《卒制2021》インタビュー12_大原一興×藤岡泰寛


インタビュー第12回は計画系の大原一興先生と藤岡泰寛先生です。

先生方には計画系の講義だけでなく、3年生の設計課題のエスキスなどでお世話になりました。

 

<中略>

 

観察、考察、省察、洞察

上田:今回コロナっていう状況もあってリサーチというか、実際に敷地に訪れてその場所を感じ取るっていうのが十分にできなくて、評価する軸がすごく限られていた気がするんですけど、逆に設計する上で敷地とか活動を分析することってすごく重要だなって改めて感じました。研究者であるお二方の立場からして、卒業設計での研究やリサーチという側面から何か思うことがあればお伺いしたいのですが。

 大原:…(笑) 基本的なことはあまり言いたくないんだけどね(笑) リサーチという面で言うと、この日本の社会の中でいろいろ動いている現実というのがあって、そういう情報を集めてその場に行って感じられないというのが大きいんだけど、ネットの情報だけだとすごい表層的になってしまって、他の地域でも同じようなことやっているのに、っていうのは結構あるんだよね。そういう情報で本当に問題になってそれをクリアするためには建築で何が必要なのかをもっと考えた方がいいのになあ、惜しいなあと思った。卒業設計ってそこらへんはあまり深くできないもので、この課題に対しての実態とは何なのか、他の場所でこうやって困っているということが分かるまでには結構な時間が必要で。そんな感じのことで終わってしまって卒論とかでまとめるのもよくある話。そして、リサーチをもとに設計するっていう次のステップまで持っていくことは相当大変なこと。時間的に難しいんじゃないかなって思うんですけど。でも、逆にリサーチすることの重要性っていうのはみんな感じて、足りないなって思いながら設計をまとめていたと思う。実際の建築の設計だってそうでね、もっと時間があれば色々なことが分かった上で設計できたのにっていうのはしょっちゅうあること。だからそれは今年の制約みたいなのはあるかな。大体世の中の活動って、口コミでしか情報って入ってこない。同じ思いを持っている人は世の中にはいっぱいいて、あるとき出会う。それで初めて分かるということが多い。発見というか、出会うまでには時間とチャンスもたくさん必要だと思う。なかなかそれは難しくて、やろうと思ってできることではない。今回の卒業設計でも、日常的なものを扱っているが故に、結構あちこちでももうすでにやってるじゃんというのが多かった。

藤岡:求めるとキリがないけど、ここ数年続いている良い傾向だなと思うのは、梗概をしっかり書いていて、参考文献をしっかり載せて、こういうところに自分は興味があって目を通したっていうのを主張していること。以前は、梗概の2枚目の左側で終わってた人もときどき見かけた。最近はちゃんと2ページ最後までしっかり書いていると思う。ただ、参考文献もまだメジャーなものが多い印象で、一次情報というよりは、誰かが考えてまとめた二次、三次の情報だったりするから、以外と表面的。でも良い傾向であるとは思う。できればもう一歩踏み込んで一次情報に触れる。100人中99人が言うことは本にまとめて書かれているけど、残りの1人がこんなこと言っていてずっと心に引っかかっている。本を読んでもどこにも書いてない、というような。それを設計テーマにしようとか、あってもいいと思うんですね。そういうのって、自分で現場に入り込まないと触れられない。卒業設計に取り組むリサーチの段階で、経験できると良いと思う。ただ、今年はコロナであまり強く求められなかった。建築計画の吉武泰水先生は建築計画「学」ってあまり言わなかった。建築計画または建築計画研究という言い方をされていた。吉武泰水先生ご自身は建築計画分野の黎明期にあって、まずしっかり観察することが大事だ、そこが入り口だ、そこから学び取ることが大事だっておっしゃっていた。観察の次に考察、省察、洞察。そこ(洞察)までいったら学問になるかもしれないとおっしゃっていた。そういう意味でまずしっかり自分の目で観察することから始まる。建築は一度建てると100年、200年残るものになるので、感覚的に作るわけにはいかない。社会的責任の伴う仕事。作る側がしっかり考察して省察して、できれば他の人の考えにも関心を持って、自分なりの洞察に結びつけていくっていう思考のプロセスが、研究に携わる人だけでなく、デザインに携わる人にもすごく重要なんじゃないかなと思います。簡単ではないけれど、少なくともそういう目標があるということを、分かっているか分かっていないかの差は大きい。足らざるを知るというか、まだまだ考えなければいけないことが残っているというのを分かった上で、今出来る精一杯で取り組んでくれるといい。

 

<中略>

 

コミュニティはつくるものではなく、あるもの

阿彦:話がまた変わっちゃうんですけど、よく学生が設計課題や卒業設計をやっていく中で、コミュニティという言葉をよく使うと思うんですけど、コミュニティって多用してしまうんですけど、すごいふわっとしたような気がしていて、それは共同体なのか単に集まって喋るような集団のことを言っているのかとか、建築の中の分野によっても、色々捉え方があると思うんですけど、建築計画をやっていらっしゃるお二人としては、コミュニティというのをどういう風に捉えているのかというのをお聞きしたいです。

大原:えぇ…(笑) なんて言うかな、僕はコミュニティのあり方自体は、食べることと寝ることと同じように、人が生きていく上では大事なことだ、ぐらいの感じで、そんなにこだわりとかない。必要なものだと思っているので、もちろん、コミュニティの形はいろいろあるだろうと思う。だけども、何らかの形で人と交流をするっていうことだけを起点として捉えれば、どうしても必要なことだと思うし、あまり思い入れはない。普通のこととしてというか、空気のように必要なこととして捉えている。

藤岡:ちょっと分かりやすく言うと、個人と全体との中間にあるものが、共同体すなわちコミュニティだと思うので、中間の状態だから、レベルはいろいろある。小さな共同体から大きな共同体までさまざま。スケールの問題もあるし、アイデンティティの問題もある。アイデンティティには、イデオロギーのようなものもあれば、スピリチュアルなものもある。とにかくいろいろあって、コミュニティは単一のものではなくて、個人と全体との中間にあるものは全部コミュニティとして理解すればいいんじゃないかな。高齢者の研究に関わると、人間は1人では生きていけないと切実に感じる。生まれてすぐの乳幼児もそう。でも、20歳前後の学生の年齢は身体的にも充実していて、1人で何とかなっちゃう時期。だから、コミュニティの必要性はそこまで切実に感じないだろうし、そういうのを感じなくても生きていける時期だと思うんです。けれど、生まれてから死ぬまでの長い時間軸で考えると、コミュニティは自分の生存に関わる存在で、これまでにも当たり前のように在ったし、これからも在る、必要不可欠なものとしか言いようがない、と思います。

阿彦:設計のテーマとかを考えていく中で、”こういうコミュニティを作る”という提案をすることもあると思うんですけれど、設計課題をやっている学生は、コミュニティは作るものというふうに理解してしまっている気がしています…。

馬場:(コミュニティという言葉を)やんわり使ってしまうけれど、いまいち捉えきれてないというのはあると思います…。

大原:僕の後輩で黒野っていうのが新潟大にいるんだけれど、黒野が言った名言が『コミュニティは作るものではないでしょう、あるものでしょう。』というのがあって。僕もそう考えているよ。コミュニティデザインっていう言葉を最近よく聞くけれど、コミュニティはあえてデザインされる対象ではないんだと思う。だから、コミュニティデザインっていう言葉自体おかしいなと感じていて。作ろうとして作れるものではないんだよね。建築もそうだけれど、生活ってできていくもので、誘導したりこの方が使いやすいよっていうことで導いてしまうのが建築の宿命というか…。本当はそういうことをやりたくないと思うんだけれど。つまり、どんな使い方もされることが素晴らしい建築なんだと思うんだけれど、建築というのはやはり作ってしまうと、生活を束縛するところがあって、そこで出来上がってくる生活はデザインされた生活かっていうと…。そういうところにデザインって言葉を使ってはいけないんじゃないかと思うんだよね。制約ということであって。だから、コミュニティも自然と出来上がっていくもので、それは自由であっていいだろうし、仕向けるとか何とかっていう話は、なんとなく建築計画の人はあんまり好きじゃないみたいな感じがするんだけど、どうですかね?(笑)

藤岡:コミュニティデザインという言葉はあまり使いたくないという感じは僕もあります。例えばさっき言った”個人と全体の中間にコミュニティがある”と考えたとき、建築を計画する、デザインする立場の人が、コミュニティのために先手を打っておかなければ、ますます個人が危うい立場に追いやられる、ということが起こりうる。プロジェクトとしては成立させながら、でも少しずつ面積をやりくりして、誰でも使えるような場所を捻出して作り込んでおくとか。こういうことは建築の専門家にしかできない仕事だし、コミュニティに対する大事なアプローチだと思います。一方で、コミュニティは動的なものだから、なにかこれといったビルディングタイプと結びつくようなものではない。たとえば、子ども食堂を作ろうと思っても、これを守ればできる、というような共通の設計条件があるわけでもない。現実社会では個人宅の1室が使われていたり、空き店舗が使われていたりすることも多い。ただ、こうした子ども食堂は、基盤としては弱くて、持続性に課題が残る。持続性という点から、空き家や空き店舗で子ども食堂を実現しやすくする工夫、つまり、用途変更のハードルを制度的に緩和したりすることも大事。言い方を変えると、法制度が邪魔しないような環境を整えていくということ。コミュニティに対する専門家の役割は、そういうところにもあるのかなと思います。

 

全文はこちら→12_大原一興×藤岡泰寛


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