《卒制2021》インタビュー掲載企画、第9回は建築家の南俊允さんと廣岡周平さんです。
お二人は私たちが学部2年生の初めての設計課題からエスキスなどで長くお世話になりました。インタビューでは私たちの成長の様子についてもお聞きすることができました。廣岡さんの事務所にお邪魔し、zoomをつなぎながらお話を伺いました。
<中略>
卒業設計によって遠くまで飛ぶ
今回南先生と廣岡先生の対談形式にさせていただいたのは、2年生の課題でお世話になったお二人という経緯になります。まずは、卒業設計の総評をいただきたいのですが、南先生は中間講評にも出席されているので、僕たちの経過なども踏まえてお話をいただけたらと思います。廣岡先生はオンラインで見られていたということですので、対面の先生方とは気になった作品などが変わるかもしれませんが、よろしくお願いします。
(南)僕は講評会の時にコメントした通りなので、今の質問だと中間からどういうふうに変わったかとか、そういうことについて言うのがいいのかな。あんまり中間から変わってない人が多いなあというのが正直な印象で、そういう意味でも講評会で卒業設計が評価されたかされなかったかということよりも、この人はこの後伸びるなと思ったのは寺西さんかなあ。ああいうふうにものを壊してつくっていくっていうようなことを経験したことは素晴らしい。彼女は中間とかに限らず毎回、一回ゼロから考えるみたいなことをやっている。みんなは、肉付けみたいなのをしたり、リサーチをしたりしていくんですけど、建築もしくはつくるもの自体のスタディを重ねた結果生み出されたものっていうのを感じた作品ってあんまりなかった。寺西さんがつくったものは、最終的なものはまだその途中という感じがしましたが、「スタディ」し続けたすべてを含めて素晴らしい卒業設計だなと思いました。もう一つ個人的に良かったと思っているのは、前本くん。彼の場合はどちらかというと提案を変えないという方向でやっていたんですけど、最後までいろんな人から言われても変えなくて、出来上がったものもすごい良いなとは思わなかったけど、よくよく話を聞いてくと、「自分が最後につくったものは自分がやりたかったことはできなかったんだけど、やりたかったことは『建築をつくることで街とか地域がつくられる』っていうことをやろうとしてる。」ということに気づいたみたいで、卒業設計をやって気づきがあったということは結構大きい。はっきり言って卒業設計で評価されて賞を貰うこと自体よりも、卒業設計が終わった後にそれによってどのくらいエンジンというか、飛べるかっていうのが結構重要なことなんだろうなと思っていて。そういった意味で今言った二人はこの先に飛べるために十分な卒業設計だなと思いました。一先ずそのくらいで。
(永長)ありがとうございます。
(廣岡)僕は当日風邪の影響で現地に行けなくて、オンラインで見ていたんですが、そもそもオンラインであの講評会を後輩たちに見せるっていうことに対して、先生たちの評価が、どのポイントにあったのかが全く伝わらないな、というのが一つ思ったことです。僕自身も相当誤解して見ちゃったということがあります。おそらく多分プレゼンテーションがZoomで、パワーポイントを用意して発表していたらもうちょっと違う伝わり方をしていたけれど、手振れしまくっている動画を見ながら、模型も解像度が荒い状態の動画で見て、声も途中で遠くなって聞こえなくなるっていうこととか何度か起きてて、ほとんどわからないっていう印象がまずありました。それは運営であるこちらの不手際ももちろんあるし、そもそもオンライン用に向けて皆さんがプレゼンを作ってないから、現地に行った先生と僕とかオンラインで見た人たちは相当評価が割れてると思います。そのような状況でも、全体的に非常に面白かったなと思っていて、中間は見ていないし、2年生からどう育っていったかっていうのも全然見てないから、あ、こういうことをしていた人たちがこうなったのかっていうことの驚きももちろんありました。さらに、その驚きよりも増して考えているところが面白かったなと思っています。具体的に街を見ているっていうこともすごい伝わってきました。街の中でどうやって建築が建っていくかを考察して、ただただその建築自体がヒロイックに建つっていうことだけではなくて、それが街にとってどんな存在かということをちゃんと考えようとしている。そういう時に暴力的な人ももちろんいたけど、ちゃんと街を見ようとしているというところとか、丁寧に建築する街に対して今自分がどうアプローチするのかっていう、現在あるものに対するリスペクトかなりの人たちからすごい感じとれ、僕としては好感を持っています。ただ卒業設計として、オンラインで見たときにある種のわかりやすさみたいなのがすごい目について見えてしまうっていうのが気になりました。僕は、宮本くんの円の、あの場所選び、あの敷地の大きさであの円があるっていうこととかはすごいわかりやすく見えました。他にも榊原さんの提案とか、上田くんもその時はわかりやすく見えたな。なんとなくやろうとしてたことが非常に共感できたなと思ってますね。逆を言えば、今回吉原賞をとった河野さんの提案が、全然オンラインでは情報が分からなくて。おそらく円錐会賞の選考会のために皆さんから資料を集めていて、河野さんの言葉の力と模型っていうのがすごく情報として強かったんだろうなということを振り返って思います。もちろん他の人たちで図面からもすごい強いものを感じた瞬間とかあったけど、図面の密度や完成度抜きにして考えた時に、河野さんの言葉はとても伝わってきて、共感しました。その言葉の威力というか持っている力みたいなものと思考しているものが連動してZoomでも伝わっていたり、あるいは、ある種のわかりやすさみたいなのが形として示せている人たちはこちらとしても受け取りやすかったなと思っています。皆さんの考えていることと、僕ら受け取った人たちはZoomだとずれてたなというのが印象だと思いますね。
卒制を人が人に直接伝える場があることの尊さ
(南)僕が助教になって、今年これだけは何としてもやりたいと決めていたのは、卒業設計の講評会は対面で行うこと(行えるようにすること)でした。皆さんには実際講評会をやる前にちょっと話をしたのですが、実は一年前から準備していて、皆さんが4年生の最初の課題をやるゼミぐらいから、新型コロナの影響で基本的にオンラインっていうことが決まっていて、その時点ではもちろん卒業設計もオンラインという状況でした。それで6月ぐらいから場所を探して、学務係とか上の方に掛け合って、経済の2号館とか教育文化ホール、あといつもの図書室横のメディアホールの三箇所に事前に見学に行って、6、7月ぐらいに事前に予約を入れて。どういう状態だったら感染を防ぎながら対面でできるか検討を重ねました。最後に日程が近づいてきて、もう一度感染者数が増えてきたときにほんとに対面でやっても大丈夫なのかという意見もありましたが、基本的には対面でやりますっていうことは言い続けました。いろんな方々から、安全ですか、どういう体制でやるんですか、っていろんな意見も来ていたんだけど、それもそのつど対応しつつ、卒制の講評が対面で行われることの重要さを話しつづけました。より安全をみて一週間から二週間前とかに会場がパワープラントに変更して実現しました。当日来られた方々の中にも、ほんとにやっていいのかと思っていらした方々もいたとは思うんですが、僕が4年生にできることはこの場を守ること、対面で人にものを発表する、伝えることが、どれだけ尊いことかっていうことを一番感じられた学年だなと思うし、その人たちにとって、最後に発表すること自体は卒業設計が上手くいったかいかないかに関わらず、すべての学生にとってすごい貴重な機会なんです。卒制の講評がそのものがある場で人と人の間でおこなわれること、そこではそのときにしか得られないものがある。そこで感じるものはその人を変えることすらある。コロナがあったから今年はどうだったかっていうのって、あんまり好きじゃないんですよね。僕コロナになっても生活があんまり変わってないと個人的には思っていて。なんかコロナを理由にしちゃうと簡単なんだけど、コロナだったからうまくつくれなかったっていう人は、たぶんコロナじゃなくてもうまくいかなかった時に、自分の外に理由をおいて逃げる気がするんですよね。例えば会社で働き始めた時に自分にはこういうプロジェクトが与えられないとか・・・。外的要因によって自分の限界を決定してしまうってことをやっていくのはすごく嫌だなと思うんですよね。だから、コロナとか関係なくて、みなさんがやったベストが今の卒業設計だと思います。そして、対面で話せるとなったときに、結局何を伝えたいかということなのかなと思っている。そのものの説明を超えて、私は結局これ何を伝えたいかということが問われていると思う。それはつまり、その人の生き方をみせることになる。
(廣岡)僕はめっちゃ変わりましたよ。内面は変わったのですが、僕生活自体はそんなに変わってないんですよ。家でずっと作業して、打ち合わせで外出るのとY-GSAへ行くのに外に出るくらいだったので、そこまで変わってなくて、Y-GSAに行かなくなったということぐらい。けれどもそこで他の人たちも同じ状況になったときに、今オンラインでよなよなzoomというオンラインの勉強会をやってるんだけど、ああいうのをやっていくと、今まで関わっていなかった周りの人達とも結構繋がったりできるってことがわかったし、さっきのプレゼンテーションのことで言うと、プレゼンテーションをする機会が圧倒的に建築家でも誰でも減っちゃうなっていうのは思って、西沢さんが以前言っていたのは、 喋ってると自分で気付いてくるんだよねとかって言っていて。自分も依頼されて講演をしてた時に、自分に向けて喋っていると感じるんですよね。さらにそれを見られているっていうのがあるから、それってすごい尊いことだし、そのような機会をもっと増やした方がいいんじゃないかというのを思って、よなよなzoomをやりだしたりだとか。あと建築家としてはあるまじきことなのかもしれないけど、僕は作業中に動画を見ちゃうんですね。ずっとアニメだったり、お笑い番組だとか見てたものが、4月くらいから一気に建築とか哲学とかYouTubeで色んな面白い人を見つけてきて、動画を見ています。それも当時見てた土肥真人さんという東工大の社会基盤にいらっしゃる先生なんですが、一昨年Y-GSAで講演をされて、その方からメーリングリストで面白い人達と対談します、という報せを聞いて、それを見てから自分も面白い方の話をたくさん見た方が有意義だなと思って。ちょうどY-GSAも横浜建築都市学が全部オンラインになって、面白い方のプレゼンや対談をひたすら聞きながら作業ってなると、1日6時間7時間ぐらい人の講演を聞いているわけなんですよ。その中で、どんどん自分の考え方も変わるし、なぜこの問題をこういう風に捉えるかとか、俺はその時どう思うのかということを、パソコンで作業してるから Word 開いて聞きとって、重要なものはメモをとりながら、それをずっと考える。考えたことを何日か経って自分の考えがまとまったら Word で自分なりの文章を書く。誰に見せるわけでもないけど。ということをずっと繰り返していて、さっき建築で新しい提案をして街を変えようという話があったけど、街を変えるとか自分以外の他者を変えるのは容易ではなくて、でも自分が変われば、他者への感じ方が変わるわけだから、自分を変えるっていうことがすごい大事だってことをよなよなzoomを通して言われました。自分でも納得して、自分の中でこの一年の変化でたくさんの人の話をオンラインで、今溜まっている蓄積されているデータも見たし、本もだいぶ読めた。他の学生ともY-GSAで教えるときに、普段だったら多分普通にエスキスするだけだったのが、1時間だけ俺と学生一人が、新建築データなどで公開されていたものを使って、例えばラルフ・アースキンの住宅はどういう寸法でできていて、それがどう感じられて、それがなぜそういう寸法で決まっているとかっていう議論をする時間を1時間程作ったんですよ。そうすると前川國男のスケールの話と、丹下健三のスケールがどう違うのかというのを学生と共有できる。スケールっていうのが言語としてここまで優秀だということを、対面で会っているときはなかなか話せなかったけど、画面越しに図面を見て図面に対してこうあってほしい、こうあったらいいんじゃないのっていうことに対しての感受性が生まれてくる。教えていた学生は最終的に図面をすごくかけたので、良い教育方法だと思いました。普段だったら絶対にしなかった勉強会をやりだして、金曜21時からヘルツベルハーの読書会と、構造主義に対しての見解をどうやって捉えていくかということを、学生と話していて、それによっても自分の考え方がすごい変わったし自分でも調べたことをプレゼンするっていうのが出来たっていうのは大きかった。実は普段移動で取られていた時間とか、みんなも何か夜21時とかに打ち合わせ入れるの失礼みたいな感じあるけど、21時からでもzoomだったら別に勉強会できて、2、3時間話せるわけだから、時間の使い方も変わったし、教え方も変わったし、見ている情報量も変わったから、自分の中ではすごい良い影響だった。またそれが周りの人達にとって、もしかしたら情報が閉ざされたように感じられたり、知に立ち向かわない人たちもいると思うけど、仏教的な考え方だけど、できない人すらもちゃんと救えるような、勉学に励みたいと思える環境だったりとか、勉学っていうのはこういう状況でも面白いんだっていうことを伝えなきゃいけないなぁっていうのはアカデミックな立ち位置にいる人間としては強く感じました。現在までは、ついてこれない人はついてこなくていいっていうのは、ち自分の中で片隅にあったのかもしれないけど、そうじゃなくてそこら辺のおばちゃんとか子供にでも腰を据えてちゃんと話合う。あなたのことをリスペクトするってことをちゃんとやるっていうことに対して真摯になんなきゃいけないなっていうことはすごく感じた一年でしたね。
(永長)卒業設計の講評会を対面でできて、あの空気感を味わうことができて本当に良かったと思います。本当にありがとうございます。
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