interview #060 vol.2 ⽥中秀⼀


第一期生として横浜国立大学大学院 Y-GSA を修了後、株式会社アーキネットにて コーポラティブハウスのプロデューサーとしてご活躍されてきた田中秀一さんへのインタビュー第二弾です。

 

 

―――ありがとうございます。次に学生時代のお話を伺いたいと思います。建築家養成を掲 げる Y-GSA に在籍していた田中さんにとって、プロデューサーのような進路はある意味イ レギュラーな選択だったと想像するのですが、そうした選択に至ったきっかけのようなも のはありますか?

 

自分の中の建築観としては、大学 2 年生の時に読んだ山本理顕さんの『住居論』(注3)の影響 が大きいと思います。この本の何に感銘を受けたかというと、共同体・家族・住居をめぐる 設計以前の問題を深く掘り下げているところです。そういう、当たり前だと思っていること を疑って、仮説をつくっていくってこと自体がものすごく面白いと思った。そしてその結果 として場が必要とされるわけです。場が生まれるってことはすごく大事で、そこには絶対に 関わりたい。ただそれを、自分が設計する必要があるかって言われた時に、あんまりその必 要性は感じなかった。自分にとって大事なのはその思考や仮説の部分と、最後にそれが場と して実現するということです。
Y-GSA には当時から建築都市学という外部の有識者がレクチャーをする公開講座があり、 ジャンルが 2 つに分かれていました。一方は主に建築家の講義で、もう一方は都市計画の 小林重敬先生が色んな方を呼んできてくれていました。ディベロッパーだったり、まちづく りの人だったりといった、建築家ではないけど街やコミュニティのことを真剣に考えてい る人たちによる講義で、僕はそっちの方により共感したと記憶しています。こうして、必ず しも設計に絞らなくてもいい、と吹っ切れたのが多分大学院 1 年生の夏ぐらいでした。
そういうこともあって、社会勉強を兼ねて建築関係に絞らず様々な企業のインターンに行 ってみたりしました。Y-GSA にはこういう学生は少なかったと思います。一方で、色々経 験してみて、やはり最初は建築家と関わる仕事の方がいいのではないかと感じ、ある程度軸 足を建築に置くことは決めました。ちなみにアーキネットは、当時同居人だった 同期の小 野君(小野琢也建築事務所)から聞いて知りました。最近の Y-GSA のみなさんは建築設計 の分野に進まれることを希望していますか?
注3:『住居論』(山本 理顕、住まいの図書館出版局、1993 年)

 

―――そうですね。設計志望者が多いと思います。

 

それは頼もしいですね。社会人も 11 年経つと少し社会の変化を感じられるようになり、最 近は若い人の意見の方が気になるようになってきました。というのも、10 年以上前に世代 として何となく共有していたアイデアや空間というものが、少しずつですが現実になり始
めているという実感があるからです。同時に社会全体からの建築や都市への意識も広がっ ています。例えば、僕らが学生の頃はコンペに応募・受賞する企業はアトリエか組織設計ぐ らいでしたが、今はハウスメーカーにも当たり前のように応募者・受賞者がいます。当時の 感覚からすると少し信じられないですが、世の中の色々なところに、建築・都市が面白いと思い活躍している人たちがたくさんいる。それに関してはすごくいい時代だなと感じてい ます。現在の仕事では、様々な企業の方とお会いする機会が多いのですが、共通して意識し ているのはやはり都市のことです。一つの素材とか一つの製品ではなくて、もっと大きな、 街や都市というものを相手にして、自分たちがどういう風にこれから仕事をしていくか、ど ういう新しいことをやっていくかということを、どの会社も考え始めている。一つの分野だ けを極めていけばずっとやっていけるという時代ではないという感覚が、どの会社にもあ るということです。あとは気持ちの面も大きいかも知れません。働き方改革と言われていま すが、どうやって自分たちは働くのか、生きていきたいのかということを、どの会社も個人 も突き付けられるようになってきている。仕事だけで満たされる時代ではない、と。そうす ると自らの環境を省みることになるので、その整理をしていきたい、あるいはそれを通して 仕事をしていきたいという人が、爆発的に増えていると思います。そういう意味でも、様々 な仕事で建築や都市に携われる時代になっているのではないでしょうか。

 

―――いわゆる建築設計から一度距離を置いた田中さんならではのお話が伺えて、非常に 興味深かったです。最後に、学生にメッセージをお願いします。

私は山本さんが「地域社会圏」を新建築の巻頭論文(注4)で発表した時の学生です。どんなき っかけだったか覚えていませんが、Y-GSA2 年目の夏休みぐらいから、山本さんと山本事務 所の方と私で勉強会のようなものが始まりました。これが地域社会圏の巻頭論文へ繋がる のですが、それがきっかけとなり 2 年後期を山本さん担当のインディペンデントスタジオ (設計ではなく研究による単位取得)として取り組むことになりました。私は 1 年時点で 山本スタジオの単位取得を終えていましたので、4 つのスタジオ単位の内 2 つを山本さんか ら取得した、おそらくただ一人の学生になりました。研究テーマも自分で決め、一応論考と してまとめることになりました。今まで経験したことのないほどの量の本を読んで、色々考 えて、最終的には街区形成の歴史の研究をしました。街区の中で共有の場所がどう変わって いったのかということを研究しました。江戶の町人地は基本的に道を境に両側に商店が広 がっており、夜になるとその道自体は木戶で閉じていました。商業としての通りの単位で す。一方、⻑屋は商店の裏にある街区内部に広がっており、生活インフラは街区内で共有・ 提供されていました。街区としての単位です。この 2 つの単位が同時に成立していたこと が豊かさだったのですが、明治になり、その木戶が政府により排除されます。それが大事件 で、街の構造も劇的に変わりました。その中で僕が注目したのは公共サービスもそれによっ て変わっていった、ということです。今では当たり前のようにそれぞれの家が道路からインフラを引くし、宅配も道路から来ます。街区内の共有地から提供されていたものが各敷地に 個別にサービスしていくような構造になった。つまり、共有の場所のつくり方・構造が変わ っていった、ということです。
この論考をまとめた時の経験は今にも生きています。アーキネットで取り組んでいた仕事 というのはその延⻑線上にあり、集合住宅の住⺠同士や周囲の建物とどういう関係をつく っていくか、ということに他なりません。もちろん出来ること出来ないことの現実の中で試 行錯誤する訳ですが、Y-GSA で見つけたテーマがあることで軸を持ち続けることが出来ています。学生のうちに見つけた疑問や感じたことは、ずっと考え続けていけるものになると思います。
注4:『新建築 2008 年 11 月号』(新建築社、2008)

 

―――ありがとうございました。

インタビューメンバー:百武天、室岡有紀子、林太一、小野正也、阪根歩実、山田達也

インタビュー写真:山田達也


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