中川エリカ
1983年東京都生まれ / 2005年横浜国立大学卒業 / 2007年東京藝術大学大学院修了 / 同年オンデザイン入社
—いつから建築をやろうと決めていたのでしょうか?
高校時代数学がすごく好きだったんですが、研究職系も医療系も性格的に向いてなさそうで。建築学科を選んだのは、横国の建設学科の前期試験が数学と面接だけだったので、なんて良い学校だと思って受けたという不純な動機です(笑)
—学部の時はどんな学生でしたか?
全く自分で情報をとりにいかない、受け身な学生でした。学校の課題を通じた教育がすべてというか、偏った生活だったと思います。いい教育に恵まれてよかったです(笑)
–特に印象的だった課題などありますか?
私の学年は少し特殊で、3年の後期に、ベルギーの学生さんと、藝大の3年生と、同じ課題を同じ敷地で行い、合同講評会をやりました。これはもう視野が広がるというレベルではなく、異種格闘技戦のような感じですごかった(笑)
他大学の最終提出には1/1の部分模型あり、石膏のばかでかい絵なの?図面なの?みたいなものあり、英語でぜんぜん読めないけど魅力的なスケッチあり、ポエム?!みたいなプレゼンあり。スチボとケント紙がすべてではないと知りました(笑)今となれば当然なのですが、当時はわりと衝撃的で。その時はまさか自分が芸大の院に行くなんて全く想像してなかった。人生わからないものですよねぇ。
—東京藝大はどのような学校でしたか?
まぁとにかくすごく手が動くので、何を言ってるのか分からないけどできたモノはすごい、みたいな人が沢山いました。私が所属していた六角研は特にそんな人たちの集合だったのですが、逆に最終形を評価するよりも、エスキスで持ってきたモノに対するディスカッションを重視する研究室でした。良し悪しをしっかり自分の基準を持って評価しなければ、結局何も話せない。まぁ~きつくて。その時の悶々地獄が、妙な心臓の強さに繋がりまして、いまの仕事に生かされています(笑)
—藝大ならでは、という出来事はありますか?
建築学科だけではなく、いろんな芸の道の人々と沢山話し、全く異なる文化に触れることが出来たのはとても良い体験でした。デザイン科、音環、鍛金、日舞の子と特に仲が良かったです。研究室対抗ボーリング大会のトロフィーを鍛金の子につくってもらったり、日舞の子の舞台美術をつくってあげたり。それによって設計に直接影響があったかは分かりませんが、自分という人となりには多大なる影響があったと思います。多少変わった人に出会っても、先入観を持たずに、ひるまず会話できるようになりました。
—修士設計はどのようなものだったのでしょうか?
M2の時「窓」という課題が出て、窓とは何か考えようという課題なのですが、吐血するほどきつかった。そんなとき、苦し紛れに読んだ清家清さんの文章から窓という概念が国によって元々違うのだと知り、とても面白いと思いました。「透明」「穴」「煙突」「ないこと」「目」など、普段「窓」という単語で当たり前にしか理解していなかった先入観を疑うと、それまで気づかなかった考え方や立ち位置に出会えるような気がしました。さぁーっと視界が開けて、救われた気がして。それをきっかけに、建具というものにも興味をもったので修士設計のテーマにしました。
260枚ぐらいの建具を開けたり閉めたりすることで部屋の大きさがどんどん更新されていく、という空間装置みたいなものに集まって住むことを考えました。建具を動かす度に変わる人の動きや、その場所の使われ方を想像しながら模型に点景をおいて表現しました。建具も動くようにしてプレゼン時に動かしたりして。机の上に置いた紙やペン、皿、といった点景までなるべく細かくおくことで、想定していなかった使われ方を模型から発見できるということもその時感じましたね。建築が使われ方を創発して、使われ方から建築がまたさらに発展していくような感覚です。講評会では作りこんだ模型が良く見えるように虫眼鏡を置いてみました(笑)
—大学院卒業後、現在所属されているオンデザインに就職されています。就職先を決める上でどのようなことを考えましたか?
自分の身体感覚や日常生活と直結した建築に興味がありました。もちろん大きいという可能性もあるのですが、小さいという可能性もあるのではないかと漠然と感じていました。まずは今自分が考えている問題や課題の延長線上でぎりぎり捉えられる建築をつくりたいと思っていたのだと思います。
—実際にオンデザインに入ってどうでしたか?
西田さん自身は久しぶりに新卒をとったし、なにか新しいことをやりたいという気分に満ちていて、出社初日に「何かないかな~?」と言われました(笑)さすがに絶句していると、プロジェクトごとにお施主さんに渡すコンセプトブックというものをつくりたい、海外ではそういうのがあるらしい、と。
そんなわけで最初半年は、コンセプトブックとやらのリサーチをしてプロジェクト段階の作品のコンセプトを絵本のようにまとめる作業を延々やりました。それぞれフォーマットを変えたり、表現方法を変えたり、領収書を武器に自由に試行しました(笑)。設計をするというよりは設計とは何か、なぜそうするのか、ひたすら客観視して外に発表するというトレーニングになりました。と今なら思えますが、当時は「建築設計事務所に就職したのに。。」という秘めたる不安でいっぱいでした(笑)
—オンデザインは精巧な模型というイメージもあります。
1回目のプレゼンテーションに大きな模型を提出するという慣習がもともとありました。修士設計で細かく作りこんでいた経験もあったので、素材も点景もより分かり易く、イメージを共有できるようにどんどんバリエーションを増やしたり、足していきました。入社当時と今だと、密度もだいぶ変わったんじゃないかなぁ。今なお進化中です。それは自負しています。
—スタッフの方々はどのように物件に関わるのですか?
入社当時は基本設計を西田さんがして、実施から担当者が参加するという方式でしたが、最近はパートナー制という、基本設計から担当者が共同する方式になりました。なので、発表時の名前もそのプロジェクトの担当者が併記されます。これはオンデザインの特徴だと思うのですが、模型の作り方やコンセプトブックの作り方、素材選びなどは担当者に任されていて物件ごとに担当者の色が出ます。誰が担当するかによってそのプロジェクトの色も変わります。どの色を目指すかによって担当が決まりますね。
—オンデザインのホームページを見ると、作品の幅が凄く広いと感じるのですが、それは担当者が異なることによるのでしょうか?
担当によって個性が全然違うので、それによって幅が広がっているというのもあります。あと、最近はお施主さんのご要望も住宅と一言で言っても全然バラバラなんですよね。住宅以外はさらにバラバラです。そういうことに対応して、より飛躍させていく手段としてもパートナー制があります。自分では思いつかなかったようなプロジェクトの進行が所内で同時多発しているのはとても刺激になるし、常に試されているという緊張感があります。
—中川さんは西田さんとともにヨコハマアパートメントで2011年度のJIA新人賞を受賞されています。おめでとうございます。ヨコハマアパートメントは4戸の集合住宅で、1階の住民共用スペースが街に対して開いた面白い構成になっています。お施主さんはどんな方なのですか?
敷地の近所にお住まいの方です。横浜市の文化活動、たとえばアーティストを誘致したり、助成金を出して創作活動に力を入れるということにもともと興味をお持ちでした。模型やプレゼン本を見て、オンデザインの活動に興味を持ってくださったようですね。「こういう敷地を持っていて、結構古く住んでいる人もいる街なんだけど、若い人が創作活動をしたり住むための場所をつくれるといい」という話がありました。
—今の案に至るまで、いろんな提案をしていった中であの案が出たという感じでしょうか?
依頼を頂いてから一ヶ月プレゼンの準備期間を頂いて、今の完成系とほぼ同じ案を提出しました。我ながら変わった案だから何言われるか分からないぞって構えながら出したんですけど、すごく気に入って理解して下さって。「もうこれを実現するために時間を使ってください」とおっしゃいました。その反応が今の私や、今のオンデザインを動かしていると言っても過言ではないくらい大きな出来事だったと思います。で、そこから悪夢の実施設計がはじまりました(笑)
—実際あれが出来て、提案していた元々イメージと、出来た後のものはどうですか?
居住者の人が1階の大きな共有部を存分に使ってくれたら楽しいだろうとか、お施主さんが近所にお住まいなので知り合いの街の人も使えたらいいなとは考えていました。ただ、あの場所に来た事もない人があの場所を知って、都内からもどんどん持ち込みの企画がくるなんてことは想定してなかったですね。
—オンデザインのHPとは別に、ヨコハマアパートメントのHPもあるんですね。
ヨコハマアパートメントが完成して、最初の内覧会の時に403architectureいう横国出身の若手設計チームが、現場の単管を使ってインスタレーションをしました。彼らがいろんな人に告知をすることで同世代の人が都内からも来て、来た人みんながツイッタ―でつぶやくと、びっくりするくらいのスピードでブワーっと広がっていった。広げるための媒体があれば広がっていくのだと身をもって感じました。
その後ホームページを作ったり、ブログを書いたり、活動を記録しつつ発信すると、見ず知らずの劇団の人からあそこで公演をしたいという依頼が来たりして。使い方が思いもよらなかった方向に多角的に広がっていきました。ブログ名が「ぼくたちわたしたちのヨコハマアパートメント」なのですが、だれでも「ぼくたちわたしたち」になれるという。
—そうするとヨコハマアパートメントがオンデザインの運営システムというか広報システムを変えてしまったりもしたということでしょうか?
そうですね。ヨコハマアパートメントのブログでネットの力を知りまして(笑)オンデザインのブログもはじまりました。進行中の物件紹介や出来た物件の使い勝手を聞きに行った報告などなどヒエラルキーをつけず、事務所を取り巻く環境で起こっていること全部を記録しつつ発信していく。それが先ほどの幅の広さという印象にも繋がっているかもしれませんね。
—オンデザインはコンセプトブックや大きな模型やブログ、パートナー制といった建築以外のコミュニケーションツールも意識的に利用して、なるべく建築を開いたものにしようとしているように感じますね。自由な空気感から、なんとなく自分も参加していけるような気がします。
なるべく自由に、誰でも対等に意見を言うことが出来るツールとしてブログや大きな模型やコンセプトブックがあると思います。なるべく参加していっしょに楽しんでほしいです。オンデザイン自身も設計にたくさんの意見を取り込んでいけるフラットな状態を公言していますので。
—コンセプトブックもやはり喜んでもらえますか?
その作品ごとに違う本をつくるので、自分たちのために新しいものをつくってくれたという感動があるそうです。建築的に価値のあるものをお施主さんの共感も得た上で一緒につくれると良いなと思うので、そのためにも本というカタチにすることは価値があります。人に伝えるために一度描き方なども整理すると客観的に見直す機会にもなる。所員にそのような機会が頻繁にあるのは、自分たちとしても良いです。ブログも同じですね。
–中川さん自身の中で今後こういう建築をやりたいというものはありますか?
ヨコハマアパートメントを経験して、人が集まることや街との関係を持つことで、こうも価値が増大するということを明らかに知ってしまった。なので、それはやりたいというより、今後も取り組むべき事項としてありますね。
こういうことが起こると分かるものを設計するよりも、何が起こるか分からないというものを設計する方がはるかに難しいと思います。創造を超えていくよろこびみたいな感覚とか、知らなかったことを体感的に知ることができるという価値は建築のもつ代え難い魅力だと思うので、それに絶えず触れていたいと思います。
—最後に学生へ一言メッセージをお願いします。
とにもかくにも、自分に正直な作品をつくってほしいです。自分がやりたいことに対してなぜ自分がそれをやりたいのか、やるべきかを考えながら取り組んでほしい。私は横国と、芸大と、学生時代に二つの視点を知ることができました。そのどちらも今の自分の脳みそを組成している大事な養分です。どっちかが欠けていたらどっちかの魅力を知ることもなかった。
横国の学生さんに伝えたいのですが、芸大で衝撃的だったのは、先生に突っかかっていく人が多いこと(笑)まぁ言いたい放題でびっくりしました。自分のつくる作品やモノに対して尋常じゃないプライドをもっている。それだけ「つくって発表する」ということに意識があるのです。先生や他の生徒もそのプライドに対して面目に回答していくので、教える教わるという感じではなくみんな等しくその作品の為に話をしていました。そういう機会やそういう機会を提供してくれる環境に、学内学外問わず多く出会ってほしいなと思います。
インタビュー構成:石飛亮、田中菜月、森本一寿美(M2)
写真:石飛亮(M2)