山倉礼士
1976年東京生まれ。2001年横浜国立大学大学院修了。住宅会社勤務を経て、株式会社商店建築社に入社。現在、月刊「商店建築」編集長。
—山倉さんは学部は8講座(設計意匠研究室)、大学院は1講座(建築史研究室)ですよね。どんな学生時代だったのでしょうか。
最初に言っておかなければならないのですが、僕はそんなに建築に対して頑張っていた学生ではなかったんですよ。他の学部の仲間たちと遊んだりしていて、三年ぐらいまではわりとひどかった(笑)。卒業設計もぎりぎりで出して卒業させてもらったような感じです。大学院に行ってから、ようやく落ち着いて建築に向き合ったように思います。
—設計事務所にアルバイトに行ったりしていましたか?
手先が器用だったので、学部の最初の頃から設計事務所にアルバイトに行きました。模型づくりはわりと得意でしたね。それが縁で、藤原徹平さんの卒業設計の模型を手伝ったりもしました。教授陣には北山恒さんたちがいて、建築というのは生半可な気持ちでやる仕事じゃないということを4年間でひしひしと感じました。
同級生にも西田君(ON design 西田司氏)など、学生の時からなにかやりそうな感じで動いていた人もいましたね。今になってみると、そうした設計に対する”情熱”のような部分を身近に感じられたのは、現在の仕事にとても役立っているように思います。
—大学院ではいかがでしたか?
意匠とともに興味があったのが、横浜にも数多くある歴史的な建築だったんです。そこで、現存する建物を実測調査に行ったりしていた吉田鋼市先生のいる1講座に移りました。神奈川県内の邸宅や旅館など、普通では入れないような名建築を実測調査し、図面化したのはいい勉強になりました。写真で見ても、実際に入ってみないとわからないことが山ほどあるんですね。修士論文では、近代建築の保存と活用がテーマでした。活用がリアルタイムで進行していた横浜で学べたのは、とても貴重な経験だったと思います。
—そして卒業後、どのような経緯で商店建築社に入社されたのですか?
卒業して最初は住宅系の会社で現場管理の仕事をしていました。やりがいのある仕事でしたが、ちょっと他の経験もしてみたいと思ってしまったんですね。ちょうどその頃、たまたま商店建築が人を募集していたんです。昔から良く知っていた雑誌ですし、面接に行ったらとても楽しそうに仕事をしている編集長がいて、働き始めたら毎日面白くて、はまってしまった(笑)。
取材を通して会いたい人に会いに行けるし、そんなに堅苦しくない会社なので、雑誌の方向性と合えば、一人ひとりがわりと好きなことができる環境でもありました。夜な夜な原稿書いたり、撮影に立ち合ったりしてとても忙しかったけれど、それ以上に楽しさを感じていましたね。雑誌の編集というのは未知の仕事でしたが、どんどんのめり込んでいったというのが正直なところです。
—どのように編集の仕事を覚えていかれたのでしょうか?
商店建築の編集部は、空間デザインや建築が好きな人、ファッションが好きな人、それから雑誌づくりが好きな人などいろんな人が集まっています。そこで、決まりきった仕事の進め方があるわけではなく、先輩たちの取材を見て覚えていきました。3ヶ月くらいしてちょっと慣れてきたら、ポーンと一人で取材担当として動くようになるというスタイルでした。最初は取材先で怒られたりもしながら、だんだん自分なりの仕事の進め方を身につけていきました。
—え、何を怒られるんですか?
「そんなことも知らないのか」と。店舗のデザインは日々進化していて、例えば同じブランドでも3年前はこうだったけど今年からこのテーマに変わったというように流れがあるんですね。時間があればいつも街を歩いてお店を見ていました。
また、商店建築というのは古くからある雑誌なので、期待されることにうまく応えられなかった、ということもあったと思います。デザイナーからすれば「こう見せたい」という希望がありますから、常に真剣勝負です。入社したばかりでもぬるい仕事はできない環境でした。
僕たちは素敵なお店を見ると、このデザインをどう誌面で紹介すべきかを考えていくわけです。ここは夕方の写真を使おうとか、家具のディテールが見えるカットも撮ろうとか。そこには「編集側の意図」があって、空間の魅力をどう表現するかということをすごく考えます。そこで、設計者の意図とぶつかることもありますし、誌面構成で見え方は大きく変わるので大きな責任のある作業です。また、空間をつくる人への敬意がないとできない仕事ですね。これは、学生時代に真剣に建築に向かっている人が身近にいたことで、自然に身に付いた感覚かもしれません。
—編集長である今と編集者だったときとでは仕事の質は変わりましたか?
動き方はかなり違いますね。一担当者として動くのは、責任を持ってくれる人が上にいるから目の前の取材対象だけを見てまっすぐ向かっていけるわけです。そこで一番いい話題を引き出してくるという面白さです。今の役割は、全体を見るということですね。雑誌になったときの総合的なクオリティーを考えつつ、内容や見た目をコントロールしていくというのはなかなか難しいですが、夢中でやっているところです。インタビュー取材などでみっちり話を聞くことが減ったのは残念ですが、人に会ったりお店を見に行くことは変わらず続けています。
—取材先や企画はどうやって決まるんですか?
企画っていうのは、ただ受け身で待っているようなものではなくて、自分たちで情報収集することで生まれるんですね。いい情報をたくさんもっていれば、いろんな切り口が見えてきます。あとは企画会議で、それぞれの興味や提案をぶつけあって、精度を高めていくわけです。僕たちの雑誌では取材対象と読者層が重なっている部分があるので、日々会っているデザイナーたちがどういう情報を知りたいか、何を見たいか話を聞くことでアイデアを発見することも多々あります。
—素材や照明などの特集を組んでいるのも特徴ですよね。
そうですね。店舗や商業施設のデザインでは、照明や個性的な素材が活躍するシーンが多い。最近だと、映像や音を使ったインタラクティブな仕掛けを使った空間が増えていて、デジタル技術の特集をしたこともあります。この夏は、節電の照明計画の特集も掲載しました。店舗は流行り廃りのサイクルが早いので、なるべくタイムリーに紹介していくようにしています。例えばそれまで高級ブティックでしか見られなかった光の使い方が身近なショッピングセンターにも登場したり、そういう動きは取材をしていて実感しますね。グリーンの取り入れ方なども日々進化していて、「ついにここまできたか!」みたいな感じで(笑)。
今は新しい情報が見られるメディアがたくさんあって、ショップができたらすぐにファッション系のサイトで記事になっていたりする。おっ、さすが早いなーと思いますが、雑誌ではそのスピード感に対抗するのは難しい。それに対して僕たちの雑誌では、今の空間デザインの流れをその時々でまとめて発信していこう、という意識はありますね。お店って、10年20年ずっと営業しているところもありますが、多くはどんどん変化していきます。商店建築が果してきた役割は「時代を記録する」ということだと思うので、そこは大事にしていく必要を感じています。
—商店建築は主にインテリアの物件を扱う雑誌ですが、インテリアと建築の違いについてどう考えていますか?
インテリアと建築という言葉が表す意味は違いますよね。学校で学ぶことも違うでしょう。店舗のインテリアと建築ということで言えば、そこに求められる機能は異なる部分が多くあって、店舗インテリアでは売り上げに直結することやブランドのイメージを向上させることが命題になります。建築とは耐用年数や予算などの条件がまったく異なるので、目指すところが異なってくるのは当然とも言えます。数億円の予算で何十年もつ建物を建築家が設計している間に、店舗デザインのプロたちは数百万、数千万の費用で毎月5件,6件も店舗を手掛けているわけです。その結果、建築をつくる人とインテリアをつくる人とでは、お互いに話しが通じない、というケースも現実社会ではあるようですが、それはもったいないですよね。
デザインする上では、インテリアも建築も違いはなく、人が入ったときに心地いい、とか周辺との関係を良くしたいとか、考えるべきことは同じで、双方が連携しないとできない表現がある。そこを垣根なく飛び越えたデザイナーやディレクターがいる仕事は、素晴らしいものになっていると思います。規模にもよりますが、今はインテリアと建築を分けて考えるのではなく、双方に目配りできる人がいいものを実現しているように感じます。
—最後に、学生に向けて一言お願いします。
これ、かなり難しい質問ですよね。一つ言えるのは、何をしたいか自分で考えて進んでいくことが大事だと思います。時間の使い方は何があっても自分で決める、という風にしていくと悔いもないですし。学生の時って楽をしようと思えばできるけれど、「ほったらかし」にされたときに何をするか、何ができるかということはとても大切です。
この大学は使おうと思えば使える先輩がいっぱいいて、とても環境が整っていますよね。それをうまく活用すると良いのではないかと思います。それから、アートや風景など実物をどんどん見に行ったり、他分野のクリエーションを学ぶ人と交流したり、いろんな人に会って刺激を受けるのは楽しいですよ。
インタビュー構成:北林さなえ(M2)、諏訪智之(M1)、森本一寿美(M1)、後藤祐作(B4)
写真:石飛亮(M1)