畝森泰行
1979年岡山生まれ / 1999年米子工業高等専門学校卒業 / 2002年横浜国立大学卒業 / 2002-2005年西沢大良建築設計事務所勤務(大学院在学時) / 2005年横浜国立大学大学院修士課程修了 / 2005-2009年西沢大良建築設計事務所勤務 / 2009年畝森泰行建築設計事務所主宰 / 2012年第28回新建築賞受賞(Small House) / 同年-Y-GSA設計助手
–畝森さんは高専から建築を始められています。その時期のお話を聞かせてください
父親が大工なんですが、その影響が大きかったと思います。高専を薦めたのも父親で、息子には職人になるよりも図面を描く仕事の方がこれからは良いと考えていたようです。ただ米子高専に入ってから少なくとも3年生までは建築に興味が持てなくて、硬式野球を必死に頑張っていました。野球部を引退した頃に友達が安藤忠雄さんの作品集を見せてくれて、建築家がつくる建築を初めて知って印象深かったです。その後、高増佳子さんという方が高専に赴任され、若い建築家のエネルギッシュな姿を目の当たりにして、だんだん建築に興味を持ちました。
–なぜ横浜国立大学に編入しようと思ったのですか?
なるべく東京に近い大学で建築を学びたいと思いました。色々ある大学のなかで横国を受けたのは、同じ米子高専から横国に編入した吉村寿博さん(interview
#011掲載)がいることを知ったのと、ちょうど高増先生がSDレビューに入選されて展覧会を見に行った時、西沢立衛さんの「ウィークエンドハウス」も展示されていて、すごく印象的だったんです。その後、住宅特集に掲載されたその建築を見て、西沢さんが学んだ横国に行きたいと思いました。
–横浜国立大学に編入されて
入学時に2年次編入ということを知らなくて、それを知った時、かなりショックでした(笑)。でも高専ではなかった抽象的な課題から学べて、今は2年次編入で良かったと思います。最初は建築へ向かうアプローチのギャップに戸惑いと焦りみたいなものがありました。一方で経験が長い分、自分がまわりを引っ張っていかなければ、という責任感もあったと思います。
–建築以外は何かされていましたか?
熱気球サークルに入っていました。気球って自由に飛んでいるように見えるけど、実は上下移動しか出来ないんですよ。高度に応じて風の向きが若干違うので、微気候を読むように風を察知して平面的な方位をつくっていく。気球って奥が深いんですよ。
–建築の考え方っぽいですね(笑)。
確かにそうですね(笑)。
–当時影響を受けた建築家は誰でしたか?
たくさんいますけど、若手の建築家で注目していたのは西沢大良さんと立衛さんですね。大良さんの建築は最初よくわからなかったんです。初めて「大田のハウス」を見た時も違和感を感じていました。でも「規模の材料」という論文を読んで衝撃を受け、一気に見方が変わったと思います。
–それで西沢大良さんの事務所に行こうと?
そうですね。友達に紹介してもらってバイトに行きました。それで2週間経った頃に”大学を休学してこの集合住宅を担当しないか?”と言われて。二つ返事で「いいんですか、担当させてください!」と言っていました。
–西沢事務所時代に何か印象に残っていることはありますか?
最初に担当した集合住宅は、地下がコンクリート打ち放しの駐輪場になっているんですけど、現場の人が失敗して汚くなってしまったんですよ。それではクライアントに渡せないから、モルタルで薄塗りさせてくれと現場監督に言われ、塗ってもらっていたら、それを見た西沢さんがすぐ止めさせたんです、途中にも関わらず。 “せっかく打ったコンクリートの素材を大事にしなさい、それを化粧みたいに隠しては絶対に駄目だ”と怒られてしまいました。そのことがすごく印象に残っていて、それ以来素材も含めたモノに対する考え方が大きく変わりました。
あと、西沢さんは建築の構造的な部分、軸組や基礎などの隠れてしまうところも非常に気にされます。建築の原理や成り立ち方をすごく重要視されているのだと思います。表面的な事だけを考えていてもだめで、建築の骨格を含めた根本的な部分が重要だと。そういった考え方はすごく影響を受けましたね。
–駿府教会を担当されていた時のことを教えて下さい。
駿府教会は僕が最後に担当した仕事です。大変だったけど良い建築ができたと思っています。ただ、それを実感したのは実は外壁の足場が外れてからで、その時までは無我夢中でしたね。足場が外れたときに何というか・・・時空を超えていた(笑)。駿府教会は内観の方が印象的かと思うんですが、街に対する建ち方がすごいなと思って、これは良い建築になるなと思いました。
–独立しようと思った経緯を教えて下さい。
駿府教会のとき、色々な事情で工事中の未完成の状態で礼拝をしたことがありました。まだ玄関扉が付いてなかったので、目の前の電車や車の音が聞こえるなか無理矢理礼拝が行われたんですが、それがとても印象的だったのです。建物は未完成で賛美歌も電車の音でかき消されるなか、それでもみんなで必死に声を振り絞って祈りの空間をつくっていく。その姿や建築のあり方にとても感動しました。空間は人間によってつくられる、ということをダイレクトに実感し、僕もこういう建築を目指したいと思ったのが独立のきっかけです。30歳という節目だった事も重なって独立することに決めました。
–独立されて本格的な最初の仕事がSmall
Houseだったのですよね?
そうですね。独立するときっていうのは仕事の話はいくつかあるんですよ。
6、7件話があって、でも実際に動くのは全然ないんですよね(笑)。唯一動いたのがSmall Houseでした。
敷地は都心の密集地なんですけど、その中でもさらに小さい住宅を作りました。フットプリントを小さくした分、周りに空地ができて基本的にどこでも開口が空けられる。各階が1つの用途になるので、全ての部屋が全方向に外壁を持てるようになっています。これだけ密集していると高さによって環境が全然違うので、室内の用途や廻りの環境に応じて階高や窓の位置を決めています。
–さっきの気球の話ともつながってくるのでしょうか?
あぁ!そうかもしれない(笑)。でも、経験って大きいですよね。僕の実家は、父親が若い頃に作った隙間風が入ってくるような古い家なんですけど、そういうところで過ごしたのは大きいですよね。周りにそんなに閉じない感覚というか。
–大きな窓が印象的です。
確かに目立つとは思いますけど、僕としてはそこまで主張するものではないです。開口部を考える上で、壁があってそこにトリミングするように窓を配置したくなかったんですよ。光や風って本当は形とか大きさはないじゃないですか。でも住宅の中に取り入れるときに、知らず知らずのうちに大きさを限定しているんですよね。そこに疑問を持っていて、当然骨組みは出るからそれを無視することはできない。でも骨組みがあって壁があって、その次に窓があるんじゃなくて、骨組みと窓、環境と建築がダイレクトに繋がれないかなと思って、骨組みをそのまま窓にしたんです。1つだけ通風用の小さい窓があるけど、それ以外は全て骨組み=開口部です。
–他に今進行中のプロジェクトはどんなものがありますか?
ちょうど現場に入った5階建ての住宅が進行中です。山手通りに面した角地で、Small
Houseよりも小さい猫の額のような敷地です。クライアントは鞄屋さんをされていて、そのお店が2階に入り、その他は住宅です。地面に近い下階は天井が高く、上階にいくに従って低くしています。高さに応じて変化する明るさや風景と、それによる室内の差をもっと大きくしようとしました。当然構造が負担する応力も変わってくるので、下の方は極端に柱と梁が大きく、上にいくと逆に柱と梁が小さくなっていく。つまり、下階は天井が高く壁に穴が開いた上昇するような空間となり、上階にいくと天井が低く、開口部も大きくなるので、外に投げ出されるような空間になる。環境の変化がそのまま建築と生活につながることをこの小さな住宅で目指しています。
–Small
Houseもそうですけど、建築の純粋性みたいなものを追求されている気がします。
どうでしょうか。敷地も狭いですし条件も厳しかったので必然的にこうなった面もあるかもしれません。でも、どちらかと言うと僕は純粋性というよりただ単純な建築を目指しているのだと思います。その建築を使う人や廻りの環境など色々なものを受け入れる単純で自然な建築をつくれないかなと試行錯誤しています。
–畝森さんは仕事をする上で作家性というものを意識されたりしますか?
–最後に学生に一言メッセージをお願いします。