《卒制2021》インタビュー8_霜田亮祐


《卒制2021》インタビュー第八回は霜田亮祐先生です。

霜田先生はランドスケープ学の先生で、私たちは3年生の授業でお世話になりました。また今年はY-GSAと千葉大学霜田研究室とのワークショップなど交流の深い先生です。建築のみならず風景学の視点からお話を伺いました。

<中略>

都市と自然の本質は変わらない 

西尾:霜田さんの好きなまちについてお聞きしたいです。

霜田:まちはね、まあどこも好きなんですよね。すごい田舎や、土地のコンテクストの感じられない埋立地だと何もないじゃんって言われるんだけど、私は何もないまちはないと思ってるし、必ずちょっと掘り下げればなんかあるんです。なので、何もない町っていうのはありえないし、好きとか嫌いとかっていう概念ではないんですよね。だって、みんなそうでしょ。逆に言うと嫌いな街とかありますか?

西尾:その質問は何か聞かれたことないから…。

阿部:でも街区が大きい街とかだと歩きにくくて、嫌いってわけではないけど、苦手だなって思いながら歩いてたりはします…。埋立地の方とか、みなとみらいの方とか… 。

霜田:そういうのも特徴じゃないですか。

阿部:確かにこれからはそういうのも含めて面白がれるかもしれないです。

霜田:面白いと思うんです。なんか歩いているところなんて、こう地面の表層部分だし、どんな場所でもちょっと掘り下げれば地層があるわけであって、これまで土地の履歴みたいなものが堆積してるわけです。

阿部:掘り下げるって物理的に…。

霜田:物理的にです。物理的に掘り下げるとその土地の大地としての基層が見えてくるわけだから、そういうのを見るのが私は好きですね。どこのかっていう平面的な捉え方はあんまり好きじゃないです。断面切りたいんです。(笑)

阿部:最近、断面切って印象に残ったまちの方が例えとしてはいいですかね。 

霜田:最近、断面切ったまちって。 (笑)

西尾:プロジェクトを進めてる中でとかでもいいんですけど。

霜田:プロジェクトねー、最近面白いなぁと思っているのはいろいろあるよね。ランドスケープのプロジェクトってどのプロジェクトもまず掘り下げるんですよ。で、掘り下げるとさらに好きになっちゃうから。どんな場所でも、私はいけますよ。

西尾:なるほど。オールラウンダーなんですね。では、霜田さんは留学の経験もあると思うんですけど、ランドスケープが日本と海外で違うことは、ありますか?

霜田:日本と海外で違うことか。場所によってやっぱ違うんだよね。日本と海外っていうよりかは、地質がやっぱ違う部分があるし、あと地面に育つ植物の種類も違うので、、表面的にはやっぱ仕事の進め方とかは違う部分もあると思うんですけど、ランドスケープの設計で言うとやっぱ扱っている物が違うので…。この質問もすごい答えにくいです…。

前本:例えば歴史に対する時間などが日本と西洋には大きな差があると思うんですけど、そういったことが浮き彫りになるっていうことは無いんですか?

霜田:歴史の捉え方ですか。歴史のある国っていうのはやっぱその歴史を重んじます。アメリカなんかは歴史が浅いから、人の歴史ということについては、捉え方は日本とは違うかなと思いますね。むしろこう、人の手の入っていない時代がアメリカの場合は長いので、自然環境に対する捉え方というのはすごく深掘りする傾向があるかなという風に思います。

前本:日本は、どちらという言い方が良いのかわからないですけど、どう思われますか?

霜田:近代以前の街の作られ方がやっぱ日本とアメリカとかヨーロッパと違うと思うんですよ。例えば、ヨーロッパは、森林が広がっていたところをかなり開拓して、都市を作っていった経緯がありますけど。日本の場合は、現代は別にして、それ以前はそこまで大規模に開拓して都市を作るっていうことってあまりやってこなかったので、歴史もそうだけど、都市への考え方ってのがやっぱ違うんじゃないかっていうふうに思います。

西尾:僕が講評の時に霜田先生に、これは庭を作っているだけで暮らしの部分がまだ詰めれていないんじゃないかみたいなことを言われたことが印象的なんですが、ランドスケープを設計するときに、日常性や暮らしの部分はどういうふうにお考えですか?

霜田:生業にどう関係しているかどうかは結構大きいかなと思うんですよ。その途中で生きていくためのリソースとして、その空間があるのかどうなのか、現代の都市に生活して別にそこまで必要じゃないんだけど、空間はね。毎日仕事して通勤してっていう生活してる限りは。だけど、コロナ禍でそのあたりの考え方が変化している。変化しつつある中で、今一度、身の回りの日常的な空間のあり方の価値っていうのが変わりつつあると思うので、そういう観点から、西尾くんの発表なんかも何か言ってくれればよかったんじゃないかなっていうふうに思う訳ですよ。

西尾:なるほど。わかりました。

霜田:空間の提案はもちろん必要なんだけど、それに紐付けされたような人々の暮らし、生業っていうものが、どうなのかということを自分なりに評価して言ってくれた方がいいと思うんですよ。それは聞く人にあまり委ねすぎてる案ってのはちょっと分かりづらいんじゃないかなって思いますよ。

西尾:ありがとうございます。次に、都市の中っていうのと自然の中で考える違いとか、逆に共通して考えることとかそういうお話を伺いたいです。

霜田:あんまりそこらへんの区別って実はしてないんですね。あのー、ちょっとあれだな、話が長くなるな、これすると。

西尾:全然、時間はあります。(笑)

霜田:ちゃんと説明するためには準備しなきゃいけないので、今日ちゃんと答えられるか分からないんですが…。都市についての本があってね、私が好きで、すごくインスピレーションを受ける本があって、『都市という新しい自然』っていう本があるんですよ。日野啓三さんのこの本、知ってます?知らないか。

西尾:知らないですね。

霜田:『都市という新しい自然』っていう、一言で言うと、この人は都市っていうものと、都会っていうのは違うって言うんですよ。都会っていうのは、そのいわゆるアジアの都市的な、わいわいがやがやするような、人がいっぱい行き交っているような状況であると。都市っていうのは、自然や自然物、人の存在が無い、いわゆる鉱物としての空間だって言ってるわけですよ。その考え方っていうのはすごく共感する部分があって、野生的な自然というのは、人の存在を寄せ付けないような、人が行ったら死んじゃうような、そういう環境なんですよ。だから人の存在がない都市っていう空間と、野生的な自然ていうのは、意外と似ている空間であると。だから標高の高い山に登った時の感覚と、お正月とかお盆のころに行く都市の誰もいない環境、一人取り残されている感覚というのは意外と似ていて。だから、都市のプロジェクトっていうものと、野生的な自然環境内の場所でやるプロジェクトっていうものは、場所は違うんだけど感覚的にそんなに違いはないと、思いますね。岩手県の遠野に、Queen’s Meadow Country Houseっていうプロジェクトがあって、そこに真冬に行くとマイナス20度とかなんだよね。あの極寒の世界が広がっていて、真っ暗闇の世界が広がっているなかに、ポツンと建築があるんですよね。一歩外に出たら熊に襲われそうなくらい。すごく恐怖を感じる場所なんだけど、ただ自然環境が豊かでそこで人と馬が共生してますっていう、牧歌的なイメージとは実はかけ離れてる。結構厳しい環境があってですね。今日、私が言いたいポイントはそこなんです。都市だから、森の中だからなんか違うのかって言われると、なんかそれは違うんじゃないかなっていうふうに思うんですけど、どうです?西尾くんなんかは、スキー部だったんでしょ?

西尾:はい。(笑)明日もスキー行きますね。

霜田:冬山なんかはさ、スキー場でいるときはまだ人の存在はいるから、まああそこは、いわゆる都会ですよね、スキー場って。人が行き交っていて、寒いけど、でも、一歩コースを外れると死にそうじゃないですか。

阿部:うん、確かに、なるほど、そういう感じか。なんか、都会って言葉が出てきたからよくわかった。

前本:だからこそ、都市だからとか、木々がたくさん生えてる森だからこういうことをするっていう訳じゃなくて、さっきおっしゃっていたように、社会性とか地域性とか、表面的じゃないところに着目しながら、ランドスケープを取り扱っていくっていうことにつながっていくのですね。

霜田:まさしくそうだと思います。本質が変わらないっていうこと。スタンスは変わらないと思います。ただ場所は、それが立地する環境が違うからね。それをどう捉えるかってのが大事で、まあこれもランドスケープ論の授業の中でも言ってるんですけど、川の流域の一部としてそれぞれのプロジェクトを捉えるので、まあ大都市っていうのは、ほとんどの場合、こう河川の下流部にある。だけど、川っていうのはこう、山からどんどん流れてきていて、川の上流部に行くと今言った木々がいっぱい生えている自然環境がある訳ですよ。そういう視点で、ランドスケープのプロジェクトには取り組んでいますね。どの流域のどういう場所にそのプロジェクトのサイトがあるかっていう視点で見ようとはしていますね。あと、あれかな私、ちょっと別の話になるけど、制作のやつで、上田くんの中洲の提案は、面白かったと思います。それってなんか先ほどの、都市とか都会の話に通じる感じもするし、あれは、都会の話になるんですかね。なんか、それすらも超越している感じに私は捉えたんで、講評の時に人文地理的なリサーチをしているような感じっていう、ようなことを言ったのを覚えてるんだけど。中洲っていう地理性というか、川の流れが作り出した土地をベースに、どんどんどんどん、雑居ビルが立ち並んでいって、その中における人のアクティビティの、一つのエコシステムのようなものが構築されていて。あそこを対象地にして、それに伴う、リサーチと提案っていうのは、すごく新しい感じがして、よかったなと。印象に残ってます。

西尾:スケールが大きいものを扱う中で、プロジェクトをやるときのリサーチの方法っていうのはどのようにやっているんですか?

霜田:リサーチはまずはあれですよね、どの川に流域に属しているのかっていうのを、まず見ますよ。で、その流域の特性で、あとは地質、地形、いわゆる自然条件っていうのを広域の視点から整理します。ランドスケープの設計をするにあたって、ベースになっていくんですよね。だからそのプロジェクトが起こる場所の、本質的な性格なんだと思うんですよ。それはすごく大事で、結局単なる空間デザインなんじゃなくてランドスケープデザインなんで。ランドスケープっていうのはランドっていう文字通り、大地とか土地ですよね。スケープっていうのは、何かを顕在化するっていうことなんですよね。あらわにしていくということなんで。ランドスケープっていうのは、一つの言葉にはなっているんだけど、言葉の意味としては、土地の本質っていうのを認識して、それを顕在化させていくっていう、そのプロセスの中で、いかにそのプロジェクトに求められる用途とか、人間の営みみたいなものを重ねていくことが出来るかがポイントなので、ただ単にこう、手段として、広域のスケールから土地を見ましょうと言っている訳ではなくて、デザインをやっていくにあたって、それがすごく大事なよりどころにもなるし、それを抜きにしては語れないんですよ。

前本:本質、土地の本質を捉えるっていうことですね。

霜田:だからまあ本質っていうのは表層的な部分では見えてこない、その下にある基層をまず捉えることが大事であるし、広域の視点で見ていかないと、基層がどうなっているのかが、見えてこないから広域の視点からリサーチをする訳ですよ。

本文はこちら→8_霜田亮祐

 


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