山本恵久
1961年 東京都生まれ/1986年横浜国立大学大学院修了/1986年日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社、建築雑誌「日経アーキテクチュア」に配属。以後、日経アーキテクチュア、日経CG(コンピューターグラフィックス)、日経エコロジーなどの副編集長を経て、2006年3月より日経アーキテクチュア編集長、2008年9月より現職/ 2008年日経BP社 建設局(日経アーキテクチュア)プロデューサー/ 現在同上
「日常の関心が後押しする編集という仕事」
—学生時代はどのような活動をされていましたか。
大学は意匠ではなく、建築計画の野村東太先生の研究室に所属していて、学部4年と大学院を合わせた3年間は精神医療施設の建築計画を研究していました。建築計画のリサーチでは、吉武泰水先生の流れでタイムスタディをメインの手法にしていました。どこで何が起こっているのかが分かりにくい医療・福祉施設の入院病棟に例えば24時間詰めさせていただき、医師や看護師、患者さんら全員が、どういう行為をしているかを5分置きに記録する、というものです。病棟内に交代制で3、4人を配置し、5分ごとに分担エリアを回って人々の動きを記録するといったスタディを、他の人の研究の協力も含めて様々な施設で行いました。その記録から多変量解析などで傾向を出して分析し、それを基に論文を書いています。学会論文などを提出する前には、なぜか文章や数字をチェックする役割になっていましたね。振り返ると、いまの編集の仕事に近いこともやっていたんだなと(笑)。
—具体的に建築のジャンルの中で編集の仕事を志すようになったきっかけは何ですか。
中学・高校生時代から映画が好きで、映画雑誌を愛好していたのが、出版への関心を持ったきっかけの一つです。特に、ものづくりの現場がうかがえるようなインタビュー記事がとても好きで、そういうメディアで人に何かを伝えるということもおもしろそうだなと思っていました。そんな経緯で雑誌や出版に興味を持ち始めていたので、必ずしも建築雑誌を志望していた、ということではないんです。
また当時、建築の就職状況が本当に悪くて、就職浪人する人も多かった時代です。たまたま日経アーキテクチュアに研究室の先輩が入っていて、話を聞きにいったらおもしろい仕事だよという話をされ、日経BP社(当時・日経マグロウヒル社)の入社試験を受けることにして今に至っています。当時、日経アーキテクチュアは創刊10年目くらいになっていて、建築学科の出身であれば、まずは建築雑誌に配属されるという流れでした。ただ全体でみれば、日経アーキテクチュアの編集部には、建築学科の出身ではない人も少なくないですし、社内のメディア間での人事異動もあるので、私も建築系ではない雑誌をいくつか経験しています。ですから、学生時代に学んだことを直接的に仕事に活かしてきたというよりも、入社してから学んだことが多いという感じですね。
「建築と社会の関係をありのままに伝える」
—現在、山本さんは日経アーキテクチュアへはどのように関わっているのですか。
2008年まで編集長を務めた後、現在はプロデューサーという職になっています。建築を伝えるメディアには、雑誌のような定期刊行物以外に、インターネット、イベント、書籍などがあります。それらを組み合わせることを工夫する必要があるほか、今までになかった発想のビジネスも探さないとなりません。ご存じの通り、出版業界は非常に厳しい環境にありますので、従来とは違うビジネスのモデルも考えないといけない状況だと認識しています。それは難しいテーマなのですが、プロデューサーという立場から試行錯誤を進めているところです。いわゆるSNS(ソーシャル・ネットワークキング・サービス)も含めた情報環境の発展などにも目を向け、新しいメディアのあり方を考えたい、という思いもあります。
—日経アーキテクチュアという雑誌について教えてください。
建築が、社会とどう関わっているのかをありのままに伝えることを大前提にしています。ただ、日経アーキテクチュアは一般書店では販売しない予約購読制というスタイルで、デベロッパーなど発注者側の企業の中にいる方にも読んでいただいてはいますが、それもやはり建築・建設関係の方だと言っていい。それ以外の一般の人の目に留まる機会は非常に少ないだろうと思います。業界内の専門家に向けたメディアなので、社会に対する広がりという意味ではジレンマも抱えてきました。構造計算書の偽造事件が2005年に起こりましたが、そうした事態に至る前にジャーナリズムがしっかりと機能していたのか、ストッパーとなることはできなかったのかと自問せざるをえなく、建築界と社会の橋渡しにはなりきれていない限界を感じることも多々ありました。
日経アーキテクチュアの出版頻度は、月2冊に加えて特別号を出す月が2回あり、年間26冊の体制でした。2011年からは月2冊で年間24冊になります。発行部数は、建築・建設が好況の頃は約6万部に達した時期もあるのですが、現在は約4万部です。合わせてケンプラッツというウェブサイトを設けているので、伝える回路自体は広がっていますが、紙の媒体の部数を伸ばしていくのが難しい状況になっているのは確かですね。
インターネット関連では、2000年前後から日経アーキテクチュアに掲載した記事は基本的にすべて電子化していて、PDFなどで記事ごとに購入できるようになっています。それから年間の縮刷版をDVDで発行していて、どちらも意外と知られていないんですよね。購読者でない方にも活用してほしいサービスです。Y-GSAの学生さんにもオススメします(笑)。日経アーキテクチュアを読むと、建築を発注している側などにも視点が広がるはずなので、思考のバランスが良くなると思いますよ。
—日経アーキテクチュアが他の建築雑誌と違う所は何ですか。
日経BP社は、新聞社のグループ会社なので、雑誌といっても、新聞型の発想が強くあると思います。当事者である建築設計者に原稿を書いていただくスタイルのメディアもあるわけですが、日経アーキテクチュアやケンプラッツは原則、記者自身が第三者として、設計者や施工者、発注者、利用者・居住者など関係者に取材して記事をまとめています。当然、設計者から見れば口当たりの良くない話もありますが、実態として起きていることを報じることが、発注者をはじめ社会のためにも、そして設計者のためにも望ましいというのが基本的な考え方です。建築をとりまくもっと広い世界の人たちが、どういうふうに建築にかかわっているか、どういうふうに建築を見ているかということを大切にしています。
分かりやすいところでは、かつて『有名建築その後』というシリーズ企画があり、書籍にもしていますが、著名な建築が完成後10年なり20年経つ間にどのように使われてきたかを記事にしていたことがあります。建築は、できた時点ではなくて使われ始めてからが勝負なので、完成後を含めたライフサイクル全体をきちんと追いかけるというスタンスです。建築に対する理解を深めるためには、重要なことだと考えています。
ほかには特色として、読み手の感想を知り、意見を反映させるために、毎号100人以上の規模で読者アンケートをとっていて、常にそのニーズをフィードバックさせながら企画を検討したりもしています。
—これはやって手ごたえがあったという特集は何ですか。
個人的に思い入れがあるのは、もう5年前になりますが、「社会と触れる『課外活動』」という特集で、建築界の人や団体が、自分たちの仕事の普及・啓発活動をどのように行っているか、社会とどのように接しているかを総合的にリポートしたものがあります。「建築家のイメージ300人調査」などというのも、その中で行いました。これは、建築と社会の関係に関心のある方からの反応が良かった、と感じています。何らかの形で、その続編みたいなものを手掛けたいな、とも思っているんですけれど。この方向での、ちょっと変化球の特集としては「建築を元気にする18人の提言」「建築と社会をつなぐ15人の提言」といった、異分野の方に建築界に対して提言していただくような特集も試みています。
ほかでは私の編集長在任時に力を入れていたのは、耐震偽装の事件以降の建築基準法、建築士法の改正の動きを追ったもので、これは当然、読者の方からの反応は非常に良かったですね。それから2008年の「労働実態調査 『格差』建築界」は、建築界の給与や労働時間の実態を調べたもので、学生さんの関心も高かったようですよ。私がかかわっているものではないですが、書籍化もしている「建築巡礼」のシリーズは、モダン建築編、ポストモダン建築編と長期にわたって続いていて、雑誌にとっての売り物の連載になっていると思います。
「さまざまな情報メディアを組み合わせた新たなメディアを開発する」
—雑誌とインターネットはどのような関係にありますか。
ウェブサイトのケンプラッツは、実は結構歴史が長いんです。インターネットの活用は必須であるという認識から、かなり早い時期から取り組んでいます。ウェブサイトでどのように収益を上げるかは試行錯誤が続いていて、今年(2010年)は有料会員制のサービスも始めたりもしています。
ヒアリングなどを行ってきた感触でも、やはりある世代以降は、雑誌にアクセスするというよりはまずインターネットで検索、というふうになりますよね。そこでキーワードやテーマをピンポイントで拾ってきて、仮にそれを深く知ろうとするときは、雑誌というよりは書籍に頼るようなことが多いのではないでしょうか。ウェブの情報は無料という認識の人が大半だと思いますので、有料のコンテンツとしての価値を認めてもらうためには、色々と工夫が要るのだろうと思います。
—個人的な興味はどのような方向に向いていますか?
建築を単体で考える、ということへの関心は、だいぶ薄くなっています。日本では、単体のレベルで意匠面や技術面、品質面のクオリティの高いものはたくさん生み出されるようになっています。そのための情報がもう必要ないということではありませんが、個人的にはむしろ「街」とか「都市」をどうするか、というテーマに関心が向かっていますね。雑誌やウェブでも、十分には取り上げることができてこなかったテーマです。情報環境の進展との関係で、これまでのまちづくりやコミュニティづくりのあり方から、さらに一歩推し進めたものが考えられてもいいはずですし、社会的なテーマとしても重要だと感じています。単純に言えば、次の世代にどういう環境を渡せるのかということですね。
私はいま、郊外と言っていい千葉県内の小さな街に住んでいますが、歩いていても良いなと感じる場所が少ない。都内の街並みなども、もう少し何とかならないのかと感じる場所が多い。建築にかかわっている人の工夫が、その場所の魅力を上げた事例なども少なからず見てきたので、そうやってひと頑張りでもしたものが増えてくるといいな、と思っています。そこに住んでいる人の日常を、大きく左右するものでもありますからね。建築だけの問題ではなく、行政や発注者などにも考えてもらわないといけないことなので、そこにメディアとしてどう貢献できるかが、やはり課題ですね。
まちづくりについては、成功事例に学びたいけれども知る機会があまりない、といった声を聞いたこともあります。私たち自身も調べ切れていない題材なので、まちづくりとしてうまく進んでいるケースを掘り起こし、そのプロセスなどを取材して伝えることが、もっとできるとよいなと思います。建築関係の方にも積極的に関心を持ってほしいですし、ご意見なども教えていただきたいテーマです。
—学生に対してメッセージをお願いします。
この1~2年で取材し、記事などにさせていただいた中だけで考えても、とても示唆に富む動きが増えてきたと思っています。街や都市についての話を先ほどしましたが、例えば建築家の藤村龍至さんが取り組んでいるような、建築と都市の関係を焦点にした活動は、若い世代にもインパクトを与えているはずです。使われ始めてからが勝負、ということでいえば、ランドスケープアーキテクトの山崎亮さんが手掛けている公園や商業施設、街を対象とするマネジメント活動や、空間デザイナーの李明喜さんらが手掛けている時間構造や人の行為に着目したプロジェクト(pingpong)にも関心を持っています。また、これも先ほど話したSNSでいえば、Twitterのようなツールが今はありますが、これが20代のときにあったら、コミュニケーションの広がりを得るのに役に立ったのだろうなと感じています。こうした建築の可能性を広げるような活動や技術に積極的に触れ、視野に幅を持たせることは建築の仕事に就く上でとても重要になるはずです。まさにメディアの変革期にあるのが今なので、新しい発想で、新しい世界を切り開いてほしいですね。現代社会にふさわしい建築や空間のあり方を考えていってほしいです。
インタビュー構成:秋山照夫(M1)、井上湖奈美(M1)、佐伯亮太(M1)
写真:小泉瑛一(H22卒)