただし、求められるレベルが、ただのアイデアじゃ通じないぞってことなのかなと思います。

高見沢 : 私が期待するのは逆で、都市計画の研究というのは大体もうわかってきたことをどう着地させるかっていうのが多いんですよね。再開発はもっとわかっているというか、制度でがんじがらめになっていて、こういう建築建てたいと思っても、権利者がいっぱいいるんで、そういう人たちの言うことを聞いているうちに凡庸なものになってしまうと。再開発事業をやって、良い建築って一個もないと思いますよ。でも、若い感性に期待したいのは、そういうのとは逆で、こういう風に建築の力を借りて作れば、こんなにみんな幸せになりますよというのを提示してほしいなと。さっきの農業の例であれば、コロナも当然考えて、ニュータウンのこういうところに農地があるっていうのは、元々土地利用計画で残したわけだけど、でも、新たにこんな風に使えそうだなって自分としては思っているというのを正直に突き詰めて提示することで、ある種の我々にとっての指針となるというぐらい思っていて、だから、都市計画というのはむしろ後についてくるって思ってもらってもいいんじゃないかなと思います。それぐらい建築というのは期待される力があると思うので、力と言っても、変に人を威圧するとか、デザインがカッチョ良いとかそういうのではなくて、社会の目指すべき方向をきらりと表している。若者だから、本当にヒリヒリするぐらいきらりとできる感性を持っているはずだと信じているので、それが現れていればなんでも良いかなという風に思います。建築家ってのはそういうのを作る前からその先がこんなに素晴らしくなるんだってのを表現できる人なんじゃないかと。もちろん作ったものもまだ10年ぐらい先の都市計画よりもずいぶん進んだやつを示している。あるいは永遠にできないことを建築が示していると思う。そういうもんじゃないかと思いますので、都市計画研究室くるとなんかできると思うと間違いで、逆に時代が戻っちゃう可能性もあるので、そういうつもりではこないで、「自分がこんなふうに考えてるんだけどどうすかね」って言って「へえ、すごいよね」と、我々いつもこんな限界があってできないんだけど、それをもっともっと磨いてやったらいいんじゃないと言ってくれるところだと思ってもらった方がいいかなと思います。

本文はこちら→13_高見沢実×野原卓×尹莊植


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