《卒制2021》インタビュー5_富永譲


《卒制2021》インタビュー、第5回は、建築家の富永譲さんです。

富永さんには、3年後期の「建築デザインスタジオ」でご指導いただきました。

インタビューは富永邸にご招待いただき、おいしい食事と共にお話を伺いました。

「か」「かた」「かたち」

富永 「かた」に「ち」がはいると「かたち」になる んだな、なんて言われるとさ、それもうギャグじゃ ねえかなあって。だけどさ、うまいこと言うもんだ なあって当時は思ってたけど。

全員 (笑) 藤澤 「かた」にそれぞれの「ち」がはいると「かたち」 になるっていうのはギャグだと思ってたんですか?

(笑)「なるほど」と思ったんですけど。 富永 そういうのに騙されるやつがいるだろ(笑) だけど、それは日本語の語源学みたいな深いところ もあるんだよ。「か」っていうのはね、か行(かきく けこ)にはき「気」「気配」「気分」とか、け「もの のけ」、そういうような全体的なイメージ、雰囲気っ ていうのが「か」なんだよ。か行にはそういうもの がある。だから、「か」っていうのは全体的な直感と か、気配とか、佇まいとか、ムードとか、そういう ものの領域だと菊竹さんはおっしゃってる。だから、

「か」のチームっていうのは構想チームっていうわけ。 で、「かた」っていうのは日本語で言うと踊りの「か た」とか能の「かた」とか、剣道とか、柔道でも「か た」があるよね。スポーツでも「かた」があるよね、 ゴルフでも。「かた」っていうのはある種の伝承化さ れた技術のようなもの。遠くに飛ばすにはこうした 方が良い、野球でも「かた」がある、フォームがある。 それは技術のチーム、「かた」のチームって言われて いた。ルイス・カーンもそう言ってますよね。カー ンとすごくよく似てるんですよね。ルイス・カーン の建築論集読むとフォームがあるって言う。フォー ムのリアライゼーションっていうのが「かたち」。 フォームっていうのは普遍的なものであると、スポーツでもクロールより速く泳ぐ泳ぎ方って無い、だか らクロールってのは「かた」なんだよね。速く泳ぐ ための「かた」なんだよ。だからもちろん、他に泳 ぐことはできるんだけど、速く泳ごうとしたらあの

「かた」でやんなきゃだめだってことがある。それは もう誰も破ってないわけだよね、歴史的に。だから 建築にはそういうフォームってのがあるんだと。そ してフォームっていうのは伝承的なもので、恐らく 建築のそのフォームを探しに行ったんだよねコル ビュジエは、はっきり言うと。その伝承的なものが あるっていうことをもちろん気づいていた。だから、 2000年前の人間のやったことの砂金を掘り起こ しに行くんだっていうのは、要はその伝承的なもの を自分の身の内にどうやったら取り込めるのかなっ ていうことを、それが無ければ自分は速く泳げない だろうなっていう意識があった。そこがすごいんだ よ。自分はクリエイターだから何でもできるって思っ ちゃったらそれはアホなんだよ最初から。それは哲 学が無いっていうかさ、そりゃまあ動物ならその場 しのぎでいいけどさそれで。(笑)だけど、そうじゃ ないよ。建築っていうのは、何千年も前から作られ てる。人間が生まれてから作ってきたものだから、 そこには「かた」があって、フォームがあって。「そ のフォームっていうのはなんなんだろう?フォーム を俺が受け継いでいかなければ、おそらくクリエイ ションは無いだろう。」と彼は思った。そこを、24 歳でそういうことを自覚できたってことが、「やっぱ り違うな」って感じがするよね。そういうことに自 覚的だったということですよ。旅日記〈東方への旅〉 にもそういうことが書いてある。自分というものは 限界がある、だけど人間がずっと昔から建築を作っ てきた。だからそういうものを見ずしてできないだ ろうと。だからコルビュジエは伝統破壊者と言われ たけれど、それは後で言われたことだし、そういう ことはジャーナリズム上では面白い。そういうこと、 若い奴はすぐ「新しい建築」とか寄り付くけど。「こ れからの新しい都市」とか、「新しい」なんて一番古 い。或る横国のポスターを見てそういうことを妹島

さんに一度言ったことがある。しかし「露頭に立つ」 という気概はもちろん必要だけど。何でも新しい新 しいに飛びついて今の日本だよ。この有様だよ。新 しいものはだいたい雑魚ですよ、99%。やっぱり(重 要なのは)伝統的なもので、自分でそのことを自覚 しなければならない。クリエイションがその自覚の なかにあるんだと思ったことはカーンもよく似てる し、菊竹清訓なんかも「かた」っていうことで、自 分でそれを受け入れてやるわけだ。そこに「ち」が はいって「かたち」ってものが出来上がる。建築っ ていうのは自分だけでやるもんじゃなくて、まずは

「か」っていう最初の共感・生活のイメージと、人が 集まるとどういう風になるんだろう?というイメー ジ、そういうものとそれが形式化されたもの、ずっ と各民族の中で共通につくられたフォーム、そして 個人の創造、クリエイションっていうのが「か、かた、 かたち」っていうことだよね。カーンが日本に来て 菊竹さんに会ったときに、言ってることが菊竹さん が考えている3段階とものすごく似てたんだよね。 菊竹さんは参っちゃうわけですよ、カーンに。デザ イン会議の時、カーンの言ってることは難しいから スカイハウスで、槇さんが通訳して、大高さんとか みんな居たんだろうね、丹下さんとか。それで会合 したときに、自分の考えていることと、まぁだから、 菊竹さんは菊竹さんなりに突き詰めていたわけだよ、 カーンはもう、ずっとそういうこと考えていた。そ ういう二人に共通性があるってことは、〈真実の近傍 にある〉。クリエイションの真実を語ってたってこと だろうな。まぁそれで菊竹さんは僕達、所員の作業 チームに分けて、きみは「かたち」きみは「かた」っ て(笑) それはカーンはしなかったよね。まぁちょっ とそれはやり過ぎではないかな、と思っていた。だっ て人間の創造力の 3 つの側面だからな、そこのとこ ろは。

 

本文はこちら→5_富永譲


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