《卒制2020》15/15 福留愛+久米雄志+池谷浩樹


《卒制2019》インタビュー掲載企画、第12回は、福留愛・久米雄志・池谷浩樹さんです。当時Y-GSA 修士2年の先輩方に、公開審査会では聞けなかった意見や普段考えている建築のことなど、改めていろいろなお話を伺いました。

まずは今回の卒業設計の、全体的な印象から、お願いします。(藤井)

 

池谷 それはね、雄志が話してくれると思う(笑)。

 

久米 (笑) 全体の印象は、この学年らしいかな。建築以外に興味のある人が多くて、ファッションとか音楽とか、いろんな方向に対しての興味が卒業設計を通して見て取れる、凄いなって思います。あとは模型と図面と内容のバランスがよかった印象がある。スケールの切り取り方が例年に比べるとクレバー、スマートなプレゼンテーションだった。

 

池谷 それ俺も言おうと思ってた・・・クレバーって単語を用意してたのに(笑)梗概がちゃんとしているみたいな話もあったけど、提案としてもクレバーさがあったかなと思います。雄志とも話したけど、その分バカっぽいのはなかったね。バカだからいいということではないけど(笑)

 

―「ずば抜けたものは無かったよね」という話が他のインタビューでもあって。(藤井)

 

福留 確かに。

 

久米 意外と、根が真面目(笑)なんか変なとこ真面目になるなっていう。あと、めちゃくちゃ横国っぽいものに戻った。それは多分1万平米で北山さんの教育を受けてるからだと思うんだけど。

 

池谷 確かに、劇場課題の時と印象が違う。

 

久米 例えば、模型表現がどれも似たような材料でできていて抽象的というか、構成や形式を大事にするっていうのが北山さんの教育を受けた影響なのかな。

 

―去年は横国らしくなかったですか?(藤井)

 

池谷 去年はプログラムが結構バラバラなのは良かったとは思うけど、「何故こういうことするのか」みたいなのがわからないところがあった気がする。

 

久米 今回は全体を通して理解できるものが多かった。例えばバス亭の提案は、結構共感するところが多かった。バス停がもっと小さな単位で住宅街に発生していくと違ったものになるという。

 

―そうですね、まずバス停を増やして、それが住宅と一緒になって、各住居に合わせたプロトタイプみたいなものができる。(毛利)

 

池谷 住宅と合わせるのは面白いね、ハイパーミックスの住宅版みたいな。横国の作品って、ただ作品として外で戦えるというようなものでもないと思うんだけど。例えばパース一枚で決まらない作品が多い。(提案が)ぱっと見のオブジェクトとしてかっこいいという感じのものではない。僕はそれが横国の良さだと思う。

 

―まず社会に対して何を問題視するかということ、そこから設計することにまで、一年間ではなかなか行きつかない──。(藤井)

 

福留 「社会的問題に対して建築的に回答する」ということが卒業設計の一つの目的だと思うんだけど、その問題を具体的に絞っていけなかった人たちが、最後「これ何やってんだろう」という感じのまま点数つけられる(笑)大きな問題に対して回答するときにまだ抽象的な思考のまま物になっていて、設計の良し悪しを判断しづらいというのがあるような気がする・・・社会的な問題を捉えることの上手さが横国の良さなのかなと思う反面、図面や模型をみるだけで胸を打たれるような革新的、自律的な建築があまり生まれにくい感じがする。

 

―現在Y -G S Aのスタジオ内で、何か批評精神をもって取り組んでいることはありますか?(藤井)

 

久米 質問の答えになってるかわからないけど、僕としては今回の卒業設計で結構「同世代」というか、都市のネガティブな部分の価値を反転させようという事をやるのは、同世代としてすごく共感する。例えば池谷の卒業設計も、渋谷の都市開発の中でぽっかり残ってしまった部分の価値を転換させて中庭にするというものだった。未来ちゃんのロードサイドの提案は、郊外の商業店舗が建築的な操作でアイデンティティを持ち始めるというのが、なんてことない街の流れを劇的に変える提案になっていて良かったね。

 

池谷 西沢さんめちゃくちゃ未来ちゃん評価してたけど、そこまで激評価するっていうのはまだ共感が得られない。どう思います?多分西沢さんとしては、モダニズムの権化みたいなものの価値を転換したのを評価していた。

 

久米 だから形に対しては文句言ってたかな。

 

福留 Y G S Aに来て一番衝撃的だったのは、「これはまだ建築になってないじゃないか」というものに対する評価が有り得るんだということ。すごい建築を作ってるような人も評価してくれるし、着眼した内容自体が新しいっていうのでも評価されるんだなと思った。大学によって評価されることは違うから、卒業設計の評価は一回どうでもいいと思ってもいいと思います。

 

久米 愛ちゃん何が好きだったの?

 

福留 そうですね。金子さんの、最初に建築に対する考え方を一回提示して、その後にこうスタディしてこう建築を考えていくんだっていう論理の組み立て方は賢いなと思った。そういう風に建築をつくるのってなかなか難しい。

 

池谷 俺もまゆちゃん面白いなって思った。前提をしっかり作った上で、提出物としては終わらなさをそのまま出すっていう感じが、引き算的じゃないっていうか──。

 

福留 最初さ、「建築とはこういうあるべき」って言ってたような気がするんだよね。その目標を言って、それに対して建築をつくるっていうことがすごい。

 

―まずそれを言えば、多くの人がかなりのレベルまで評価されると思うんですが、それをやらないところで、他で勝てないというのがあるのかなと。(毛利)

 

福留 共通言語化をされてないっていう事ね。

 

―瀬川のやつは、ここでなくてもできる点で強い提案。都市計画というより建築の在り方に迫ってる。(毛利)

 

福留 ただ金子さんと未来ちゃんの場合はみんなと逆で、普遍性がありつつもここでしかできないことまで言えていたらもっと魅力的だったのかもしれないね。

 

池谷 「ローカル最適解」までいけなかったのかな。普遍性というのを推していたから、西沢さんとか髙橋さんが評価した。

 

福留 でも雪乃ちゃんの雪の事とか、林くんの坂道の話題も、その地域に限らず有り得る話。毛利くんの小学校っていうプログラムもそうで、その地域の話に止まらない回答として提示できたら魅力的だよね。

 

―JIAの提出が昨日あって、それは結局 A 3シート2枚だったんです。(※コロナウィルスの影響で講評会が中止された)(髙橋)一平さんに見てもらって、それは結構言われましたね。説明の仕方が「この敷地だからこうなっちゃいました」という事ではない可能性を言わなきゃいけない。(毛利)

 

久米 髙橋(一平)さんがよく言うのは「建築は真似できるものを作らなきゃいけない」。

 

―敷地に提案が依存するけど、他にもいえるっていう事は大事なんでしょうか?そこが、本質的にはまだ分かっていないです。(藤井)

 

福留 私もそのことを学部四年生の時に考えていました。自分の卒業設計のテーマを先生に持って行った時に、「これは汎用性がないからやめなさい」と言われたんだよね。ひとつ思うのは、自分が建築を作る時に建築の歴史というか、いままで見たものを学んで作っているわけで、扉とかガラスとか。自分が経験してきた建築の言語とか、今までの建築家が作ってきた建築の歴史の中に自分が位置付けられるものを作るって考えたら、その後も続いていく歴史の中で、未来の建築家が学べるような建築をつくるっていうのが普通なんじゃないかって感じがする。

 

池谷 一度グローバリズムとかインターナショナルとかが浸透しちゃったからだと思う。近代以前だったらその地域だけの固有解だけで良かったけど、一回全て同じようなものが広まっちゃったからこそ、その上に乗せるものが「ローカル」だけでは良くないっていうことな気がする。

 

―汎用性がないとダメっていうのは、同じ環境にも適用できるかということではなくて、その建築における考え方が他にも汎用できるかってことですよね。(藤井)

 

 

―何か「建築はこうあるべき」っていうのはありますか?(藤井)

 

久米 僕もそこは悩んでますよ、断言するのは難しいけど。

 

池谷 建築自体は明治維新に入ってきたわけじゃん、どうやって ‘‘Architecture’’ を「建築」って訳したんだっけ。

 

久米 ただの建物ではないし、でも構築することだけにはとどまらない、アーキテクチャーってそもそも概念だよね。概念としての構造は、建物とはまた違う。建築は、思考の骨組みがなきゃ建築として成立しない。

 

福留 これはあまり関係ないかもしれないけど、先日髙橋(一平)さんに、「私たちがやっていることって、すごく暴力的なんじゃないか」という疑問を話してみました。例えば施主の要望を踏まえた丁寧なリノベーションは、私の家族や建築について知らない人に話すと「いい」ってみんなが思う価値観です。けれど、これはすごいって涙が出るぐらいの建築は、そういう事からは生まれないんじゃないかっていう不安があります。「建築家が建築することで、誰かを不幸にさせるんじゃないか」という純粋な質問をそのときしました。その時に髙橋さんは、「私たちがやっている事は生きがい、知性を持ってやってる。建築の歴史の中に自分がいるという事から建築をしていて、それとはまた違う。」と。知性を生きがいにするかどうか、それで確かに自分をそこに位置付けるかどうかの選択もあるんだなって腑に落ちました。

 

池谷 髙橋さんとか西沢さんは、建築史のページの中で考えてる。それはグローバルの影響っていうか、人類史の中で考えてるっていうか。

 

福留 何に対して覚悟しているかというのが人によって違う。私たちの少し上の世代の建築家は、どちらかというと暴力的でない、もっと協調的なものを目指す作品が多い気がするんだけれど、それもそういう覚悟があるのかなっていう。だからどっちの気持ちもよくわかって、どっちを選ぶかは自分の価値観次第。

 

池谷 愛ちゃんは結局、どっちか選んだの?

 

福留 私は暴力的なものに興味があります。何故自分がこっちを選んでるかっていう理由が知性とか生きがいしかないんだなっていう感じはした。だから人を幸せにするみたいなモチベーションというよりは、もう自分がその建築を凄く面白がってやってるという感じ。

 

池谷 文化活動としてはそちらに触れてきているとは思う、個人が好きなことをやってるみたいな。確かテンプラスワンでも、ちょっと前に流行ったまちづくりは何かダサくて、むしろ個人個人が好き勝手やっているのが結合していく流れが最近多い(というのを書いている)。でも、建築って結局一人じゃできないよねっていう(笑)

 

久米 そう、だからいかに個人が世界と接続しているかどうかっていう話になるんじゃないかな。「私の問題は世界の問題になっているかどうか」っていうのが建築家においては絶対に必要な気がする。

 

──インタビューの続きは、こちらにてご覧いただけます。ぜひご覧ください。→PDF記事:インタビュー誌面_福留愛・久米雄志・池谷浩樹


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