interview #061 山田紗子


(プロフィール)

山田紗子(やまだ・すずこ)

1984年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京芸術大学大学院美術研究科建築専攻修了。2007-2011年、藤本壮介建築設計事務所勤務。現在、合同会社山田紗子建築設計事務所代表。京都大学、明治大学、ICS非常勤務講師。

 

—建築を目指したきっかけを聞かせてください。

 

東京で生まれて、いわゆる本当の自然環境には馴染みがなく、むしろ都市の中で作られた緑地を見て育ってきました。そういうものが都会の中ではすごく鮮やかに見えて、大学のパンフレットで「ランドスケープデザイン」という文字を見てこれは楽しそうだと思って、慶應義塾大学環境情報学部に入りました。大学や短期留学したアメリカのUC Berkeleyでは、日常的に建築専攻の人と一緒に同じ設計課題をやったり、話をしたりしていました。所属していたランドスケープの研究室にも建築家を目指すメンバーがいたりと、自分が志していたわけではないのですが、建築が身近にある環境だったんです。

そうした中で当時は、ランドスケープデザインと建築のデザインはボーダーレスのように見えて、実際はランドスケープデザイナーが任されている仕事は、前庭や公開空地などの建築の周囲の部分の余った所を緑色で塗っていくような印象を持っていました。例えば公園がもっとこうあるべきだとか、良いとか悪いとか古いとか新しいといった議論があまり起こらない印象もあって、その中で何を目指して作ったらいいのかよくわからない感じがありました。一方で、建築の人たちの考え方は常に何か更新されていると感じていました。そんな時にちょうど、MVRDVがランドスケープや植物を色々巻き込みながら提案した「ハノーヴァー万博オランダ館」(2000年)等を見て、建築家がやっているランドスケーププロジェクトの方が面白そうだと思ったんです。それで、建築を勉強した方が面白いランドスケープを提案できるんじゃないかと、建築の授業を取り始めました。学部四年生ぐらいに留学先から帰ってくると周りの建築学生が卒業設計をやり始めていて、自分もやってみたいと、「私も私も!」みたいな軽いノリで始めたんです。

 

 

—そこからどういった経緯で藤本事務所に就職されたのですか?

 

学部四年生の卒業間近、建築をもっと勉強するか、ランドスケープをもっと勉強するか、大学院にいくか、色々悩むというか、選択肢があるなと思っていました。そんな3月末くらいの卒業も決まっていた時に、GAギャラリーで毎年行われている住宅の展覧会を見に行って藤本さんの「HouseN」という植物が四角い殻から生えているような住宅の模型を見たときに、人工物とも自然物ともつかない存り方がすごく面白いと思いました。それで、とりあえず藤本さんの事務所に行ったら何か分かるんじゃないかということで、藤本さんの事務所に通い始めました。

それからは、自分が本当に何も知らないんだなと痛感しました。大学が、色んな分野と関わりながら自分の分野を勉強するというスタンスだったので、建築の歴史や意匠論のような授業をほとんど真面目に受けたことがなかったのですが、事務所で設計案の検討が始まると、藤本さんはいつも建築の歴史の中に自分達が立っているという立場で話をするので、歴史上の建築の名前がたくさん出てきます。当たり前なのですが建築学科に通っていないと分からないような言葉がたくさんあります。藤本さんは建築の歴史を前提に”その中で次は何を提案するのか”を考えていて、そういうことを知らないと何も話がわからないのです。当時の私は日本建築も西洋建築も知らない、コルビュジェって言われても「サヴォア邸」くらいしか知らなくて、1年くらいはずっと「なんでそんなに知らないの?!」と怒られ続けていましたね…。なので、事務所に通い始めてから、数か月後にスタッフになってからも、毎日藤本さんの本棚から一冊、特に西洋建築史や、近代住宅の歴史など、流れが理解できるような本を借りて片っぱしから読みました。人間がどう試行錯誤して建築というものを考えてきたのかを、その時初めて勉強したと思います。それで1年くらいしてようやく、この人たちは何を基準にして何を超えようとしているのか、がわかってきたような感じです。

 

 

—その後、東京藝術大学の大学院に進学されてからはどのような研究をされていましたか。

 

よく聞くかもしれないですけど、藝大はすごく自由なんです。北川原温先生の研究室では、月に1・2回集まって今どんなことをやっているかを話すくらいでした。

修士1年の春休みに、現地で仕事をしていた母と一緒にアフリカ旅行をしました。タンザニアにある国立公園に行った時、360度終わりのない草原に、ガゼルやキリンが歩いていて、もっと遠くを見るとヌーの大群がいる、、、という、いつも自分が見ている風景と全然違う有様に感動しました。それが建築をつくることのなにかに関係するかということは分からないけれど、とにかくたくさん写真を撮りました。

 

タンザニアの風景写真

 

それを帰ってきて北川原先生に見せたら、「これは素晴らしい。あなたはこれをテーマにするしかない」とおっしゃったので、それをどうやって建築の話にするかというところから修士設計が始まりました。

自分が撮った写真ですが、そこに写っている風景は自分が全く知らない世界で、とても特別に感じました。その風景をつくるものを炙り出したいという思いがあって、写真をトレースしてみることから始めました。トレースといっても、風景の何がすごいのかというエッセンスだけをぎゅっと形に表してみるというものです。例えばチーターやガゼルが色々な方向を向いているので、そのばらつき具合を一生懸命トレースしたりしました。自分がいつも見ている風景とは全く違うルールで構成されているので、それを元に建築を作ったら全く新しい建築になるのではないかと思いました。そういった異なる世界のルールや合理性を引っ張ってきて形にしようとしていました。

 

風景写真のトレース

 

結局、アウトプットが建築になりきらなくて修士設計としては評価されず、残念だなという気持ちで模型も写真も奥の方へしまっておいたんですが、最近になって見てみると、今設計活動の中でやろうと思っている事と近いなと感じました。コロナ禍でどこにも行けず、人と会って喋ることが制限され続けている中で、自分のインプットやレファレンスが狭まってしまった気がしていました。自分が今見ているものをどこまで自分のつくる建築の前提にしてよいのかと思うし、制限された環境を前提にしても、その状況への反応だけで、面白いものはできないと退屈していたところもあり、最近は敷地やお施主さんへの素直な反応はしつつ、なるべく遠い世界を参照するようにしています。

もともと建築みたいな「大きいもの」を作ることは苦手意識があったんです。柱や梁、それに貼っていくプラスターボードや足場とかって自分で持ち運べないくらい大きいし、役割が決まりすぎている。じゃあなんで現しで使っているんだってなると思うんですけど(笑)それらを組み合わせた時に、今まで建築はこうあるべきだと言われていたものに対して、こういう前提で考えると違うよな、みたいな新しい価値観を発見したいんですね。それは、バナキュラーな古い価値観だけではなくて、現代の自分たちが必要としている、もしくは役に立つ、「それって実はあるよね」みたいな世界観をお伝えしたいというか。そのために建築を使っている、そういう感じです。

 

 

—実作(山田さんの自邸「daita2019」)のプレゼンテーションでは今まで見たことがないような独特な言葉を使われています。具体的な空間をイメージさせる言葉が、ほかの建築家の抽象的な言葉とは異なる気がするのですが、ご自身の言説について意識されていることはありますか?

 

自分で事務所を構えて8年ほどになるのですが、建築をつくるときの決まりはそれほどなく、具体的な言葉ということはあまり意識していません。設計を進めるなかで目の前の事に反応するだけではなく、自分たちの頭の中の可能性を広げるために、全然関係のない世界の合理性や世界観を参照することがあります。例えば「ゴリラの巣」という言葉の背景には、自邸の設計中にアフリカにいる母から毎日のようにゴリラの写真が送られてきていました。「こんなゴリラがいた」とか「こうやって喧嘩していた」とか(笑)。毎日の生活の中でゴリラを見て、アフリカに行ったときのことも思い出したりする一方で、設計中の模型と向き合っているときは、屋内部分と屋外部分をどうやったら風景として繋げていくことができるのか、一体の環境になるのかを考えていました。そんな時に「ゴリラの森みたいにつくっていったらいいのではないか」とアフリカでの風景と目の前の模型がシンクロし始めたのです。なので結果的にこのようにできた、というところがあります。みんな「ゴリラ、ゴリラ」と言ってくれてますが、そんなに引き合いに出すつもりはなかったんですけど…(笑)。一つひとつの言葉やイメージは、たまたま頭をかすめた世界のあり方が建築の方向性にぴったりきたというときに使っています。

 

 

—山田さんの作品では、構造体や家具など建築を作り上げている様々なマテリアルが等価で自由な存在に見えます。また、建築の内外を同じようにつくっているようにも感じるのですが、環境と建築という部分で具体的にどのようなことを考えて建築を作られるのでしょうか?

 

daita2019 (photo yurika kono)

 

これはプロジェクトによるのですが、たしかにdaita2019やmiyazakiでは、構造体と家具が積極的に等価になっていくような設計をしていました。daitaは屋内外の風景を繋げていきたい、というモチベーションが先にありました。面ではなく線を増やしていくために構造体を露出させていき、さらにその線を増やすために階段の手摺やささらなども参加させたことから、構造体の範囲があいまいに見える感じがあり、構造体や階段が結果的に家具のスケールや存在感に近づいていっていると思います。家具は元々持っている物もありましたが、自分で選べたということもあって、マテリアルを構造から家具まで横断的にコントロールできたところがあります。ただ、元々構造と家具を等価に・・・というスタートではなかったので、構造材がわりとしっかりフレーム感を持っているし、分かりやすい木造の現れ方をしていると思います。

miyazakiでは、建築の内外を繋げるというよりは、建築内部でいかに自由に、ランドスケープ的に場所を作っていけるか、ということを考えていました。そのとき、構造はなるべくフレームになってほしくないと思いました。miyazakiは2階に後々子供部屋を増築する計画なので、その形に合わせて1階のワンルームに柱が落ちてくるのですが、それをバラバラに見せるために、階段や家具と柱をなるべく均質にしていこうということになりました。daitaでは梁や筋交いも見せていますが、miyazakiは基本的には柱だけを現しにしています。

 

それから家の周辺環境から出てきたのではないイメージというか言葉が入ってくると、もともと敷地から建ち上げていた形式と、それをもっと良い方向に引き伸ばす合理性(言葉やイメージ)という全然違うところから来たものによって、アイデアがジャンプして行くような感じです。

普段から事務所で「あの時あれを見たのは面白かった」とか「ああいう環境あるよな」といった話をしていて、そういう話がいくつも頭の裏にあると、悩んでいる時にちょっと助けてくれる。設計していると、現実をただ解決していくだけでは結構しんどいなと思うことがあるのですが、そういうものをきっかけに進むことが多いです。そもそも私たちを取り巻く社会や価値観、その合理性が正しいのかは疑わしいところです。コロナで身動きが取りづらかったこともあり、ただ自分の身の回りの現実だけを見て、建築の全てを判断することに危機感をもっています。

 

 

—今進行中の住宅「miyazaki」(2022年春竣工予定)にはドライブさせてくれそうな言葉やイメージはありますか?

 

住宅の設計では、必ずどういう生活をされているのかを見させていただくために、一回はお施主さんの家に遊びに行くのですけれど、3 LDK の普通のマンションで、お子さんが小さいので、扉は全部開け放たれて一室空間として使っていました。そこに物がいっぱい置かれていて、ダイニングとキッチンや、なんとなくここで寝るんだろうなという場所はあるけれど、場所のあり方がすごく場当たり的で「遊牧民」みたいだなと感じたんです。狭い世界でちょっとずつ移動しながら生活しているみたいな。

そのスタディを始めたのが2020年の10月くらいで、ちょうど「U35」という展覧会に参加していました。その展示のために、先ほど話したような、自分達から距離のある世界観をたくさん見つけてみようと、スタッフとインターンの学生さんと一緒に世界中に散らばっている民話や風習、もののあり方や音楽など、この世界観はすごいというものを色々調べました。私たち現代の日本人からすると不思議な話ばかりでしたが、その理由を紐解いていくと、どんな合理性でできているかが見つかったりしました。その時にスタッフの一人がブルース・チャトウィンのソングラインという本を持ってきてくれました。この本はチャトウィンがアボリジニのコミュニティの中に入りながら一緒に生活し旅をした旅行記のようなものですが、このソングラインというものがとても面白いのです。アボリジニは元々は遊牧生活を基本としていましたが地図を持っていませんでした。それでどのように移動するのかというと、場所(聖地)に精霊(アルマジロなどオーストラリアの生き物)のイメージを投影しながら、それを歌にして聖地を辿っていくんです。その聖地は、実は彼らと一緒に暮らす動物たちの餌場や水場なので、生活するために必要なルートを歌で記憶しているということなんですね。部族によってそれぞれ違った歌を所有していて、それは非常に大切な情報なわけですが、部族間で歌を交換することもあるのだとか。オーストラリアの大地にそれぞれの部族が別の世界を描いていて、しかしそれらが繋ぎ合わせられる瞬間というものがあるということです。

 

「miyazaki」ではその話を思い出しながら考えました。間仕切り壁なんかほとんど何もないプランなんですけれど、ランドマーク的な階段や柱が集まっている場所や、そういう一つ一つの空間がランドマークになるような場所だけがバラバラあれば、クライアントはそれで生活するだろうと思ったんです。あっちの壁のこの辺には娘さんがいつもおもちゃを広げていて、こっちからこっちはお父さんとお母さんが仕事で使っていて、この辺まではダイニングでご飯を食べる場所……でもそれは流動的で、どっちかというと、ものが先にあってその周りを手がかりに生活していくんだろうなみたいな。まさにそういう生活をもともとクライアントがしていたし、そういう建築の作り方はあるよねという話になりました。生活する人それぞれが違うように家を見ている、というのもソングラインの話が頭にあったので自然と考えられたことです。

 

 

—G Aギャラリーで「miyazaki」の模型を拝見したのですが、今のものの話が現れていたなと感じました。模型表現やプレゼンのときに意識していることはありますか?

 

miyazaki (2022年春竣工予定)の模型写真

 

特に「miyazaki」を考えるときには一個一個のもののリアルさがとても重要でした。階段がどういう手すりになっているか、空間の中でどのくらいの存在感で佇んでいるかとか。1個1個の階段デザインが一緒である必要はない。むしろ、何か突出しているものがあった方がよりランドマーク的である。そういうことを言っているうちにどんどんカラフルになっていって…。そこでどう暮らせるかを私たち自身も模型の中で実験して実践しているんですね。ここにこうやって階段があって手すりがこういうのだったらここにランドセル引っ掛けるよな、こういうエリアは子供のエリアになるなとか、お父さんがシャツを引っ掛けるとここはゆるくベットルームエリアみたいな感じで仕切られるんだろうなみたいな。私たちが設営する建築の部材や階段と、彼らがきっと置くだろう家具などの物も同じように建築の環境として持ち上がってくるはず、むしろそれがないと家として認識されづらいだろうなと思っていて、自分たちの中でかなりしっかり確かめたかったし、確かめた状況を展示するのであれば、しっかり表現するべきだということで、かなり模型は作りこんでいます。

daitaに関しては、プラン的に真ん中からバシッと仕切られていて、内外がはっきり分かれているじゃないですか。それは施工的合理性や予算の制約によるものですが、そこが非常に強いので、どうしてもビルのガラスファサードみたいになってしまう。そこをどれだけ物が、人間が知覚している環境みたいなものが乗り越えていくかということを 1/20模型でスタディしていました。耐久性やメンテナンス性から外部は鉄骨のフレームシステムで内部は木造というのは他に選択肢が無さそうだったので、それを前提にしてもなお、もののあり方で内外関係をつなげていくことはできないかということを模型で検討していました。階段の手すりが線材としてかなり強調されたり、外部のマテリアルも「それを使うしかない」みたいな感じで内部に入れたりしました。ダイニングテーブルやその上に置くペンダントライトなども含めて、どうにかその壁のようなものを乗り越えていけるように祈りながら作り込んでいった感じでしたね。

 

 

—模型を主体にスタディされていると思ったのですが、例えば模型写真をあらかじめ撮っておくとか、模型と図面以外に、事務所内で打ち合わせの時に用意する特殊なものはありますか?

 

模型写真は結構撮りますね。その中で編集して模型に反映させたりはします。模型をのぞいて最終確認はしますが、写真で撮ったときにどのぐらいの密度で物があって、それが新しい価値観を生んでいるかどうか、まずは模型写真でみんなの頭を整理して、次に模型写真の編集で実現して、 それを模型に反映して、 その話がちゃんとできているかどうかを確認しています。これは、平面や断面・立面などの図面でも同じようなスタディを行います。

 

 

—このインタビュー中にも何度かお子さんの姿が見えましたが、山田さんの1日の流れや、普段の生活を聞かせてください。

 

自分のタイムラインを規定していくのは子どもなんです。息子が6時前に起きて、学校に行く前に絶対遊びたいと言うので…(笑)、なので朝ごはんの前に一緒に遊ぶんです。そのあと朝ごはんを食べて、学校の支度をしたりして、8時にお友達が我が家の庭に集合して学校に行くのですが、その時やっと自分の朝の時間になった、と思います(笑)。事務所に行くのが9時半か10時ぐらいなので、その間は片付けたり、庭の手入れをしたり。あとは、虫とかトカゲとか、結構生き物がいるんです、家の中に。その世話をしたり、自分の時間として本を読んだりしています。1日の中で本当に貴重な時間です。そこから徒歩10分くらいにある事務所に行って、このプロジェクトどうなった、あのプロジェクトどうなったと、担当者と話をし始める感じです。事務所の時間はスタッフと話をしているだけでほとんど終わってしまうぐらい、ずっと話をしていることが多いです。スタッフもとにかくよくしゃべる人たちなので賑やかです。

何にも予定がない日はずっと事務所にいますが、打合せや現場に出かけることも増えてきました。春学期は午後から大学に行くことも多かったです。でも基本的には、何にもなければ18時半ぐらいには家に帰ります。子供がいる家庭ではそれでもかなり遅いほうだと思うのですが、一緒に生活している私の両親がご飯を作ってくれるので、18時半ぐらいに家に帰ったら子どもをお風呂に入れて、夕ご飯を一緒に食べて…。20時になったら寝る準備開始なので、歯磨きして、ベットに入って絵本を読んで、遅くても21時までには寝かせるようにしています。でも、一緒にベッドに入るとなかなか子どもが寝ないので、私も寝たふりをするんですよ。で、寝たふりをしてると私の方が先に寝ちゃうんですよね。なので大体21時に寝てますね(笑)。多分日本で1番早く寝る建築家だと思います(笑)。

 

 

—ご両親のお話が何度か出てきましたが、建築以外で影響を受けているもの、例えば民話や民族、アフリカなどはお母様からの影響を受けて、子どもの頃から興味を持たれていたのでしょうか。

 

母はドキュメンタリーディレクターだったので、アフリカや北極、ロシアや南米に行って、日本にはいない動物を1年とか2年かけて撮影する人だったんです。海外のいろんな変なものや動物をドキュメンタリーとして撮る時に、元々その地域にいた人がその動物をどういう風に考えていたのかみたいなことも結構話題に挙がるんです。神として崇められていたとか、最近は密漁されているとか。そうすると、その地域の本が母の本棚に常にあって、直接すべて話をするわけじゃないんですけれども、本の背表紙から、全然日本とは違う生活をしている人たちのスタンダードとか歴史みたいなものについて、そういうのがあるんだなって眺めながら育ったところがあるかなと思います。自分が読む本に関しても、旅行に行けないこともありますが紀行文は結構好きですし、あとは物語が好きというか読みやすいですね。現代の生活だけが前提になっている話というよりは、現代の生活がベースになっていながらもちょっとその時空間を揺るがしていくような話が面白いなと思って読んでいたりしますね。

 

 

—最後に、学生時代にやっておいたほうがよいことなど、学生に一言お願いします。

 

皆さん建築設計事務所に入って5年とか長い人だと10年ぐらい仕事して、独立したりするじゃないですか。特に30代くらいに自分の名前で何かやるようになるときには、建築をどれだけ知っているとか、建築のことをどれだけ考えたかってことでもなく、これからの社会に向けて大事だと思える価値観みたいなものに触れてきたかどうかが、非常に重要になるんじゃないかなという気がします。よく学生さんに「何をしたらいいと思いますか」と聞かれますが、「建築以外のことも真剣に」と答えています。建築のことだけをすごく真剣に考える時期があっても良いと思うんですけれど、学生時代は、あまり建築の中にとどまらずにその前提となる自分の価値観、音楽なりスポーツなり文学なり映画なり、本当に自分が好きなものを楽しく、非常に真剣にやったらいいんじゃないかなと思ってます。

 

—ありがとうございました。

 

学生インタビュアー:鷹野魁斗 西尾昂紀 藤澤太郎 前本哲志 吉田真緒

掲載写真:山田紗子建築設計事務所 提供

 

 


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