プロフィール
篠原靖弘(しのはらやすひろ)
1975年生まれ。1997年横浜国立大学卒業後、環境共生住宅コンサルティング会社・株式会社チームネットにて、コーポラティブハウスなどの企画・プロデュースに従事。その後、工務店・設計事務所を経て、2012年、自宅を住み開きして、図書室「西国図書室」を開室。同年、株式会社N9.5の立ち上げに参加。ひととひと、ひととまち、ひとと自然が重なりあう暮らしづくりをテーマにした活動を行う。
(編集部注)
編集部員で相談をし、OBの篠原靖弘さんのところにインタビューをしに行こうと決まりました。たまたま同時期に横浜国立大学の環境都市デザインスタジオの方でも「これからのあらたな郊外住宅地を考える」というテーマで、篠原さんを含めた実際に社会で活動している3名をお呼びしてレクチャーが行われる事が分かり、インタビューに行く編集部メンバーでそのレクチャーを聴いてから改めて篠原さんにインタビューを行う事になりました。前半はその横浜国立大学でのレクチャーをまとめ、後半は現在の篠原さんの住まいであり、かつ住み開き活動の一環でもある「西国図書室」にお伺いし、インタビューを行った内容の二部構成になっています。
環境都市デザインスタジオ レクチャー「これからのあらたな郊外住宅地を考える」
篠原靖弘さんは現在、株式会社N9.5という会社で不動産業をベースに「まち暮らし不動産」という方法で、不動産仲介や建築企画、シェアハウスやシェアスペースの運営を行っています。20代のころから「暮らし」をテーマに仕事をなされてきました。インタビューを掲載するにあたり、6月2日に行われたレクチャーより、篠原さんのこれまでから現在の仕事や取り組みを紹介していきます。
レクチャー内容・1 篠原さんの暮らしの原点
松陰コモンズ
篠原さんが20代後半に暮らしていたのが、世田谷区の松陰神社の森近くにある築150年の古民家。これが7人でのシェアハウス「松陰コモンズ」—いわゆる「シェアハウス」だが、1階にはそれぞれの個室に加えて、住民だけのコモンスペース、そして昔の縁側のような地域に開くコモンスペースという、プライベートコモンとパブリックコモンのある家に住んでいた。お座敷ではライブや展覧会が開かれ、「家」だけれども様々なことがおきる暮らし。「家」はプライベートな場所として完結するのではなく、もっと可能性を持った場になりうる、という実感を得たことが篠原さんの仕事の原点になっている。
欅ハウス
欅ハウスは篠原さんが株式会社チームネット在籍中に企画・コーディネートとして参加したコーポラティブハウス。「松陰コモンズ」の持ち主である鈴木誠夫さんが相続の問題により、同敷地内の庭を手放さなければならなくなった状況に直面したとき、ただ土地を売るのではなく、庭を残し、その庭の緑の環境を鈴木さんの住まい、松陰コモンズ、欅ハウスの三者で共有していくということが試みられた一連のプロジェクト。もともと庭にあった樹齢200年を超えているケヤキの木を18m動かし移植して、そのケヤキを中心とした計画がつくられた。木々が持つ天然の空調装置を住民みんなで取り入れる暮らしがコンセプトになっている。
レクチャー内容・2 「本が旅する、自宅に持ち寄り図書室」西国図書室
結婚を機に篠原さん夫婦ふたりの暮らしに移る際、人の風が抜けるような住まいをつくりたいと始められたのが「西国図書室」。賃貸2階建てで、テーラーをやっていた家を少しだけ改装し、本棚をならべて日曜だけ開く図書室である。特徴は「本が旅する」ということ。図書室に訪れる人は大事な本を1冊、1年から最大で3年預け、その間誰かの本を借りることが出来るという仕組み。本にはなれそめやおすすめが書かれた「本籍証」が貼られ、読んだ人が書き込みや付箋を貼っていいかどうかを選べるようになっている。感想カードもあり、あたかも自分の本を旅をさせるように貸借りが行われ、戻ってきたときにはその痕跡を楽しむ、そこから人との関係が広がっていくということを試みられている。
テーラーだった建物に手を加えて住み開きしている。1階に図書室がある。
レクチャー内容・3 「ひとりでは実現できない価値」を広げていきたい
「松陰コモンズ、欅ハウスで、それぞれの暮らしがより豊かになれるように、エコロジーやコミュニティ、環境や人との関係をある種手段として扱いながら「一人では実現できない価値を作る」ということを原動力に仕事をしてきた。強調したいのは、ひとりの考えというのはまちを変えるのだ、ということ。もっと「家」や「暮らし」を自由に発想して良いし、関係を紡いで、そこに共感した人があつまり、そこからふくらんでいくことが起こりうる。まちを変えるとか、都市を動かすという時に、誰が動かすのかを考えるけど、ひとりからでも動いてしまう。」これは篠原さん自身が感じて、実践、経験してきたことだ。
「N9.5での仕事を進めていくとき、賃貸でワンルームを借りる人にも、相続問題を抱えている事業主に対しても、必ず最初に聞くのは「どんな暮らしがしたいか」ということ。丁寧に話をしていく中で本当にこうしたいという思いが湧いてきたときに、プロジェクトは動き出し、共感する人が現れることでそれが事業になり、仕事を作るという連鎖で街は動いている。「どこまで家でどこまでまちか」ということを広げてみる。いつも関係を持つのは大変だと思うかもしれないけど、実は自由の中には開くこと、閉じることを選べる。他人とともにどう生きるか、その時どういうコミュニティをファシリテートしていくかが一番大事な部分だと思っています。」と話され、レクチャーは終わった。
上記レクチャーから約一週間後に改めてインタビューを行った。
—設計・企画などの仕事をされ、今は不動産業をされていらっしゃいます。最後に選択された「不動産」での可能性は何だと感じていらっしゃいますか?–
不動産の分野にたどり着いたのは、その立場だからこそ話を聞けるから。事業を始めるときに聞くのが、「どんな暮らしをしたいですか」とか「どんな大家さんになりたいですか」。ということです。とにかく話聞きますというのがやっぱり大事ですね。
不動産って不動産オーナーがまちづくりの主体というか、まちの主体で権限を持っているっていうのがあるから、その人たちがどうゆう風に不動産を活用するかが、イコールまちをつくることに直結しちゃうっていうか、私的な土地が連なりまちができているので、そうすると不動産っていう分野で変えうることって結構な大きさをもちますね。
たとえば、賃貸物件をつくるにあたっても、そこに暮らす人が10年20年30年先もそこでどんな暮らしを描けるか、維持できるかっていうのが、結果的には事業が持続性を持っていられるということとイコールだというのが実感です。大家さんが大家として自分のこれまで暮らしてきたいろいろな思い入れのある場所が賃貸物件とか事業になった瞬間に遠くに行かずに、ぐっとまた自分の暮らしに引き寄せられて、一部になってくる。そういうことが、僕らにとっては一番大事なソフトです。そういうものをまずは一番作りたい。
—設計者が別にいるということは、設計者とコーディネーターを同時にするのは難しいのですか?
設計者との役割分担が大事です。建物をつくる必要があるかどうか、という段階から話ははじまります。設計の手前の話をしつこく聞いて、形に落とすことをぐっと我慢します。設計のことを理解しながら、つくらない立場でいることは大事だと思います。また、ワークショップなどを同時並行でこなしていくっていうのはマンパワーが必要なので、設計とコーディネイトを担うっていうのは大変だと思いますね。
–N9.5の目指すビジョンはなんですか?
N9.5は何をしているのかと言われたときに、「パブリックコモン」や「まちに暮らす」ことに共感する人たちを一定層ふやしていくことが、僕らにとって大事な部分だと思ってます。一人暮らしをしていて自由だけれども不安があったり、もの足りなかったりしたときに、自分の暮らしをちょっと開く、その中で出来てくる日常の暮らしのちょっと先というものをそれぞれの人がつくっていくというものを目指しています。まちづくりとかコミュニティということではなく、ちょっとまちに関わることには関心がある人へ半歩を後押しするということをやりたいと思っています。運営している場での実際の暮らしがはじまっていますので、ちゃんと発信していって、こんなこともできるんだと伝えていく段階にきているなと、三年目の今思っています。こうした暮らしを望む層を見えている状態にしていることが重要で、こういう人たちが沢山いるからこういう事業やりませんかっていえるようになりたい。N9.5がメディアになって、ちゃんと発信していかなきゃなって言うことを話してます。
—そうなったときに仕事がどんどん増えてくるとワークショップや打ち合わせに全部参加できなくなってしまったり、N9.5の手が及ばなくなってしまうと思います。N9.5として、会社スケールの限度のようなものをどのように考えていらっしゃいますか。
そうなったらそのときに考えたいのですが。(笑)
N9.5というのはマンセル値の「白」を意味してます。重なり合った光の真ん中が白く明るくなる。多様な色をもった人が重なりあってできる社会を象徴しています。N9.5自体も多様な人が関わって開かれていくことを考えています。メディアをつくるとなるともっと多様な人たちと関わり合えると思うので、これって同じ考えだよねって人も混ざっていく。こんな暮らし方もあるよとか、僕らがやっていなくても,パブリックコモン的な要素を持った場がすでにあるので関係をつくっていくことも大事、結果的に僕らがある部分を担えればという風に思っています。
—「パブリックコモン」を自分もつくってみたいという人って実際にいるんですか?
自分でやってみたいって言っていらっしゃる方も、もう始めましたという方もいらっしゃいますよ。まち暮らし不動産を通じて引越しされた方や西国図書室にいらしたお客様をあわせると、実際に住み開き的なことをやり始めたという人なら10人位はいるんじゃないかと思います。まち暮らし不動産では、まち歩きをしながら賃貸物件をひやかしてみる「ディスカバリーツアー」を行っています。街を知ってから、その街での暮らしがはじまることを目指した取組みです。参加されたお客様で、国分寺を気に入り、自宅を住み開きして、図書室をはじめた方もいます。仕事としては物件を仲介したわけですが、西国図書室や、そこから派生した国分寺ブックタウンプロジェクトの存在が、国分寺に暮らすことを選ぶ後押しとなった例です。引っ越した後も、おなじ街に暮らす隣人としての関わりが続いています。
ディスカバリーツアーで使った手書きのまちの地図
ディスカバリーツアーの様子
—コミュニティの範囲で「特定多数」って言う言葉を出されていて、とても気になるワードだと思いました。たとえば、「西国図書室」における「特定多数」の関係ってどういうことになりますか?
根幹話題ですよね。(笑)コミュニティが不特定多数に開かれているのではなく、特定だけど多数というのは常に意識してます。例えば、西国図書室では、一冊一冊に「本籍証」というのがあって、期間を定めて大事な本を持ち寄ってもらっています。10冊預けるなら、全部「本籍証」を書き、期限が来たら10冊全部を返却します。手間もかかるこの仕組みでは不要な本は集まりませんね。お互い大事な物を持ち寄っているという同じ立場の人なので「特定」はされているわけです。あるコンセプトに共鳴して関わりを持ちよる関係です。ただ、一番肝心なところは、出入り自由で「多数」に開かれているということ。定員が決まっているわけでもないし、必ずここに毎週来てなきゃいけないわけでもなく、どこかで西国図書室に預けた本のことを想っていたり、まちの中で自分の本を読んで、ちょっと元気をもらっている人が居たりするかもしれない。その人は
知らない人かもしれないのだけれど、西国図書室を通じてある意味では顔の見える範囲でちゃんと届いているということが起きています。
暮らしの中にリズムがあって、ちょっと開くもちょっと閉じるも選べるという状況であって、コミュニティに入って一生かかわるみたいな地縁的なものというような不自由さはなく、それぞれの暮らしがほんのちょっと広がっていくことの連鎖をつくっていきたいと思っています。
メンバーが置いた全ての本にはこのような手書きのカードが貼ってあり、オススメポイントや書き込みOKなどルールも記載されています。
—レクチャーにもありましたが、現代では便利な方へと進んでいて、自由に選択できるけど、周りとの関係の構築はしてこなかった。その手間が惜しい、面倒くさいということがあった。これまで省いてきた手間をこれからちょっとずつ取り戻していく時代になると思いますが、篠原さんはどのように考えますか?
賛成です。手間を省いてきた結果、なくしたものを取り戻すのもそうですが、その手間というか関わり合いが増えれば増えるほど、そこにまちの中に新しい仕事が生まれてくるのではと思っていますね。ちょっとした関わり合いがあって、そこでちょっと稼げるみたいな。ある種のセーフティーネットになりうる関係が手間の中に含まれていて、むしろそれの方が価値になることも起こりうるのではと思います。例えば、okatte にしおぎ(編集部注:N9.5がコーディネイトとしたシェアキッチン)では、小商いを行うメンバーもいます。「小商い」って1人ではじめることが多いのだけど、それこそひとりじゃ始まらない。特定多数でつくるパブリックコモンの可能性のひとつだと感じています。
パブリックコモンでの小商いから、新しい仕事が生まれて、まちの中で商品が生まれていく、身近な働き方がうまれるといいですね。手間こそ関わり合いなので、仕事にもつながる、そんなことが今起きようとしているのかなと思います。
—それでは学生に一言お願いします。
自分がこう暮らしたいと考えることは大事にしてほしいですか、暮らしの中でちょっとできることをやってみるというのは後々返ってくることが多いです。何も家を開く必要は無いし、設計の仕事は忙しいのでアクションすることができなくても、自分が暮らしている人だということを忘れずにいてほしいなと思います。
篠原さん、素敵なお話たくさんありがとうございました。
これからの「まちに暮らす」ということを考え直すきっかけを頂きました。
インタビュー構成:曲萌夏(M2) 山本悠加里(M2) 雨宮慎吾(M1) 黃 羽韓(M1) 渡邊海都(M1)
板谷優志 尾崎純一(B4)