日本滞在の限られた時間を縫って今回の島巡りは行われた。道中の名所には目もくれずピンポイントで目的の島の村落を訪れることとなった。夜行バスとレンタサイクルという安価な旅の足は、この歳になってもまだ旅情を掻き立てるものである。
バスが博多駅に到着するころには雨は本降りになっていた。駅構内で簡単な朝食をとり、駅員に博多港へと向かうバス乗り場を訪ねた。会社へと向かうサラリーマンが傘の雨粒を落としながら市の循環バスに乗り込んでくる。船の出港までは時間があったので待合所の大きなアクアリウムを眺めて時間を過ごした。対馬の厳原港までは途中壱岐を経由して高速船を用いて2時間と少し。白と赤のヴィーナス号は小雨が降りしきる博多港を出発した。夜行バスでの寝不足からかすぐに眠りに落ちた。
対馬は国際法上はもちろん日本の管轄であるが、地図を眺めると韓国からの方が距離的に近く、よって文化的に朝鮮半島の影響を強く受けている。島の看板には日本語とハングルが併記され、街を行き交う観光客の大半は韓国語を話しているように感じられた。ひとまず厳原の港を抜け、街の観光センターを目指した。厳原の街は一見ありふれた地方都市のありふれた風景と言っても差し支えない変哲のないものだった。
島での最初の目的地は椎根の集落だった。そこには日本でここ対馬にしか見られない板状の石で屋根を葺いた高床式の倉庫群があるということだった。椎根の場所はここ厳原からちょうど島を横断した反対側に位置し、直線距離で10㎞程だ。レンタルサイクルの返却時間を考慮すると時間的猶予は十分と言えなかったが、ペダルをこぐ以外の選択肢はなかった。道中はアップダウンの激しい山道で息が切れたが、その合間におとずれるのどかな田園風景にシャッターを切った。厳原を出発して1時間と少し、目的の椎根集落に到着した。
この椎根集落の特徴は前述のとおり、石で屋根を葺いた一連の小屋群である。
それらは母屋と独立して川沿いに小気味よく並んでいる。これらは等しく中央に高床式の木造の倉を有し、その周囲をぐるりと木の柱を配し、それらがこの重厚な粘板岩の屋根を支えている。プランで見ると倉部分の柱は平柱と呼ばれる幅のあるものを用いており、内部空間は中央で2分割されているのが分かる。
主な用途としては穀物を収納するための倉庫であり、他にも衣類や貴重品の保管にも用いられる。また軒下は農作物の乾燥や農・漁具の修繕などの作業場としても活用される。
石屋根はその堅牢な造りから台風の時には村の避難場所となり、他にも村で死者が出たときの忌み小屋、出産時の産屋といった機能も兼ね備えており、もはや単なる倉庫を超えた地域のマルチな寄合所となっている。
石で屋根を葺く理由としては主に強風への備え (この地域には冬に北西から強い風が吹く)、火事の延焼防止といった効果が期待されている。石は島内で産出される「島山石」を用いている。製材した石を葺くのは重労働であり、それらは地域住民の協力のもと行われた。つまりこの石屋根は集落共同体の社会的結束の産物と言える。屋根を作るために人が集まり、屋根のもとに生活の糧を収め、時に屋根のもとに集い嵐をしのぐ。そして屋根のもとで生命が生まれ、死ぬ。まさに村の風俗を表象する存在となっている。
これらの小屋は現在でも更新されながら日夜雨風を耐え忍んでいる。柱を置き換えたり、屋根を葺き替えたり、トタンで覆って軒下を内部化したり。この特異な小屋の風景は島なりの近代化を進めているようだ。
目的の風景を無事拝むことができ、安堵のもと帰路についた。
道中、無機質な白いボードで囲われた農家の小屋を見かけた。
納屋だってモダニズムにあこがれる。
参考文献:
「小屋と倉」 安藤邦廣+筑波大学安藤研究室 / 建築資料研究社
「風と建築」 / INAX出版
foto:yujiharada